三百六十度の真実と愛
腹をとことんまで探り合ったのだから、ある意味ではお互いこれ以上の理解者などいない。どちらからともなく距離は近づき、何となくつるむようになった。
高崎をはじめとした黒服たちは渋ったが、和也の「親父に言いつけたりしたら制裁な」の一言で、表面上は見過ごされているように見える。
もっともどこかで兵藤和尊にも、カイジと和也がつるんでいることなど把握されているのだろうが、今のところはこれといった接触はなかった。
和也はカイジが言うのなら、と命を賭けたギャンブルやショーのプロデュースをあっさりと放棄し、新作の執筆と各種経営に専念すると宣言した。
ギャンブルやショーはイベント的なものだからさておくとして、和也プロデュースは存外多岐に渡っていたので、ギャンブルひとつ手放しただけで専念すると言っていいのかははなはだ疑問だったが。けれど和也のせいで誰かの血が流れることがなくなった意義は大きい。
カイジも和也も、元来他人を寄せ付けることがあまり得意ではなかったから、こんな友達づきあいは初めてのことだ。
金銭を使うことでしか他人の興味を引くことができない和也と、他人からの好意を甘んじて受けることに頓着のないカイジは、幸いその部分のズレが生じにくかった。和也が気まぐれに奢るのなんのと言いだしてもカイジはあっさり甘受するが、自分から和也にたかるようなことはなく、むしろ自分に余裕がある時は和也に缶ビールの一本などをいつも世話になっているからと躊躇いなく分け与える。
金銭的にはアンバランスかもしれなかったが、カイジの妙な距離感は和也にとっても心地のいいものだった。
「大体さ、セックスって汚らしいじゃん。他人の生殖行動見て喜ぶって発想が、オレにはちょっとわかんねーな」
またも和也の吐き出した意外な言葉に、カイジは改めて和也の顔を見返した。
眉を顰めた表情は、いつになく年相応に見える。
「……お前、童貞だったの?」
思わずカイジが聞くと、ぷっと和也は吹き出し、馬鹿にしたように一笑に付した。
「は? まさかそんなわけないじゃん。あんたと一緒にしないでよ。ガキの時から女に纏わりつかれて、あわよくばって薄汚いクソ女がひきも切らねえんだぜ。とっくに喰われてるって」
くっくっく、と笑って、和也はグラスに口をつける。
「経験の浅いカイジと違って、一通りのことは体験済みだっつーの」
「ば……オレだって、童貞じゃ……」
馬鹿にされたと思って顔を赤くするカイジを、和也はまぁまぁとおざなりに宥める。
「女に不自由してる連中が、せめて他人のセックス覗き見て疑似体験、っていうのはわからないでもないんだけどのー……」
はぁ、と和也は倦怠感に満ちた溜息をつき、持たざる者たちを憐れんで首を振った。
熱のない視線の先でまた新たなショーが始まろうとしていた。和也は予定通りの段取りでショーが進められるのを確認すると深々と溜息を吐く。
「正常位ってさ、潰れた蛙みてーだよな」
マジックミラーに目を向けた和也がぼそり、と呟いた。壁の向こうでは、見目麗しい女性が眉根を寄せて善がっている。カイジもそちらに目を向けて「……あー」と納得の声を上げた。
両腕を押さえつけられ、太ももを開いている姿は確かに解剖される蛙のようだ。
「ドギースタイルもまさしくケダモノって感じだし、セックスしてる姿って、なんつーかみっとねーよなー……」
そう呟いて、和也はちらりと店内に目を向けた。釣られてカイジもそちらを見やる。
店内の客たちはぎらぎらとした目で、マジックミラーの向こうを凝視していた。なんとなくぞっとして、カイジは慌てて目を逸らす。人間競馬だの拷問ショーに見入る連中よりはだいぶマシなのだろうが、それでも薄気味悪いことに変わりはない。
「バカバカしくならね?」
ぼそり、と和也が小さな声で呟いた。
「あ?」
カイジが聞き返すと、和也はひどく沈んだ顔で半分顔を隠すように、組んだ指の上へと鼻先を乗せる。
「オレさー気づいちゃったのよね。オレが思うほど、世間にとって真実って奴は重要じゃねーのよ。このくそくだらねえショーもそう。真実を見抜ける人間なんてそれ自体が希少価値で、大多数の人間は張り付けられたレッテル眺めて納得してんのよ」
でなきゃ、こんな嘘っぱちのショーのどこに目え輝かせてられんだか、本物と偽物の区別もつかないくせに、誰かが本物だって太鼓判押せば盲目的に信じてられるんだ。と、和也は吐き捨てるように言った。
「嘘っぱちのショー……ね」
カイジは和也の言葉を噛みしめる。一枚羞恥心を剥がれてしまえば、マジックミラーの向こうの出来事は所詮他人ごとに過ぎず、先ほどまでの興奮をそそられるかもしれないという危機感も遠のく。性的興奮を切り離されてみる性行為はひたすらに間が抜けていた。
「大体さー、セックスなんて嘘ばっかじゃん。男がやりたいがために愛してるだの君だけだの嘘ついて、女は打算のためにイった振りして、どうせお互いに嘘ばっかだって知ってんのに、そんなくだらない茶番繰り返すのに何の意味があんの。ましてそんな嘘っぱちを疑似体験なんて、うすら寒いだけじゃない」
悟ったようなことを言う和也に、カイジは「へ」と鼻で笑ってみせる。
「お前さ、誰かを好きになったことないだろ」
「はぁ?」
自分が愛などくだらないと悟った経緯を、その壮絶な最後を知っているはずだろ、と和也が、わけがわからないと眉を顰めてみせる。
カイジは和也をなだめているのか煽っているのか、両方の手のひらを下に向けて、ひらひらと振った。
「人を好きになるとさ、みっともないとか、これが嘘かもしれないとか、どうでもよくなるんだよ。そいつを茶番だって言いきれるあたり、お前の恋愛経験もまだまだ……」
「カイジは……」
和也はぶすっとした顔で頬杖をついた。
「カイジはその茶番じゃない恋愛とかで、裏切られなかったわけ? みっともなくてもいいって、なりふりかまわずにいた結果の一人なわけ? 嘘でもいい、幸せだったって相手を送り出してやったのかよ」
「ぐ……」
痛いところを突かれてカイジはうめいた。
カイジの方だって、恋の終わりはいつでも裏切りの連続だった。思ったのと違った、他に好きな人ができたの、寂しかった……。押し付けられる理由ではいつだってカイジが悪人だった。
「う、うるせえ」
カイジも頬杖をつき、そっぽを向いた。
男ふたり目線を反らしている先では、偽りの嬌声を上げて女が絶頂した演技を見せていた。
ひどい茶番だ。
作品名:三百六十度の真実と愛 作家名:千夏