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アカギさんはなんでもできる

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「アカギさんはトイレになんて行きませんから!」



 据わった目で半ば叫ぶように言いきったのは、井川ひろゆきだった。
 事の発端は、福本キャラのメイン所たちが天の家に集まって飲み会をしていた最中、煙草を買いに行く、とふらりと表に出ていったアカギの帰りが遅かったことだった。
 誰も彼もしたたかに飲んでいたから、酔い覚ましの散歩でも兼ねていたのだろうが、天が不用意に「アカギの奴、うんこかな」などと言ったため、ひろゆきがキレたのである。
 ひろゆきは赤木を師として仰いでいたが、十九歳の頃のアカギと出会い『自分よりも年下なのに、この頃から赤木しげるとして完成していたなんて』といたく感銘を受け、それ以来妄信と言ってもいい、熱心なアカギ信者となっていたのだった。
「いや、行くだろ。普通に」
 森田が冷静に突っ込めば「いえ、涯くんの例もあります。アカギにはトイレのシーンはありません」などと、零が言い出した。
「あー、でも確かに生活感ない、っていうか、浮世離れしたとこあるよなぁ」
 しみじみと福本キャラの中でもよくトイレに行くカイジが呟く。
「でしょう!? アカギさんはうんこもおしっこもしなければ、身体も汚れないからお風呂も必要ないんです。ほんの少しのフグ刺しと、お酒と煙草で出来てるんです!」
 爛々と目を光らせて言い放つひろゆきに「いや、アカギの中ではちゃんと食事もしてるからね」とは誰も言えなかった。
「ないといえば、アカギには女の影もないよな」
 ふとカイジが呟く。『カイジ』には限られているとはいえ、女性キャラも登場しているし、『天』では、天がふたりの女性を妻帯、『銀と金』の森田も女性との接触は少なからずあるし、『賭博覇王伝零』にも、本当に一応という注釈はつくがギャン鬼編で女性が登場している。
 しかし、『アカギ』では、煙草屋のおばあちゃん以外は精神世界で登場する程度だ。
「あー……赤木さん、女とか必要ないからね」
 うんうん、と訳知り顔に天が一人頷いた。
「そりゃそうでしょうよ! アカギさんに釣りあうような女、どこを探したっているわけがないじゃないですか。だけど、あの遺伝子を残さないというのは国家の、いやもはや世界の損失と言ってもいいんじゃ……」
 長考に入る時のように指を組んで悩み始めたひろゆきに、天は言った。
「あー、大丈夫大丈夫。あの人、単体生殖できるから」
「はぁ?」
 思わず聞き返したのはカイジで、なるほどと受け取ったのはひろゆきだ。
 他の面々はもちろん最初からくだらない冗談を、と受け流している。
「何て言うの? あの、ちんこみたいな生き物」
「プラナリアですか?」
 天の下品なヒントから、零が即座に答えを導き出す。
「そうそう、そのオナニーみたいに、切ったら殖えるからね。うにょーんと」
 この際、ナしか合ってねーよ、というツッコミは置いておくとして、げひゃげひゃと笑う天に、さすがのカイジも「それはないだろ」と突っ込んだ。
 ……突っ込んだはずだったのだが。
 飲み会も終わり、各々雑魚寝をしている時に、ふとカイジは目を覚ました。
 そして先ほどのくだらない会話に思いを馳せてしまった。
(はは……いくらあいつが化け物じみてるったって、そんなわけねーだろ……ねーよな? ……あ、いや、あいつならありうる気がしてきた……本当はそうなんじゃねーか? ……アホか、オレは。あんな子供騙し……はぁ、寝よ寝よ……)
 酒で緩んだ脳でそんなことを考えてしまったものだから、ばっちり夢に見た。
 真っ二つに裂かれたアカギが、二体のアカギとなり、二体が四体、四体が八体、春は三月落花のかたち……とばかりに増えたアカギがゆらゆらと自分を取り囲む、という夢を。
「うわぁあああ!」
「どうしたの、カイジさん」
 思わず飛び起きたカイジに、近くで休んでいたらしいアカギ本人が声を掛けてきて、カイジは思わず「ひっ」と後ずさる。
「?」
 突然慄かれたアカギとしても、わけがわからない。
 首を傾げているアカギに、カイジは脂汗を拭って「あ、いや……なんでもない」と告げた。
「それが何でもないってツラかよ。なんだい、人のツラ見て化け物見たみたいな悲鳴あげて」
「……夢見が悪かったんだよ」
 流石に夢の内容はアカギ本人にいうわけにもいかず、言葉を濁していると、アカギが立ちあがった。
「……こんな時間にどこ行くんだ?」
 時間は深夜である。
 集っている博徒たちにとってはこれからが本領を発揮する時間、と言えなくもないが、大会も勝負もないのに、わざわざ夜更かしをすることもない。
 特に天の家に集まっているため、時間軸としてはギリギリ昭和。コンビニの二十四時間営業が始まって十年以上経つとはいえ、それ以外の店はあまりやっていないような時代である。
「便所。起こされたら行きたくなった」
「あ、すまん……」
 ちなみに天が住むアパートの風呂、トイレは共用。さらに古い時代の遺物のようなぼろアパートだ。
 ひたひたと廊下を歩く足音に、ふとカイジは先だっての会話を思いだしてしまった。
 ひろゆきが叫んだ、アカギさんはうんこもおしっこもしない、という奴だ。
(……あいつ便所で何すんだ?)
 普通に考えれば用を足す以外にありえないのだが、この時のカイジはどうかしていた。
 自分も立ちあがってトイレに赴き、外からトイレのドアにそっと耳をつけた。
 中から流れてくるのは、小用を足す音だった。
(……あ、ションベンしてる。そ、そっか……そうだよな。あいつだって人間だもんな……へ、へへ……)
 くだらないことを疑ったのが恥ずかしくなって、カイジはトイレ前の廊下に座り込んだ。
 一瞬でも天やひろゆきの妄言を信じた自分がバカバカしかった。
 しばらくして水音がしたかと思うと、中からガチャガチャと扉を開こうとする音が聞こえた。
 外開きの扉の外にカイジが座り込んでいるので、当然扉は開かない。
「あ、わ、わりぃ!」
 慌ててカイジは立ちあがる。
「便所の前で何してたの?」
 アカギは飲み過ぎて体調でも崩したのかとカイジを気遣ったに過ぎないのだが、バカバカしい妄想に悩まされて、それが解消しほっとしていたカイジは、それがどう思われるかなどは考えずに正直に話してしまった。
「お前、ほんとにションベンすんのかなって……」
「……」
 アカギが無言になったのも当然である。
「カイジさん……そういう趣味があったんだ……へー……」
 たっぷりと間を取ってから、アカギは何とも言い難い表情をした。
「へ……? 趣味……?」
 アカギの返答に、カイジも自分が何を言ったのかを思い返して、そして慌てた。
 つまり、それは全くもって事実であるのだが、アカギの小用に耳をそばだてていたということで、完全に見事な変態だ。
「あ? あぁ!? いや、ちが! 違うっ!? 誤解だ……!」
 どんなに言いつくろおうとしたとこで、アカギの用足しに耳をそばだてるためトイレの前に座り込んでいたという事実は消えない。
「他人の趣味にとやかく言う気はねーけど……俺には理解できねーかな。悪いね」
 完全にアカギはドン引きしている。
 あのアカギがドン引きである。
 ある意味では快挙だといえた。