東方『神身伝』
目を覚ますと、そこは病院の一室だった。
医者から話を聞くと、酷い怪我で病院に運ばれてきたそうだが、奇跡的にも命に別状は無く、千切れていた腕も後遺症も無く回復に向かっているそうだ。
人並み外れた回復力の賜物だそうだ。
医者から、日頃の食生活や身体の事を事細かに聞かれたが、それよりも大変だったのが、泣きじゃくる琴美を落ち着かせる事だった。
俺の顔を見るなり大声で泣き出してしまい、それを落ち着かせるのに結構な時間が掛かった。
その後にも、親族やバイト先の店長達が見舞いに来てくれて、自分が周りに心配をかけた申し訳なさと、自分の恵まれた人間関係の嬉しさ再認識した。
しかし、それ以上に頭の中を支配する物が有った。
確かに、おれはあの公園で腕が吹き飛んで、体が穴だらけに成った筈だ・・・・・・・。
今思い出しただけでも体が恐怖に震える。
琴美から聞いた話だと、自分の家は、ドアが強引に突き破られるような形で完全に壊れていて、窓ガラスも粉々になっていたそうだ。
更に、俺が発見された公園は、テロにでも有ったかのように壊滅していたらしく、そのことで警察が何度か事情聴取にも来ていた。
「夢じゃ無いんだよな・・・・・・・。」
その言葉と共に頭に浮かぶのは、一匹の狼だ。
そう、全てはあの狼と出会った事で起きた事。
しかし、誰に聞いても狼の行方は解らなかった、唯一姿を見た事の有る琴美も、あれ以降は狼の姿を見ていないと言っていた。
薄れ行く意識の中で、追っ手と対峙していた狼。
常識的に考えて死ぬ筈の自分が生きている事実。
全てが全て、頭の中で混乱を招く。
「だああああああ、もう何なんだよ・・・・・・何処に行ったんだよ。
意味わかんね〜よ。」
自然と愚痴にもにた言葉が口から出てくる。
言っても仕方が無いことは十二分に承知している、しかし、口に出さないと不安と恐怖で押し潰されそうになる。
数多くの不安や謎は、一つも解決する事無く無残にも時間だけは過ぎていった。
それから1週間もしないうちに、身体も大分と回復して腕も完全に繋がり、医者からも明日か明後日には退院できると告げられた。
そんなある日の夜の事だった。
病院で目が覚めてからの数日間、色んな事を頭の中で考えていて、まともに睡眠を取れていなかったのだが、今日は珍しく寝つきが良かった。
そして、夢の中にあの狼が出てきたんだ。
愛も変わらず真っ白で綺麗な毛並みに凛とした顔でこちらを見つめている。
手が届くところまで近づいていくと、狼は下を向いて耳を下にたらしてしまった。
見るからに申し訳なさそうな感じがにじみ出ている。
『どうしたんだ?』
思わず、話しかけていた。
『私は、貴方に私の使命を背負わせてしまった。』
使命?何の話だ?それよりもいまお前は何処にいるんだ?生きているなら姿を見せてくれ。
聞きたい事が山ほど有るのに、先程と違って言葉が出てこない。
『本当に、申し訳ない。』
だから、何の話なんだよ?
聞きたい、でも言葉が発せられない。
でも、何かを俺に『託した』その事だけは解った。
『それは、誰にでも背負わせられる物だったのか?』
言葉が出る、何故だ?
『いえ、貴方だから、貴方にだから私は・・・・・・・』
狼は、俺の目を見つめて強い口調で言う。
『解った、背負うよ』
俺はしゃがみ込んで、狼を優しく抱きながら決意した。
『君が俺を信頼して託してくれた何かを、必ず・・・・・必ず守り抜いて見せる。』
狼は、冬馬の言葉を黙って聞き、そして、抱きつく冬馬の頬にその頭を摺り寄せる。
『貴方で、本当に良かった。
どんな事があっても、絶対に死なないで。
貴方の命は世界の希望です。』
狼はそれを告げると、身体が光を放ち始めそのまま光の球体に姿を変えて宙に浮いていく。
『忘れないで、貴方の命は希望の光・・・・・・・・私は貴方の中に。』
そして、光の球体はそのまま冬馬の中へと消えていった。
「っは。」
そこで、冬馬は目を覚ました。
夢から覚め、暗い部屋の中で上半身を起こし、夢の中で狼に触れた両手を見つめる。
その手の中に2滴3滴と水が落ちる。
冬馬は無意識に涙を流していた。
理由なんて解らない、ただその瞳からは涙が溢れた。
夢に出てきた狼の言葉『私は貴方の中に』、夢にも拘らず繊細に残るその内容。
「意味わかんね。」
病院で目を覚まして、何回口にした言葉だろうか、しかし今までのような負の感情の篭った言葉では無く、何処か嬉しさの様な雰囲気が漂った言葉だ。
冬馬は自然とその手を胸元に当てると、力強い自分の鼓動を感じる。
「助けてくれたんだよな。」
その方法は解らない、でも、あの狼が自分を助けてくれた事は解る。
「ありがとう。」
窓の外の、月明かりが綺麗な夜空に目を向け、独り言のように冬馬は呟いた。
暫く寝ようと目を瞑っていたが、一向に眠れる気がしない。
眠れない冬馬は、夜風に当たるために窓を開けて、暫く外を眺めていた。
今まで抱えていた謎や不安、そのどれ一つとして解決された訳ではないのに、彼は妙に清々しい気持ちだった。
「なんだか、いい気分だ。」
「それはいい事ですわね。」
独り言のつもりだった、いや、どんな言葉を発しても独り言になる筈だ。
ここは病院、しかも真夜中だ、コールでもしない限り、ノックも無しに病室に誰かが入って来る事なんて有り得ない。
勢い良く後ろを振り返り、声を押し殺して質問する。
「誰だ・・・・。」
病室の出入り口のところに、人影が見える、どうやら傘を差した女性の様だが、どうにも部屋が暗くてよく解らない。
「そんなに、警戒しなくても良くってよ。
怪しいものではありませんわ。」
驚くほどに透き通るような綺麗な声の女性は、ゆっくりと此方に近づいてくる。
一瞬にして緊張が走る、嫌な汗が一気に噴出し、緊張で水分を無くした喉がそれを求め、無意識に口にある僅かな唾液を喉を鳴らして飲み込む。
「だ、誰がこの状況でそんな言葉を信じるんだ?」
わざと余裕ぶって見せる、言葉の通じる相手なら、なんとかして言葉で言いくるめられるかも知れない。そんな僅かな希望が、彼に言葉を喋らせる。
「そうですわね、行き成り信用しろなんて無理なことですわ。」
彼女はその歩みを止める事無く、ゆっくりと確実に冬馬との距離を詰めてくる。
そう、まるで獲物に狙いを定めた獣のように。
そして、ある程度まで近づいたところで、月明かりが彼女の姿を映し出す。
白いドレスに、赤く大きなリボンの付いた変わった帽子、不思議な模様の入った紫色の前掛けをしていて、綺麗な顔立ちにブロンドの髪。
一言で言うと『綺麗』その言葉しか出てこない。
だが、状況が状況なだけに、恐怖の対象以外の何物でもない。
そして、次に発した彼女の言葉が冬馬の全ての理性を吹き飛ばす。
「でも、だからといって貴方に逃げ道がありまして?」
この女、不味い。
直感だった。
そして、そう思った瞬間には窓から外に飛び出していた。