東方『神身伝』
『逃げ道がありまして?』言い換えれば『逃がさない』と言う事だ、言葉が通じるから大丈夫かも知れない、甘すぎる自分の考えに恥ずかしさを覚えながらも、それ以上に飛び降りた事の方が問題だった。
「まてまてまてまて、無理無理無理。」
地面が近づいてくる、当然の結果だ。
解ってはいても、それ以外に策が思いつかなかった冬馬には何とかするしかない。
「しっかりとなさい、大丈夫、しっかりとタイミングを合わせて膝で衝撃を和らげるのよ。」
直ぐ横でアドバイスが聞こえる、誰の物かなんて構っている余裕も無い。
言われたとおりに咄嗟では有るが、膝で衝撃を吸収する事を意識した。
そして、次の瞬間。
ストッ
信じられ無い事に、彼は病院の3階辺りから飛び降りて、見事に着地して見せたのだ。
冬馬は、余りの事に時が止まったかのように着地したままの姿勢で止まる。
「ほら、出来たでしょう。」
後ろから、聞いたことのある声が聞こえる、そう病室にいた女性の声だ。
「っく。」
振り向くことも無く、そのまま距離を取ろうと地面を蹴る。
すると、冬馬の身体は羽のように何メートルもの高さまで浮いてしまったのだ。
「な、何だよこれ。」
今までなら、飛べて1メートルちょいだったのに、難なく10メートルは跳ね上がった自分の身体能力に、混乱する。
「こらこら、話を聞きなさい。本当に最近の子は話を聞かないんだから。」
ふと声のする方を見ると、先程の女性が自分と同じ高さの所を飛んでいたのだ。
「うわ、グムムムム。」
驚きの余り、思わず大きな声をあげそうに成った冬馬の口を、誰かの手が押さえ込む。
その手に目をやると、その腕は得体の知れない黒い亀裂のような物から生えている。
今までに無かった身体能力に得体の知れない女性、更には亀裂から生えている腕。
最早、冬馬の混乱と緊張はピークに達した、その場でもがく様にして暴れると、体勢を崩して真っ逆さまに落ちていく。
再び迫り来る地面、これで何度目だろうか。
今度こそ覚悟を決めて目を瞑る。
しかし、何時までたっても地面に衝突する衝撃は来ない。
恐る恐る目を開くと、冬馬の身体は、空中で静止していたのだ。
意味が解らず、自分の身体を見ると、逆さまの状態のまま、自分の下半身が先程見た黒い亀裂に飲み込まれていたのだ。
「な、なんじゃムググググググ。」
「はいはい、お決まりの台詞はいりませんわよ、まったく、よく叫ぶ子ね。」
再び、直ぐ傍で女性の声が聞こえる。
見ると、驚くことに女性は空中に浮いたまま静止していたのだ。
「はあ〜、男の子が情けない。少しは落ち着いたらどうです?」
そう言って、呆れた様な視線をこちらに向ける。
『いやいや、無理だろ。』そこは頭の中で冷静に突っ込みを入れ、暫くもがいてみたが、一向に開放される様子も無い。
この状況で何をどうしても無意味な事を理解すると、諦めの極地から来る冷静さが芽生えてきた。
女性も、暫く冬馬のもがく姿を眺めていて、落ち着きを取り戻し始めたのを見計らい話しかける。
「どうです?少しは落ち着きまして?」
冬馬は、逆さまのままコクコクと頷き、女性の言葉に返事をする。
「では、話を聞いていただけますわね?」
再びコクコクと頷くと、口を押さえつけていた手がひょいっと亀裂の中に消え、その亀裂も消えてしまった。
よく見ると、女性の腕にも全く同じ亀裂があり、その亀裂の中に腕を突っ込んでいる。
そう、亀裂から生えていたのは女性の腕だったのだ。
どう言ったマジックなのかは解らないが、テレビに出た瞬間に話題になる事間違い無しだと思う。
そんな仕様も無いことを考えている冬馬に、女性が話しかけてくる。
「さてと、貴方は水上冬馬で間違いありませんわね?」
「どうして、俺の名前を。」
「そんな事はどうでもいい事ですわ。」
冬馬の言葉をあっさりと片付けて、会話を続ける。
「っで、信じられない事かも知れませんが、貴方は最早人間と呼べる存在では無くなっています。」
「・・・・・。」
その言葉に、何も返すことが出来ない。
否定したい気持ちはある。
しかし、病院から逃げ出してからのほんの5分ぐらいの出来事で、身を持ってそれを体験してしまったからだ。
「っで、この世界では最早貴方はイレギュラー、存在してはいけない者に成ってしまっています。」
「ど、どうして。」
言葉を口にしたはいいが、その理由は容易に想像が付く。
「言わなければ解りませんか?」
「・・・・・・・いえ。」
10メートルも飛び上がりそして見事に着地する。
それだけで、どれだけの混乱を世界に招くかは用意に想像が出来る。
何よりも、自分の周りの人間に迷惑をかける可能性すら出てきてしまう、そんな事が有っては成らない。
だが、それ同時にショックも大きい。
『存在してはいけない者』それは、自分の存在を完全に否定される事に他ならないからだ。
「俺は・・・・俺はどうすれば良いんですか。」
突然突きつけられた事実に、助けを求めるように自然と言葉が出る。
「安心なさい、貴方の存在できる世界に連れて行って差し上げますわ。」
冬馬は女性のその言葉に、思わず期待の目を向ける。
「でも、その前に。」
女性が何かを言いかけた次の瞬間、後頭部に強い衝撃と激痛が走る。
「かはっ」
そして、そのまま一瞬にして意識を持っていかれてしまった。
女性はいつの間にか作り出していた、亀裂に腕を突っ込み、その先は冬馬の後頭部を見事に捉えていた。
「普通に連れて行くのは面白くありませんからね。私も、傍観者として楽しまさせていただきますわ。ウフフフフ。」
黒く怪しい笑みを浮かべて、そのまま冬馬を担ぎ上げると、再び亀裂を作り出してその中へと消えていった。