さようならを携えて
さようならを携えて
鉄の翼でも飛べると知った。
残酷な現実は、代替品を許した。惨めな理想は、模造品を赦さなかった。
どんなときも空は降りては来ない。
狭間に捨てたものは何だったのか。
池袋の路地裏の隅。薄汚れたその場所は、光と喧騒を拒み暗闇と静寂に沈んでいた。日中から一転して冷え込んだ日暮れ後、そこは思わぬ闖入者に占拠されていた。そこには、はらはらと涙を流す少年と、それを困り果てた様子で見守る長身の男が立ちすくんでいる。間には腕一本分の距離。何度も伸ばされかけたバーテン服の腕は、その度に傍らの子供に届くことなく、力なく落とされている。涙で一層幼く見える少年、竜ヶ峰帝人は一見して中学生のようにも見えたが、来良学園の制服は着ている。短く切られた黒髪も、校則順守の見本のように着られた制服も、痛々しく乱れていた。もう一方の男は、池袋では知らぬ者はいない自動喧嘩人形こと、平和島静雄。バケモンと恐れられる彼は、珍しく焦燥に揺れ、少年の様子を伺っている。
「なあ、なんで泣くんだよ?」
「あなたには嘘はつけないからです」
それは本当だ。しかし、その質問に適当な真実ではない。とめどなくあふれる涙の理由は別にある。生憎のところそれを告げるつもりは帝人にはないし、静雄にも無理に問い詰める気はなかった。そんなことはできない理由があった。帝人はそれをわかっていて言っている。
つい先程、静雄は帝人に告白した。
真正面から不器用に、歪んでいるかもしれない恋を告げた。
そして、今、帝人は泣いている。
静雄は途方に暮れた。フラレても、どんな無邪気に残酷な言葉を言われようと、怒るまいと、決して傷つけたりしまいと、決意した末の告白だった。始めは、まさか泣くほど気持ちが悪かったのかとショックを受けたが、そうではないと帝人は言う。
放って立ち去ることなど出来るはずもなく、彼の泣き顔を見つめていた。彼が泣くのは痛い。透明な雫が黒い眼から溢れ出て、丸い頬を滑り落ち、薄汚れたアスファルトに新たな染みを作る度に、ナイフも通さない静雄の胸はきりきりと締め付けられ、やがてしくしくと悲しみに苛まれた。体中に満ちていく悲しみを受け止めながら、静雄はこのときが永遠に続けばいいと思っていた。腕一本分の距離は遠いが、近い。この先の機会があるかないかもわからない状況では尚更。だが、それが絶対に叶わない願いであることも知っていた。
だから、口を開いた。青くさい熱情に押されて。告げたときも、帝人は嫌そうな顔をしなかった。ずっと帝人を見つめる視線を煩わしそうにもしなかった。待った時間の分だけ募った期待が、恋に惑った男を浮つかせる。もしかして、もしかしたら。ひょっとしたら違うかも知れない。それでも。今言わなければ、きっと後悔する。
「竜ヶ峰、俺が好きか?」
「静雄さん」
また、ほろりと零れた一粒。花が散るように。この手で拭いたい、いっそ舐めとりたいと恥知らずな欲望が渦巻く。
「違うなら違うって言えよ。言わねえと、俺は勘違いするぞ」
都合のいいことを言っている。帝人は怖くて口もきけないだけかもしれないが、彼の表情に嫌悪はない。どうか、そうだと言ってくれ。そうすれば、俺は。
「僕は、 」
※
虚勢だけで生きている。本当は無力なくせに。利用されてることを知っているくせ、それを利用することでしか、価値を力を得られないから、真実とか誠実さとか何もかもを踏みつけて、冷酷さを貼りつけて君臨する。欲しかったのは非日常で、代わりに差し出したのは、掛け替えのない日常で。いつのまにかひっくり返っていたそれに、みっともなく縋りつく。
なんて言われようと構わない。自分で決めた事だから。わかってる。
わかっていると思っていた。
「好きだ」
綺麗なものを見るような慈しみに満ちた目が怖かった。おそるおそる頭を撫でる手が愛しかった。少しずつ一緒に過ごす時間が積み重なっていくことに危機感を抱いた。彼の知る竜ヶ峰帝人からズレていく自分に後悔なんてしていない。それなのに、
「なんで、僕なんですか?」
ああ、傷ついた顔をさせてしまった。いっそ、怒り狂って殴ってくれたらいいのに。
「知らねえ。俺は、お前を大切にしたいと思ったんだ」
サングラス越しの端正な目元が、優しげに細められる。この人を偽れない。この人を裏切りたくない。
そんなことを言われたのは初めてだった。元々憧れていた、不可侵の強さを持つ非日常の具現。遠い存在だと思っていたのに。どうしてこんなに近づいてしまったのだろう。
「違うんです。僕は、あなたが思っているような人間じゃない。きっと、それは何かの間違いで」
「んだと?」
眉間に皺が寄る。戸惑いだろうか苛立ちだろうか。両方かもしれない。どちらにしろ、幻滅されるのなら今がいい。この誤解されやすい誠実な人を騙してしまう前に。
「あなたは何か勘違いをしてるんです」
「ごちゃごちゃ煩せえ!」
大きな怒声にびくりと体が震える。釣り上がった目元は誰もを震え上がらせる気迫に満ちている。恐ろしいはずなのに、伝わってくるのは悲しみだった。たまらない。そんな思いをさせたいわけじゃないのに。
「俺は、お前が、好きだ。それの何が違うんだ?意味わかんねえ。上手く言えねえけど、俺はお前が嘘付きだと思ったことはねえ。理屈っぽいことはどうでもいい」
一呼吸置いて、トーンダウンした震える声が続ける。
「嫌なのか?俺が、気持ち悪いか?」
歪んだ目が今にも泣き出しそうだった。それを見て、帝人の涙腺は決壊した。
「そんなわけないじゃないですか」
そして、また間違えた。
もう戻れない。なんと言われようと構わない。後で、あなたを裏切るかもしれない。その時は、すべてを受け入れよう。その前に、今だけ泣かせて欲しい。あなたに別れを告げられたとき、どんなに辛くても、平気な顔をして受け止められるように。みっともなくあなたの同情を引いたりせずに、いつでも潔くさよならが言えるように。
鉄の翼でも飛ぶと決めた。
脆い現実は、模造品を許す。愚かな理想が、代替品を赦さずとも。
どんなときも空は降りてはこない。
継ぎ接ぎの翼で、狭間にしがみつく。そのためなら何を捨ててもかまわない。
決めたのは僕だった。
------------
雑談
シズミカの私的萌えポイントは、お互いに相手のことを思うなら離れるべきだと思いながらも、離せない強欲さです。帝人くんと静雄さんの共通点は、程度の異常な意志の強さで、静雄さんの力も帝人くんの覚醒も、それを貫いてしまった結果だと思います。望みを叶えることそれ自体は一見素晴らしいことに見えますが、そこから生じたことの責任は一生背負っていかなければいけないというシビアさも描かれている点が、成田作品の面白さの一つなんじゃないかなあとも思っています。
鉄の翼でも飛べると知った。
残酷な現実は、代替品を許した。惨めな理想は、模造品を赦さなかった。
どんなときも空は降りては来ない。
狭間に捨てたものは何だったのか。
池袋の路地裏の隅。薄汚れたその場所は、光と喧騒を拒み暗闇と静寂に沈んでいた。日中から一転して冷え込んだ日暮れ後、そこは思わぬ闖入者に占拠されていた。そこには、はらはらと涙を流す少年と、それを困り果てた様子で見守る長身の男が立ちすくんでいる。間には腕一本分の距離。何度も伸ばされかけたバーテン服の腕は、その度に傍らの子供に届くことなく、力なく落とされている。涙で一層幼く見える少年、竜ヶ峰帝人は一見して中学生のようにも見えたが、来良学園の制服は着ている。短く切られた黒髪も、校則順守の見本のように着られた制服も、痛々しく乱れていた。もう一方の男は、池袋では知らぬ者はいない自動喧嘩人形こと、平和島静雄。バケモンと恐れられる彼は、珍しく焦燥に揺れ、少年の様子を伺っている。
「なあ、なんで泣くんだよ?」
「あなたには嘘はつけないからです」
それは本当だ。しかし、その質問に適当な真実ではない。とめどなくあふれる涙の理由は別にある。生憎のところそれを告げるつもりは帝人にはないし、静雄にも無理に問い詰める気はなかった。そんなことはできない理由があった。帝人はそれをわかっていて言っている。
つい先程、静雄は帝人に告白した。
真正面から不器用に、歪んでいるかもしれない恋を告げた。
そして、今、帝人は泣いている。
静雄は途方に暮れた。フラレても、どんな無邪気に残酷な言葉を言われようと、怒るまいと、決して傷つけたりしまいと、決意した末の告白だった。始めは、まさか泣くほど気持ちが悪かったのかとショックを受けたが、そうではないと帝人は言う。
放って立ち去ることなど出来るはずもなく、彼の泣き顔を見つめていた。彼が泣くのは痛い。透明な雫が黒い眼から溢れ出て、丸い頬を滑り落ち、薄汚れたアスファルトに新たな染みを作る度に、ナイフも通さない静雄の胸はきりきりと締め付けられ、やがてしくしくと悲しみに苛まれた。体中に満ちていく悲しみを受け止めながら、静雄はこのときが永遠に続けばいいと思っていた。腕一本分の距離は遠いが、近い。この先の機会があるかないかもわからない状況では尚更。だが、それが絶対に叶わない願いであることも知っていた。
だから、口を開いた。青くさい熱情に押されて。告げたときも、帝人は嫌そうな顔をしなかった。ずっと帝人を見つめる視線を煩わしそうにもしなかった。待った時間の分だけ募った期待が、恋に惑った男を浮つかせる。もしかして、もしかしたら。ひょっとしたら違うかも知れない。それでも。今言わなければ、きっと後悔する。
「竜ヶ峰、俺が好きか?」
「静雄さん」
また、ほろりと零れた一粒。花が散るように。この手で拭いたい、いっそ舐めとりたいと恥知らずな欲望が渦巻く。
「違うなら違うって言えよ。言わねえと、俺は勘違いするぞ」
都合のいいことを言っている。帝人は怖くて口もきけないだけかもしれないが、彼の表情に嫌悪はない。どうか、そうだと言ってくれ。そうすれば、俺は。
「僕は、 」
※
虚勢だけで生きている。本当は無力なくせに。利用されてることを知っているくせ、それを利用することでしか、価値を力を得られないから、真実とか誠実さとか何もかもを踏みつけて、冷酷さを貼りつけて君臨する。欲しかったのは非日常で、代わりに差し出したのは、掛け替えのない日常で。いつのまにかひっくり返っていたそれに、みっともなく縋りつく。
なんて言われようと構わない。自分で決めた事だから。わかってる。
わかっていると思っていた。
「好きだ」
綺麗なものを見るような慈しみに満ちた目が怖かった。おそるおそる頭を撫でる手が愛しかった。少しずつ一緒に過ごす時間が積み重なっていくことに危機感を抱いた。彼の知る竜ヶ峰帝人からズレていく自分に後悔なんてしていない。それなのに、
「なんで、僕なんですか?」
ああ、傷ついた顔をさせてしまった。いっそ、怒り狂って殴ってくれたらいいのに。
「知らねえ。俺は、お前を大切にしたいと思ったんだ」
サングラス越しの端正な目元が、優しげに細められる。この人を偽れない。この人を裏切りたくない。
そんなことを言われたのは初めてだった。元々憧れていた、不可侵の強さを持つ非日常の具現。遠い存在だと思っていたのに。どうしてこんなに近づいてしまったのだろう。
「違うんです。僕は、あなたが思っているような人間じゃない。きっと、それは何かの間違いで」
「んだと?」
眉間に皺が寄る。戸惑いだろうか苛立ちだろうか。両方かもしれない。どちらにしろ、幻滅されるのなら今がいい。この誤解されやすい誠実な人を騙してしまう前に。
「あなたは何か勘違いをしてるんです」
「ごちゃごちゃ煩せえ!」
大きな怒声にびくりと体が震える。釣り上がった目元は誰もを震え上がらせる気迫に満ちている。恐ろしいはずなのに、伝わってくるのは悲しみだった。たまらない。そんな思いをさせたいわけじゃないのに。
「俺は、お前が、好きだ。それの何が違うんだ?意味わかんねえ。上手く言えねえけど、俺はお前が嘘付きだと思ったことはねえ。理屈っぽいことはどうでもいい」
一呼吸置いて、トーンダウンした震える声が続ける。
「嫌なのか?俺が、気持ち悪いか?」
歪んだ目が今にも泣き出しそうだった。それを見て、帝人の涙腺は決壊した。
「そんなわけないじゃないですか」
そして、また間違えた。
もう戻れない。なんと言われようと構わない。後で、あなたを裏切るかもしれない。その時は、すべてを受け入れよう。その前に、今だけ泣かせて欲しい。あなたに別れを告げられたとき、どんなに辛くても、平気な顔をして受け止められるように。みっともなくあなたの同情を引いたりせずに、いつでも潔くさよならが言えるように。
鉄の翼でも飛ぶと決めた。
脆い現実は、模造品を許す。愚かな理想が、代替品を赦さずとも。
どんなときも空は降りてはこない。
継ぎ接ぎの翼で、狭間にしがみつく。そのためなら何を捨ててもかまわない。
決めたのは僕だった。
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雑談
シズミカの私的萌えポイントは、お互いに相手のことを思うなら離れるべきだと思いながらも、離せない強欲さです。帝人くんと静雄さんの共通点は、程度の異常な意志の強さで、静雄さんの力も帝人くんの覚醒も、それを貫いてしまった結果だと思います。望みを叶えることそれ自体は一見素晴らしいことに見えますが、そこから生じたことの責任は一生背負っていかなければいけないというシビアさも描かれている点が、成田作品の面白さの一つなんじゃないかなあとも思っています。