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サヨナラの挨拶をして

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「おい、あのガキどこに行った!」
 カジノ側は、ダークスーツだけならいざ知らず、ウェイターまで引っ張りだしてきている。
 夜とはいえ、まだ早い時間にあんな集団が走りまわってるんじゃ、目立つことこの上ない。
 それでも多勢に無勢なのは間違いない。
 どうにか逃げねえと、と、逃走経路を考えていると、ファンファンと音を立ててパトカーが集まってきた。
「……げ、まさか警察まで?」
 咄嗟に姿を隠そうとしたが、しげるがオレの手を引いた。
「違うよ。警察の狙いはあっち。あのカジノを挙げようっていうんでしょ。どれだけ捕まるか知らないけど。……あのタヌキ親父。金にならなきゃ点数を稼ごうって肚かよ」
 しげるはコトのカラクリを理解しているのか、オレの手を引っ張ったまま、どんどんと人気のない方に走っていく。
「多分、警察を呼んだのは安岡さんの差し金さ。あの人、あれでも刑事だからね」
「え、え? あの、警察が連中を捕まえに来たんなら、オレたちは逃げなくてもいいんじゃ……?」
「同じ穴の狢なのは変わりないだろ。賭博容疑なら客もくそもねーよ。それにオレは未成年だぜ。あんなとこに未成年連れ回して、カイジさん、あんたどう言い逃れるつもりだい?」
 言われてみればその通りで、オレはぐっと唸るしかなかった。
「大体、あんなとこで捕まるのなんざ、下っ端だけと相場が決まってら。どこの馬の骨ともつかない一見客なんて、それこそ態のいいトカゲのしっぽにしかならねーよ」
 淡々としげるは言う。実際それは事実なんだろう。だから、あれこれと大仰な抑揚を付ける必要はないということか。
 けれど、淡泊に見えるその横顔が妙に楽しそうに見えて、ぞくりとする。
 足の力が抜けて、それから音が消えて、周囲の雑音が真っ白に消え失せる。
 オレは多分関わってはいけないものに関わっているんじゃないのか。
 ヤバそうな連中に追いかけられているのよりももっと、根本的にヤバい状態に陥ってしまった気がして、心臓が強く脈打つ。
 あぁ、でもきっと逃れられない。
 辿りついたのは建設途中のビルで、しげるはようやくそこで足を止めた。
 しばらくここで様子を伺って、それから預かったPHSで安岡に連絡を入れようとして……誰かが近づいてきているのに気が付いた。
「何の用?」
 しげるの問いかけに、近づいてきた奴が姿を現す。
「あれ……隣のパチンカ……お隣さん」
 あぶねーあぶねー。つい、パチンカスって呼んじまうとこだった。
 いくらなんでも本人に向かって、パチンカスはない。
「あぁ、やっぱり隣のガキじゃねーか」
「おい! オレは気を遣ってんのに、ガキっててめぇ!」
「あぁ? ガキはガキだろうが。ガキがガキ連れでカジノとはいいご身分だよな。ほら、そっちのガキを寄越せよ。ついでに世間知らずのガキに、社会勉強させてやるから授業料を出しな」
 へらっとお隣さんは笑って、カチカチと飛び出しナイフを弄んだ。
 いきなり光モン持ちだしてくるなんて、こいつやべーぞおい。
「が、ガキを寄越せって……しげるをどうする気だ」
 さすがにガキを前面に出す気にはならなくて、それとなく背後にしげるを庇う。
 お隣さんはオレの行動が気に障ったのか、舌打ちをして顔を歪めた。
「んなもん知るかよ。そのガキ連れて行きゃ、俺の借金はチャラになるんだ。ほら、寄こせって。なぁ。お前、別にガキとかいなかったろ? 親戚かなんか知らないけど、てめえのガキでもないのにどうなろうがいいじゃねえか」
 聞き分けのない子供をなだめすかすみたいに、不自然な笑顔を貼り付けて、お隣さんがじりじりと近寄ってくる。
 こいつ狂ってやがる。
 どうせ借金って言ったって、ギャンブルで作った自業自得のモノだろ。
 それを見ず知らずとはいえ、こんなガキに押し付けようだなんて……。
 怒りで頭が真っ白になっていると、ガチャリ、という金属音に続き、パス、パス、と乾いた音がした。
「うわぁああああああ!」
 目の前の男が絶叫する。
 え、な、何?
 何が起きたのかわからず呆然としていると、飛び出しナイフを取り落し、太ももを抑える男の手から血が溢れ出した。
「その程度なら動けるでしょ。次は頭を狙うよ」
 慌ててしげるの方を向くと、しげるの手には黒い武骨な塊があって、男に向けられた口からは硝煙が上がっていた。
「はぁ?」
「カイジさん、うるさい」
 パス、また軽い音を立てて、拳銃が跳ねあがる。
「あぁ、外した」
 銃弾はお隣さんのこめかみ辺りをかすめたらしかった。
「ひぃいいあああああああああ!」
 腰が抜けたのか、よたよたと男は逃げていく。
 オレたちも今のうちに移動しなければ、まだ追手がいるかもしれない。
 逃げなくてはいけないのに、それどころじゃなかった。
「じゅ、じゅ、銃刀法違反……なななな、なんだそれ。なんだってそんなもん……」
「あぁ、これ?」
 しげるは、銃口をふう、と吹き、指先でそっとその口を撫でた。
「おもちゃだよ」
「いやいやいや、おもちゃなんかじゃなかっただろ! おま、さっき、殺す気だったのかよ!」
 思わず突っ込むと、しげるはクルクルと指先で弄びながら、愉快そうに笑った。
「おもちゃみたいなもんさ。こんな、オレみたいなガキが片手で使える程度のチャカじゃ、死にゃしないさ。よっぽど当たり所が悪くたってせいぜい失明ぐらいのもんだよ」
「おまっ……おま、おま……」
 しげるは再び拳銃に指を添わせて、それからおもむろにズボンにしまい込んだ。
「さ、こんなとこでもたもたしてられないし、それ貸して」
「お、おう……」
 差し出された手にPHSを乗せると、しげるは手慣れた様子で操作して、安岡に電話を掛けた。
 オレはぼんやりしげるを眺めていた。
 ……なんというか、住む世界が違う。
 それからすぐに安岡と落ち合って、オレは幾許かの報酬を受け取った。
 なんだか、何もかもが夢の中の出来事みたいだった。
「それじゃ、カイジさん。またいつかどこかで」
 まっすぐにオレを見るしげるの目は、どう見たって年相応にしか見えないのに、オレには何でかそっちの方がよっぽど恐ろしい気がした。
「……もう会わねえよ」
「そうかな」
 くく、としげるは喉を鳴らして笑う。
「オレはね、あんたとはきっとまた会う気がするよ」
 色の白い肌で弧を描く傷口から、ドロリと闇が溶け落ちる。
作品名:サヨナラの挨拶をして 作家名:千夏