赦される日 - Final Episode 2 -
その年の8月も末のことだった。村で雑貨屋を開いているマーシャ・ロバーノワのところに、ポサドの街に住む弟の一家が、週末を過ごしにやってきた。森でピクニックを兼ねてキノコ狩りをするつもりだと言う。ちょうど良い具合に、金曜日の夜に程よい小雨が降り、土曜日は朝から晴れ上がった。キノコを探すには絶好の日和だった。マーシャは土曜の午前中も店を開けるので家に残ったが、弟夫婦は6歳の息子アリョーシャと、マーシャの二人の子供たちを連れて、自慢の4輪駆動車に乗って森に出かけていった。子供たちは大喜びだったが、特にアリョーシャは有頂天だった。街に暮らすアリョーシャにとって、森は別世界だったのだ。何種類かの食用キノコの特徴と見分け方を教えてもらい、それ以外のキノコには手を出さないという約束で、自由に探してよいという許可を得ると、ピクニックの昼食もそこそこに森の中を歩き回っていた。
一方マーシャの子供たちは少し年長でもあり、また例年の恒例行事であるキノコ狩りよりも、叔父夫婦が土産にくれたポケットサイズのゲーム機の方が目新しかったので、もっぱら草の上に寝そべって菓子をつまみながら液晶画面とにらめっこをしていた。
始めのうちアリョーシャは、大きなキノコを見つけると、いちいち両親や従兄弟に見せびらかしにきていたが、やがて同じような発見が度重なると報告に来るのも面倒になったらしく、時々水を飲みに戻って来る程度になった。
「あんまり夢中になって遠くへ行くなよ。迷うぞ」
水を飲んで、またすぐ森の中に駆けていく息子に、父親のヴァロージャが注意した。
「そんな遠くに行かないよ、ここの周りだけでもキノコがいっぱいなんだから!」
アリョーシャは走りながら振り返り、そう言って笑った。それでヴァロージャも安心してしまったのだ。
午後7時を回ってそろそろ帰り支度をしようという頃、従兄弟たちが森に向かってアリョーシャを呼んだ。だが、返事はなかった。森はピクニックをしていた草地の周りをほぼ360度取り囲んでいたので、何度か向きを変えてアリョーシャの名前をくり返し叫んでみたが、やはり返事がない。皆、だんだん不安になってきた。そこで今度は両親と従兄弟の4人が手分けして、草地の周りの森を歩き回りながらそれぞれの方角に向かってアリョーシャの名前を呼んだ。それでも返事は聞こえなかった。ヴァロージャは色を失い、母親のレーナは取り乱し、従兄弟たちは右往左往していたが、アリョーシャは一向に森から出てこなかった。
すでに陽は傾きつつある。ヴァロージャは決断をくだした。4人の中に、この森に詳しい者は誰もいない。いったん村に戻って事情を話し、森の地形に精通している村人に同行を頼んで、完全に暗くなる前に森の中を捜索するのが最善と思われた。4人は大急ぎでピクニックを撤収し、村へと車を走らせた。
従兄弟たちが森に向かってアリョーシャの名を呼んでいた頃、サーシャ・ザイコフも森の奥深くを歩いていた。
特にキノコ採りなどの目的があったわけではない。彼にとってそれは、ほとんど日課のようなものだった。あの家に住むようになって以来、しょっちゅう散歩していたおかげで、今では森の隅々まで知り尽くしている。そして気が向くとこうして深い所まで入り込んで、黄金色の斜陽に映える白樺の木々の輝きを楽しんだりするのだった。
だが夏もそろそろ終わり、夕暮れ時には気温もずいぶん下がるようになってきた。そこで散歩を切り上げることにして、特に急ぐでもなくイズバの方向へ戻りかけていた時だった。木々の静寂の中に、自分以外の何者かが落ち葉を踏み分ける音を聞いた。めずらしいこともあるものだ、とサーシャは思った。こんなに深いところまで入り込んでくる人間は、真夏でもめったにいない。村人がキノコ採りに来ているのだろうか。顔を合わせてもお互い気まずいので、姿を見せずにやり過ごそうと、身体の向きを変えた時だった。
「パパ! マーマ! どこにいるの?」
ほとんど泣きながら叫ぶ、幼い少年の声が聞こえた。
子供か…。サーシャは振り返った。どうやら道に迷ったらしいが、どこをどう歩いて来たのか、ずいぶん奥までさまよい込んだものだ。仕方がない、放っておくわけにもいくまい。サーシャは声のした方に行ってみることにした。と、向こうでもこちらの足音を聞いたのだろう。
「誰なの? パパ? ママ? リョーニャ? ジェーニャ?」
そう叫びながら走り出した。深くつもった落ち葉に隠れて、木の根や折れた枝が転がっている。走ってつまづくと、勢いがついているだけに危ない。
「走るんじゃない。今そっちへ行くから、落ち着いてゆっくり歩きたまえ」
サーシャはそう言って声をかけた。
聞き覚えのない声に、子供の方は一瞬ためらって足を止めたが、この森の中で人の声を聞いて少し安心したようだ。再び落ち葉を踏む音が聞こえてきたと思ったら、10メートルほど先のスグリの繁みの向こうから、子供の頭がひょいと覗いた。べそをかいた顔に、それでも少しホッとしたような表情をうかべている。サーシャが傍に近づくと、意外にしっかりとした声でこう訊ねた。
「ジェードゥシカ(おじいさん)、僕のパパとママを見なかった?」
「残念ながら見かけなかったな」
サーシャはそう言いながら、少年のそばにかがみ込んだ。手も足も泥だらけで、ひざ小僧をすりむいていたが、その他にケガはしていない。ただ、不安をかかえて長く歩き回ったせいで、ひどく疲れているようだ。
「ここは森の中でもかなり奥の方だ。めったに人は入ってこない。君はいつ頃、両親とはぐれたんだね?」
「わかんない」
そう言って少年はまた涙をこぼし始めたが、しゃくりあげながらも事情は話し続けた。
「パパとママと従兄弟たちは、ピクニックしていたんだ。僕は、その近くでキノコを探してた。そんなに遠くまでは来てないと思ってたのに、気がついたらどこにいるのか分からなくなってて、それでみんなを一生懸命さがしてたんだ」
「ふむ。そのピクニックをしていたのは、どんな所だったね? つまり、近くに池があったとか、車の通れる道路のそばだったとか…?」
サーシャの問いに、少年は一生懸命思い出そうとしていたが、やがてこう答えた。
「池はなかったけど、道路の近くだよ。僕たち、車で来たんだもん。道路に車をとめて森に入って、5分か10分歩いたら日当たりのいい所があったんだ。そこだけ木が生えてなくて、草むらになってて…」
「その草地は、長く伸びた広いところだったかね?」
「そんなに広くない。丸っこい広場みたいな感じ」
「なるほど…」
サーシャは少し考えてから言った。
「私の知っている限り、それらしい草地はふたつあるが、どちらもここからは少し遠い所だ。君はたぶん、反対の方向に歩いてきてしまったんだな」
「僕、そこへ行きたい。どっちへ行けばいいの?」
作品名:赦される日 - Final Episode 2 - 作家名:Angie