第二部6 (79)復讐
アーレンスマイヤ家の従僕とフレンスドルフ校長、そして出奔したヘルマン・ヴィルクリヒとの関係―。ユリウス親子に寄生虫のつき纏い、アーレンスマイヤ家へ乗り込んだも、その後突如行方を眩ませたヤーンという男。
バラバラで、断片的なピースに過ぎなかったこれらの情報のいくつかが、連結し始めたのは、ほんの偶然の出来事からだった。
とある日の午後―。
街へ出たダーヴィトがそのまま夕食前に軽く一杯と思い立ち、酒場のある通りへと入って行った時、どこか人目を避けるようにあたりを憚りながら歩く見覚えのある男の姿が目の端に映った。
― ヤーコプ!
それは、アネロッテ、フレンスドルフ校長、そしてヘルマン・ヴィルクリヒの三者と繋がっており、目下ダーヴィトの事を監視している(と思われる)、アーレンスマイヤ家の従僕だった。
あの―、初めてマリア・バルバラと口づけを交わした後に彼女から聞いた話がダーヴィトの脳裏に蘇る。
― その直後にね、ちょっとしたきっかけから、私、ヤーコプの…身元調査を依頼したの。うちに来る前の彼の来歴を。その結果、ヤーコプはミュンヘンのフォン・ベーリンガー家というミュンヘンの上院議員の家の執事の一人息子だったという事が分かったわ。彼が5歳の時にそこのご夫妻が亡くなり、その後消息が途絶えたのだけれど、彼が15の時窃盗で警察に留置された際に、クルツという人物が身元引受人として現れ、以後彼がレーゲンスブルグに引き取り馬車の御者として生計を立て、後に我が家へ従僕として就職し、今に至る とのことだったわ。その…フォン・ベーリンガーという家が…、どうもどこかで聞いた事のあるような名前の気がするのだけれど、思い出せなくて・・・・。バイエルンの州都ミュンヘンで上院議員まで務めた家柄だから相当な名家だとは思うのだけれど・・・・。クルツ?…その人物の事は…結局分からずじまいだったわ。そう。私がヤーコプの身元調査を依頼した時、同時にね、ユリウスと、それからアネロッテも同じく彼の身辺調査を依頼していたらしいわ。彼女たちも…なんらかの不審を彼に抱いていたのでしょうね。
なぜ州都の名家の執事の子息という卑しからざる身の上の彼が、現在地方都市の名士の従僕などという身分に甘んじているのか、もしかしたらあの家に入り込むことが目的だったのか?それは誰の差し金で?
気付かれないように、ヤーコプの後をつけるダーヴィトの頭の中に、いくつものとりとめのないクエスチョンが浮かんでくる。
ヤーコプは飲食店街の中でもひときわ奥まった場末の酒場へと入って行った。
彼に気付かれないように注意しながら、ダーヴィトも少し遅れてその酒場へ入る。
客は多くも少なくもなく、ヤーコプの掛けた席から少し離れた席に陣取る。
誰かと待ち合わせているのだろう。絶えず入口のドアを注視している。
― 一体…誰と待ち合わせている?…校長先生?それとも…。
そんなヤーコプの動向をダーヴィトがじっと目で追う。
やがて、ヤーコプの待ち人が酒場に現れた。
― ヴィルクリヒ先生?!
ヤーコプの前に現れたのは、出奔して街を出たはずの、ヘルマン・ヴィルクリヒだった。
ヤーコプの前にかけると、二人は頭を寄せ合って話を始めた。
ダーヴィトが二人の話に必死に耳をそばだてる。
酒場の喧騒になれた耳に、断片的に二人の会話が入って来る。
会話の内容は穏やかなものではないらしい。
二人がもめているのが聞き取れる。
― ですが…エルンスト様・・・・。お祖父様は…あなた様に裏切られて…とても悲しみ憤っております・・・・。
― そこを何とか。何とか説得してくれ!ヤーコプ。…もうこんなことは…終わりにしようと・・・・。
― それは…無理です。…あの…あの出来事を…あなたはお忘れになったのですか?あの…何の罪もないあなた様のご家族が…虫けらのように…あの男に撃ち殺された…あの恐ろしい出来事を…。あなたは…あの悲憤と絶望の中に…お祖父様お一人を置いて…ご自分だけ幸せになるのですか?…しかも、よりによって、あの女と…。
― やめろヤーコプ!…レナーテを…そんな風に言うのは…やめてくれ。彼女も…あの家に…あの男に傷つけられ弄ばれ、人生を狂わされたんだ。…僕らは同じ痛みと憎しみを背負った同士だったんだよ・・・・。お祖父様の事は…レナーテにも話した。…彼女は、お祖父様も一緒に暮らそうと…何もかも、憎しみも悲しみも捨てて傷ついた者同士支え合って生きて行こうと…言ってくれている。頼む…ヤーコプ。お祖父様を…説得してくれ。
― それは…無理です。あなたは…結局自分の幸せと引き換えに、お祖父様の、ご家族の、そして私の無念を晴らす事を放棄したんだ!憎しみと悲しみの中に我々を置き去りにして!!
そう言うと、ヤーコプは乱暴に立ち上がると、ヘルマンを一人残し足早に酒場を去っていった。
後に残されたヘルマンがテーブルの上で頭を抱える。
「随分ご無沙汰しております」
― ここ、いいですか?
ダーヴィトが先ほどまでヤーコプがかけていた椅子に掛けて、ヘルマンと対峙する。
頭上からおもむろに降って来たその声に、ヘルマンが驚いたように灰色の瞳を見開いた。
バラバラで、断片的なピースに過ぎなかったこれらの情報のいくつかが、連結し始めたのは、ほんの偶然の出来事からだった。
とある日の午後―。
街へ出たダーヴィトがそのまま夕食前に軽く一杯と思い立ち、酒場のある通りへと入って行った時、どこか人目を避けるようにあたりを憚りながら歩く見覚えのある男の姿が目の端に映った。
― ヤーコプ!
それは、アネロッテ、フレンスドルフ校長、そしてヘルマン・ヴィルクリヒの三者と繋がっており、目下ダーヴィトの事を監視している(と思われる)、アーレンスマイヤ家の従僕だった。
あの―、初めてマリア・バルバラと口づけを交わした後に彼女から聞いた話がダーヴィトの脳裏に蘇る。
― その直後にね、ちょっとしたきっかけから、私、ヤーコプの…身元調査を依頼したの。うちに来る前の彼の来歴を。その結果、ヤーコプはミュンヘンのフォン・ベーリンガー家というミュンヘンの上院議員の家の執事の一人息子だったという事が分かったわ。彼が5歳の時にそこのご夫妻が亡くなり、その後消息が途絶えたのだけれど、彼が15の時窃盗で警察に留置された際に、クルツという人物が身元引受人として現れ、以後彼がレーゲンスブルグに引き取り馬車の御者として生計を立て、後に我が家へ従僕として就職し、今に至る とのことだったわ。その…フォン・ベーリンガーという家が…、どうもどこかで聞いた事のあるような名前の気がするのだけれど、思い出せなくて・・・・。バイエルンの州都ミュンヘンで上院議員まで務めた家柄だから相当な名家だとは思うのだけれど・・・・。クルツ?…その人物の事は…結局分からずじまいだったわ。そう。私がヤーコプの身元調査を依頼した時、同時にね、ユリウスと、それからアネロッテも同じく彼の身辺調査を依頼していたらしいわ。彼女たちも…なんらかの不審を彼に抱いていたのでしょうね。
なぜ州都の名家の執事の子息という卑しからざる身の上の彼が、現在地方都市の名士の従僕などという身分に甘んじているのか、もしかしたらあの家に入り込むことが目的だったのか?それは誰の差し金で?
気付かれないように、ヤーコプの後をつけるダーヴィトの頭の中に、いくつものとりとめのないクエスチョンが浮かんでくる。
ヤーコプは飲食店街の中でもひときわ奥まった場末の酒場へと入って行った。
彼に気付かれないように注意しながら、ダーヴィトも少し遅れてその酒場へ入る。
客は多くも少なくもなく、ヤーコプの掛けた席から少し離れた席に陣取る。
誰かと待ち合わせているのだろう。絶えず入口のドアを注視している。
― 一体…誰と待ち合わせている?…校長先生?それとも…。
そんなヤーコプの動向をダーヴィトがじっと目で追う。
やがて、ヤーコプの待ち人が酒場に現れた。
― ヴィルクリヒ先生?!
ヤーコプの前に現れたのは、出奔して街を出たはずの、ヘルマン・ヴィルクリヒだった。
ヤーコプの前にかけると、二人は頭を寄せ合って話を始めた。
ダーヴィトが二人の話に必死に耳をそばだてる。
酒場の喧騒になれた耳に、断片的に二人の会話が入って来る。
会話の内容は穏やかなものではないらしい。
二人がもめているのが聞き取れる。
― ですが…エルンスト様・・・・。お祖父様は…あなた様に裏切られて…とても悲しみ憤っております・・・・。
― そこを何とか。何とか説得してくれ!ヤーコプ。…もうこんなことは…終わりにしようと・・・・。
― それは…無理です。…あの…あの出来事を…あなたはお忘れになったのですか?あの…何の罪もないあなた様のご家族が…虫けらのように…あの男に撃ち殺された…あの恐ろしい出来事を…。あなたは…あの悲憤と絶望の中に…お祖父様お一人を置いて…ご自分だけ幸せになるのですか?…しかも、よりによって、あの女と…。
― やめろヤーコプ!…レナーテを…そんな風に言うのは…やめてくれ。彼女も…あの家に…あの男に傷つけられ弄ばれ、人生を狂わされたんだ。…僕らは同じ痛みと憎しみを背負った同士だったんだよ・・・・。お祖父様の事は…レナーテにも話した。…彼女は、お祖父様も一緒に暮らそうと…何もかも、憎しみも悲しみも捨てて傷ついた者同士支え合って生きて行こうと…言ってくれている。頼む…ヤーコプ。お祖父様を…説得してくれ。
― それは…無理です。あなたは…結局自分の幸せと引き換えに、お祖父様の、ご家族の、そして私の無念を晴らす事を放棄したんだ!憎しみと悲しみの中に我々を置き去りにして!!
そう言うと、ヤーコプは乱暴に立ち上がると、ヘルマンを一人残し足早に酒場を去っていった。
後に残されたヘルマンがテーブルの上で頭を抱える。
「随分ご無沙汰しております」
― ここ、いいですか?
ダーヴィトが先ほどまでヤーコプがかけていた椅子に掛けて、ヘルマンと対峙する。
頭上からおもむろに降って来たその声に、ヘルマンが驚いたように灰色の瞳を見開いた。
作品名:第二部6 (79)復讐 作家名:orangelatte