第二部7(80)禁域
果たしてミサの後、ダーヴィトが校長室へと呼び出された。
「最近君の、あまり良からぬ噂を父兄の方々から聞いてね。何でもアーレンスマイヤ家の…、マリア・バルバラ嬢の元へ足繁く通っているとか…。それは事実かね?」
いつもの穏やかな口調でダーヴィトに切り出す。
ー 校長に…気をつけろ。
この間偶然出会ったヘルマン・ヴィルクリヒの言葉がシグナルのように、リフレインする。
「はい。…事実です。失踪したユリウスの姿を最後に見たのは、私だったもので、その時のかの…彼の様子を身内であるマリア・バルバラ嬢へ報告したのがきっかけで…」
「そうか。…彼女は、とても魅力的な女性だね」
「はい。そう思います」
暫く二人の間に沈黙が流れる。
「かけなさい。お茶でもいれよう」
ダーヴィトを応接机に促すと、手ずからお茶を淹れ、振舞った。
「ダーヴィト。マリアさんは魅力的な女性だ。君が惹かれるのも分かるよ。しかし、彼女は…嫁入り前の女性だ。男性がみだりにそんな立場の彼女を訪ねるのは…、紳士として如何なものだろうか?良からぬ噂を立てられて、一番不名誉を託つのは、他ならぬマリアさんではないかね?一時の情熱の昂りに任せて行動するのは…如何なものかと。君だって学生なのだから、学生の本分を弁えて、今一度自分の行動を見直して欲しい」
ー 自分の息子が、イザークの妹に馬鹿みたいに熱を上げて、市場にまでのこのこと顔を出して笑い物になっているのは、棚に上げて…。何が良からぬ噂だよ。
ダーヴィトが心の中でモーリッツの母親とその取り巻きに舌打ちする。
「それで…その良からぬ噂の筋からの要求で、わざわざ僕を呼び出して、ご忠告下さったのでしょうか?」
「いや…まあ。なかなかその筋の方々もうるさ型が多くてね。君は学業も、品行も、そして家柄も申し分ないから、心配無用と申し上げたのだが…」
「ならば、問題ないのでは?僕は、彼女に対して、決して一時の情熱とか…、そのような気持ちで向き合っているわけではありません。…彼女が背負っている、様々な…例えばあの家の事とか、彼女さえ僕にそれを許してくれるのであれば、それさえも彼女と一緒に背負っていくつもりでさえ、あります」
あの家 とダーヴィトが口にした時に、僅かに校長から緊張感が発せられた。
「…今後、このような苦情が保護者から寄せられるような事があると…こちらも君の親御さんに報告して…場合によっては、謹慎処分をとる事も止むを得なくなるが」
「謹慎…ですか?」
「左様」
「ハ…。ハハ…。どの筋からの圧力なのかは分からないけれど、余程の脅威と見える。上等ですよ。ダーヴィト・ラッセン、ご忠告をしかと承りました…と、その保護者の方にお伝え下さい」
「…何の事かね?」
「いえ…何でも。もう、よろしいでしょうか?夕方の点呼に遅れますので。お茶御馳走様でした」
ー 失礼します。
慇懃に挨拶すると、ダーヴィトは校長室を足早に辞去した。
ー ガチャン!
ダーヴィトが去った後、校長が、手にしたティーカップを乱暴に置いた音が校長室に響き渡った。
作品名:第二部7(80)禁域 作家名:orangelatte