第二部16(89)取引
「一体、この私と何の、何を、取り引きをしようというのかな?アーレンスマイヤ家のガーディアン殿」
帝国警察の刑事は、結局ダーヴィトの話に乗ってきた。
二人で酒場に場所を移し、話を開始する。
「取り引きしたいのは、情報だ。僕らが掴んだ情報と、あなたが持っている情報。これらの情報をトレードしたい」
ダーヴィトの提案に、刑事は驚いたように片眉を上げた。
「呪われたアーレンスマイヤ家。地元ではそう言われているんだってね。確かにあの家の事を調べていくと、色々な過去があぶり出されてきた。それから過去の扉に手をかけた途端に、故意的な妨害としか思えない不可解な出来事」
「あの火事騒ぎか?確かあんたも当事者だったな」
「まあね。その他にも、今にして思うと明らかに、探られたくないものを探り始めた僕らを牽制するような動きはあった」
「ほう」
「そこに、今回のマリアの負傷と、アネロッテさんのパーティの首飾り騒ぎだ。事件は起こる。だけどそれが事由と繋がらない…」
「それで、私の情報と、そちらさんの情報をトレードしようというんだな。フン。曲がりなりにも刑事の私にそんな取り引きを持ちかけるなんて、あんた若いくせになかなかのすれっからしだな。フ…いいだろう。その話に乗った。取引に応じよう。言い出しっぺのそっちから話せよ。但し、どうでもいいような情報だったらこちらの情報は明かせないぜ」
「…いいだろう。まずは事の発端は…恐らく今から30年前に起きた、ミュンヘンのフォン・ベーリンガー事件だ」
ダーヴィトがフォン・ベーリンガーの名前を出したその時に、刑事のこめかみがピクリと震えた。
「ほう、そこへたどり着いたか。あんた飄々としてるわりには、なかなかの切れ者だな。…続けろや」
「あの事件で、一家全員を殺害したのは、当時ドイツ陸軍情報局に所属していてビスマルクの腹心だったアルフレート・フォン・アーレンスマイヤと、あのドレフュス事件にも関与したマクシミリアン・フォン・シュワルツコッペン。調べていくと、この事件にはどうも不審な点が多い。いくら抵抗されたと言っても、何も一家全員、それも屋敷の使用人に至るまで悉く殺害するというのは、どう考えても尋常じゃない。それは…そう、「死体に口なし」。まるで口封じのようだ」
「口封じ?…何の?」
「フォン・ベーリンガーが握っていた機密がヤバ過ぎるもの…万が一漏洩したら国家を大きく揺るがすレベルの機密だったか…、それとも本当はフォン・ベーリンガーはスパイではなく、スケープゴートだったか…」
「フン・・・。ドレフュス事件と一緒か…」
「いずれにしても、今の段階では、何故逮捕に向かったアルフレートらがあのような行為に至ったかは、まだ分からない。…先続けていい?」
「ああ」
「そこまでしておきながら、その事件後アルフレートは良心の呵責からなのか、軍には「一家全員死亡」と虚偽の報告を上げ、その一方で5歳になる遺児を密かに匿ってフランクフルトで手厚く生活の面倒を見ていたことが分かった。フランクフルト・アム・マインの帝国銀行に、アルフレートがエルンストと思われる子供を匿った修道僧に定期的に送金していた記録があったらしい。それから―、ユリウス母子にダニのようにくっ付いていたゲルハルト・ヤーン。イギリスと通じてスパイ活動をしていたヤーンが、ユリウス母子に接触したのは、アルフレートが何か莫大な価値を生み出す機密を握っているという事を掴んでいたからかもしれない。恐らく、まだユリウスが生まれる前、あの事件が起きた直後から何とかしてアルフレートに接触出来ないか…と、糸口を探して、アルフレートの周りに密かに網を張っていたのだろう。そうやってアルフレートをマークし続けていたヤーンの張り廻らせた網に引っかかったのが、彼の子を身籠ったまま捨てられた不遇なユリウスの母親だった。男の子のいないアーレンスマイヤ家に、アルフレートの血を引くユリウスは強力な切り札となる。それで、ヤーンはこの不遇な親子にコバンザメのようにくっ付いて、大手を振って念願のアーレンスマイヤ家に入り込むことに成功した」
「ほう…」
「ただし、彼はある日突然夜逃げのように姿をくらまし、今も行方不明だ。元がスパイだった人間だ。あるいはもっとヤバイ事に首を突っ込んでいて、その結果消息を眩ませる必要があったのかもしれないが、ここも詳しい事は分からないから、取りあえずヤーンの事は保留にしておこうと思う」
「まあ、仕方がないやな」
「あの家をつけ狙っているのは、まさにあのベーリンガー事件の復讐を企む者だ。これは間違いない。…ぼくらの学校にいた、ヘルマン・ヴィルクリヒという教師を知っているかい?」
「ああ。…アーレンスマイヤ家の若後家と出奔したという噂の」
「そう。彼は、実はあのベーリンガー家の生き残りだ。彼こそが当時5歳だったエルンストで十中八九間違いない。そしてアーレンスマイヤ家に仕えているヤーコプ。彼はあのベーリンガー家の執事の息子だという事が陸軍情報局の調査で判明している。二人の親権執行者はハインツ・フレンスドルフ。僕らの学校の校長だ。フレンスドルフ校長は、ヴィルクリヒ先生の、祖父だという。これは…お忍びでレーゲンスブルグに戻って来てヤーコプと密会していたヴィルクリヒ先生を偶然目撃して、二人の会話をこっそり聞いて判明した。そして、その事はヴィルクリヒ先生も認めている。彼は、自分たちの目的が「復讐」で、「校長に気をつけろ」と僕に忠告してくれた。…ユリウスのお母さんと新しい人生を踏み出した彼に、もう復讐を成し遂げる意志は薄いようだった。むしろ、それを阻止したがっているようだったな。ちなみに、ヤーコプは校長とも、それからアーレンスマイヤ家のアネロッテとも繋がっている。僕は校長先生と接触しているヤーコプも別の機会に目撃している」
「…」
「しかしこのヴィルクリヒ先生と校長の関係がイマイチ分からない。エルンストの母親、つまりフォン・ベーリンガー夫人はあのトルン・ウント・タクシス家の出身だ。校長とはどうしても繋がらない…。エルンストは養子だったのか…」
そこまで聞いていた刑事がここで初めて口を開いた。
「養子なんかじゃないぜ」
「え?」
作品名:第二部16(89)取引 作家名:orangelatte