第二部23(96) 嵐の後
「ここ座れ!」
浴室にスツールを置いて、アレクセイがシュミーズ姿のユリウスを座らせる。
背中を覆うほどに長く伸びた髪を梳り、手桶で水をかける。彼女の豊かな長い金髪がしっとりとした重みを帯びる。
石鹸を泡立てシャボンで髪を包み込み、地肌に指を入れマッサージするように丁寧に洗っていく。
「気持ちいいか?」
「うん!すっごく気持ちいい」
「シャボンが入るから目、つぶってろ」
「は~い」
シャボンを流し、ハーブビネガーでリンスして、長い髪の水気を絞る。
「髪、長くなったな」
「そうだね…」
「きれいだ」
「…ありがとう」
ユリウスが洗い髪をキュッと簪で一つにまとめる。
露わになった細く白い首筋にアレクセイが口づけた。
アレクセイの唇の感触のこそばゆさに、ユリウスがキュッと肩を竦める。
「随分器用に纏めるんもんだな」
アレクセイがユリウスの簪一本で纏められた髪を指でつつく。
「えへへ。髪を洗った後はね、こうしてまとめてることが多いんだ」
「これ、もしかしてペン軸か?」
ユリウスが簪として使っていたのは、アルラウネから貰ったつけペンのペン軸だった。
セルロイド製のマーブル模様の黒のペン軸が彼女の艶を帯びた金の洗い髪によく映える。
「うん。ぼくは…手紙を書く人とかいないし。最近はもっぱら筆記具は鉛筆を使っているから。アルラウネに見られたらまたお小言貰っちゃうね」
「ユリア、ペン軸は字を書くものであって、髪を纏めるものじゃなくってよ!」
アレクセイが裏声でアルラウネの口調を真似て見せる。
「アハハ…そうそう!」
アレクセイの物まねにユリウスが大きなお腹を抱えて笑い転げる。
「ごめんな…。髪飾りの一つも買ってやれなくて」
「ううん。だってこれで間に合ってるから。それに、このペン軸は…なかなかぼくの髪の色に合っていると思わない?」
茶目っ気たっぷりに碧の瞳をクリクリさせながらユリウスはそう言うと、髪にささったペン軸を指さした。
「ああ。実は…そう思った」
「でしょ?」
二人が顔を見合わせて笑いあった。
「ねえ、アレクセイ。ぼくもアレクセイの髪、洗ってあげる」
―交代交代!
ユリウスがスツールから立ち上がって、アレクセイを掛けさせた。
「ええ?大丈夫か?お前、無理すんなよ」
「だ~いじょうぶだって!シャツ、脱いで!」
アレクセイのシャツを脱がすと、亜麻色の真っすぐな長髪を櫛で丁寧に梳り、手桶で水をかけた。
さっき自分がやってもらったのと同じように、石鹸を泡立てアレクセイの頭を揉み解すようにシャンプーしていく。
「お、なかなか気持ちいいもんだな」
「でしょう?おかゆいところはございませんか?」
「鼻の頭」
「もう!そこは頭じゃないでしょ?」
そう言ってユリウスはシャボンのついた手でアレクセイの鼻の頭にチョンと触れた。
「あはは…。お約束だ。お約束」
そう言って、アレクセイが鼻の頭に着いたシャボンをフッと吹き飛ばした。
「アレクセイの髪って、サラサラで真っすぐで気持ちがいいよね」
「俺はお前の柔らかいクルクルの髪が好きだ」
「生まれてくる子は…クルクルかな?サラサラかな?」
「さあな。でもどっちも可愛いと思うぜ」
「ぼくはサラサラがいいな」
「そうか」
「でも…。どっちでもいいや」
「そうだな…」
洗い上がった髪をアレクセイはリネンでワシャワシャと水気を拭取った。
洗い髪に下着姿のまま、リビングの日だまりに長椅子を移動させ、二人並んで腰かけて太陽の光を存分に浴びる。
「気持ちいいねぇ」
「そうだな…」
「こんな休日も…いいね」
「ああ」
「…ねえ。ピー助の事…覚えてる?あの時さ、あなた「お母さんが来るまで、オレとこいつが親代わりだからな」って言ったでしょ?…あれからたった一年で…ぼくらは本当のパパとママになるんだよ。…何だか…まだ信じられないよ。…あれ?また寝ちゃったの?」
「zzzzz…」
肩に感じたアレクセイの頭の重みに、ユリウスは満ち足りた思いで、彼の頭の天辺にキスを落すと、自分の髪を纏めていた簪を引き抜き、背中に零れ落ちた長い髪に指を入れて2~3度軽く揺すると、肩に凭れかかったアレクセイの頭に自分の頭をそっと凭せかけた。
そうしているうちに心地の良い微睡がユリウスをも包み込み、二人は頭を寄せ合って再びの眠りに誘われた。
「あら…あらあら!」
アパートへ戻って来たアルラウネの目に飛び込んできたのは、夕刻が近づき窓から入る涼やかな風にすっかり乾いた髪を遊ばせながら寄り添いあって眠りに落ちていた義弟と義妹の姿だった。
「…まったく。夏だとは言え…風邪ひくわよ」
そう言いながら、アルラウネは眠る二人にそっとブランケットをかけた。
作品名:第二部23(96) 嵐の後 作家名:orangelatte