番外編 ~横顔~
1919年。パッサウ。
「ねえ、お母さん。もっと大人っぽいヘアスタイルにして貰えないかなぁ。もう子供じゃないんだから」
母親に長い金髪を預けていた14歳のエレオノーレが少し口を尖らせて母親が編んだ金のお下げの裾を両手で持ち上げた。
「とってもよく似合っているわよ」
娘の不満など馬耳東風とでもいったように、レナーテは娘の髪を白い指でツイとなぞった。
「え~。…もう、こんなお下げ、子供みたい。レアみたいな流行のフラッパーにしたいなぁ」
― ねえ、どう思う?
そう言ってエレオノーレはグレーの瞳をキラキラさせて、鏡越しに母親に意見を求める。
娘の白く細い首筋と自分を仰ぎ見たその顔に、同じように自分を見上げて自嘲的な笑いを浮かべた、同じ顔だちをした長女との会話が不意に蘇る。
― どうせ男の子のふりをするんだったら、もっと短くすればいいのに
― あまり短くすると…首もとが露わになって…女の子だってばれてしまうかもしれない。…頬から首のラインは男女差が顕著に出るから…。
女の子としての幸せを何一つ与えてあげられなかった可哀想な長女の、時折短い髪の間からのぞいていた白く細い、頼りなげな首筋の記憶が蘇る。
「…お母さん?どうしたの?」
そんなレナーテの様子に、訝し気に鏡越しにエレオノーレが問いかける。
「え?あぁ、何でもないわ」
「あ、またお姉さんのこと、考えてたんでしょう?だって、お母さん。お姉さんの事考えているときいっつもそう言う顔してるもん」
「え?そ、そう?」
図星を突かれて少し慌てたレナーテに、
「そうだよ~。ねえ、お姉さんって…私と顔、似ているんでしょう?お父さんもお祖父さんも言ってた。お母さん、お姉さんの髪も、こうして結ってあげてた?お姉さんにも文句言われてたんじゃないの?もっと大人っぽく結ってって」
姉の背負って来た人生を露ほども知らぬ幸せな娘が、無邪気にまだ見ぬ姉の事を訊ねる。
「…そんな事ないわ。あの子は…そんなことは一言も言ったりしない…それは親思いの、いい子だった。いつも私の事を思い遣ってくれて…」
― だから…あの子のその優しさに甘えて…まだほんの少女だったのに、辛い思いばかりさせてしまった…。
ユリウスへの想いを心の奥底にしまい、泣き笑いのような顔で少し鼻をツンと聳やかせてそう言ったレナーテに、
「あ~、ハイハイ。お姉さんは、綺麗な上に、聡明で、優しくて、非の打ちどころのない女の子だったんだよね?…でもすごいな~。そんなお姉さんが…全てを捨ててついて行った男の人って…どんな人なんだろう~」
― 私も、そんな人に出会って…素敵な恋をしてみた~い!
エレオノーレが夢見るような面もちで両手を組んで宙を仰いだ。
「…あなたも、出会えるわよ。私の娘だもの」
そんな娘の両肩に両手を置いて、二人で鏡に顔を映す。
無邪気な笑顔を浮かべている娘に、同じ齢の頃自分の元から羽ばたいていった長女の、勝気な鎧をふと脱いだときの柔らかな笑顔が重なる。
― ユリウス…。今、あなた幸せ?
レナーテはその面影に向かって心の中で語りかけた。
作品名:番外編 ~横顔~ 作家名:orangelatte