猫のいる生活
「足柄さん、猫、飼いたくないですか?」
そんなこと急に言われても返答に困るわ。
「どうしたの、大淀? 捨て猫でも拾ったの?」
「いえ、そういうわけではないんですけど」
などと言いながら意味深にメガネをクイッと持ち上げる大淀。
私は知っている。こういうときの大淀はろくなことを考えていない。普段は真面目なのにたまにこういうことがあるのよね。
「で、どうですか? 猫、飼いたいですか? それとも飼いたくないですか?」
「うーん、そうねえ……」
猫なら艦娘になる前に実家で飼っていたけど、今は寮生活だからペットは無理だし、仮に飼えたとしても、もし轟沈して帰ってくることが出来なかったらと思うとやはり躊躇してしまうわね。
でも、だからこそ憧れる気持ちはある。
また子供の頃のように猫と一緒に遊んだりお昼寝したり出来たらどんなにいいことか。想像するだけでワクワクしちゃうわ。
「……飼えることなら飼ってみたいわね」
「そんな足柄さんのためにご用意したのがこちら、霞ちゃんです」
「いや、どこから取り出したのよ。ていうか猫じゃないじゃない」
……ん? いや、よく見たらいつもの霞じゃない。頭に猫耳が付いている。
「え、まさか、これ? 大淀、これが猫ですとか言うつもり?」
「ええ、これが猫です」
自信満々にうなずく大淀。
「ちょっと、いくらなんでもバカにしすぎじゃない? 確かに本物みたいによく出来た猫耳だとは思うけど……」
などと言いながら霞の猫耳に触ろうと手を伸ばすと。
ヒョイ。
「……うん?」
霞が無言で私の手を避けた。
もう一度手を伸ばしてみる。
ヒョイ。
また避けられた。
「霞、猫のふりなんてしなくていいのよ? 大淀の変な企みに付き合うなんて、やっぱりなんだかんだで面倒見いいわよね」
しかし私の言葉には応えず、代わりにじっと私を見つめてくる霞。
何かしら、この感じ。なんだか懐かしいような……そう、これは実家で飼っていた猫を思い出させるわね。
……えっ、これって……『これが猫です』って、つまり……。
「どういうことだってばよ、大淀!?」
「どうやら猫になってしまったようなんですよね」
「いや、なってしまったようなんですじゃなく。理由を教えてくれないかしら?」
「最初はちょっと猫耳を生やすだけのつもりだったんですけどね」
「もうその理由からしておかしい」
大淀、あなた疲れてるのよ。
「それで明石に頼んで猫耳を生やす薬を作ってもらって、霞ちゃんに一服盛ったんですけど、薬が効き過ぎたみたいで、猫耳を生やすどころか猫になってしまったんです」
「どこからツッコんでいいものやら」
頭が痛くなってきたわ。
「幸い、薬の効果は長くても数時間らしいですし、せっかくだから猫霞ちゃんと遊ぼうと思ったんですけど……」
「けど、何よ?」
「全然なついてくれないんですよ! 足柄さんだってさっき撫でようとしたけど避けられたでしょう? 私も撫でようとしたんですけど避けられてばかりで困ってしまって」
「なるほど、それで私に助けを求めてきたわけね」
ようやく事件の全貌が明らかになった。とてつもなくくだらない事件ではあるけど、このままほっとくのも可哀想だし、昔取った杵柄ってやつをちょいと見せてあげようかしらね。
「さっきみたいに無理やり撫でようとしてもダメなのよ。こういうときはこうするのよ」
私は右手の人差し指だけを立てて霞の鼻先へ持っていった。すると霞は人差し指の先に自分の鼻を近づけて臭いをかいだ後、指に頬をこすりつけ始めた。そのタイミングで手を開けば自然と霞のあごを撫でる体勢になるから、あとはあごなり首なりを撫でてあげればいい。
「ね、簡単でしょう?」
「どこがですか!?」
奇跡を目の当たりにしたかのように目を丸くして驚く大淀。
「さっきまで少しも触れなかった霞ちゃんがこんな簡単に……足柄さん、いったいどんなチートを使ったんですか?」
「チートじゃないわよ。猫の習性よ。猫は突起物に敏感だから、指先を鼻に近づけると気になって臭いを嗅ぐの。これが猫にとっては挨拶みたいなものなのよ」
「そうだったんですか……まったく知りませんでした」
「ほーら、よしよし、いい子ね」
霞の首を撫でてあげるとゴロゴロと喉を鳴らした。
これが本当の猫だったらいいのに……霞も可愛いけど。
「ああ、足柄さん、ずるい! 私にも撫でさせてくださいよ!」
「いいわよ。ほら、さっき私がやったみたいに指先を鼻に近づけてみなさい」
「こ、こうですか?」
大淀はおそるおそる指を霞の目の前に持っていった。
霞はスンスンと大淀の指先の臭いを嗅いだ。しかし。
プイッ。
何故かそっぽ向いてしまった。
「なんでですか!? 同じようにやってるのに!」
「おかしいわね……私はこれでいつもなつくのに」
私がまた同じように指先を霞に差し出すと、やっぱりまた指に頬をこすりつけ始める。
「足柄さん、やっぱりチート使ってるでしょ!」
「してないってば。だいたい何よ、猫になつかれるチートって」
そんなのあるなら私だって使いたいわ。
「じゃあ、ほら、おもちゃでも使って遊んであげたらどうかしら? 大淀、猫じゃらしでも持ってないの?」
「それなら持ってますけど……」
猫じゃらしをまたしてもどこからともなく取り出す大淀。
それの方がよっぽどチートだと思うんだけど……まあ、それはいいわ。
「ならそれで遊んであげなさいよ。そうすれば大淀にもきっとなついてくれるって」
「そうですかね……じゃあ、やってみますね」
大淀が猫じゃらしを振り始める。するとそれに反応して霞が穂先を目で追い始める。
「いい反応してるじゃない。これなら飛びつくのも時間の問題ね」
「ほ、本当ですか! これで私もやっと霞ちゃんと仲良くできるんですね!」
大淀は明るい未来に期待を抱き、猫じゃらしを降り続ける。ひたすら降り続ける。
が……駄目っ……! 霞、姿勢が変わらないっ……飛びかからないっ……! 目では追う……追うがっ……追うだけっ……!
「くっ、ならこれでどうですか!」
大淀はさらに早く激しく猫じゃらしを振る。
霞はあくびをした。
「……私は……無力です……」
大淀が膝を付いてがっくりとうなだれてしまった。
そこまでショックを受けなくても……気持ちはわかるけど。
「この子、猫じゃらしはあまり好きじゃないのかしら?」
私は猫じゃらしを手に取り、霞の目の前で振り始めた。霞は先ほどと同じように穂先を目で追い始めた。
目で追ってはくれるってことは、興味がまったくないってわけじゃなさそうなのよね。
「じゃあ、これでどうかしら?」
私は猫じゃらしを持っていない方の手で穂先を隠した。
すると、なんということでしょう。細かった霞の目が見開かれて、見違えるようにまん丸に。
そこから穂先を手の中からちょっとだけ出したり、また隠したりを繰り返すと。
ガバッ!
霞が猫じゃらしに飛びかかってきた。しかし私は素早く猫じゃらしを動かし、霞に捕まることを阻止した。霞は諦めずに再び猫じゃらしに狙いを定める。