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透野サツキ
透野サツキ
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キミシカ知ラナイ

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 ボクは先輩と言う立場上、厳しい事を言ったつもりだけど、春歌はどんな時よりも嬉しそうな顔でソファから立ち上がる。
 ピアノの蓋を開けて楽譜を並べる彼女の様子を眺めながら、ボクはこれから紡がれる音楽に、期待を膨らませる。人前では手を繋ぐ事さえできないボクらだけど、音楽の中でならどこまでも自由に、キミと想いを重ねられる。普通の恋人達とは違っていても、それは例えば、何度もデートを重ねたり、触れ合ったりすることにもきっと似ていて。
 ふと、テーブルの上の雑誌が視界に入る。街の風景をバックにカジュアルな装いで佇んでいる自分の姿と、その横に大きく書かれた文字。キミだけに見せる素顔。そのタイトルに今更ながら、苦笑する。もっとも春歌は気に入ってくれたし、「作品」としては悪くないのかもしれないけど。
 春歌は椅子に座って背筋を伸ばすと、いつも演奏を始める前と同じ様に指慣らしの簡単な曲を弾き、ボクはその旋律に耳を傾ける。
「ねえ春歌、後でお願いがあるんだけど聞いてくれる?」
 曲の終わりを見計らってボクは口を開く。すると春歌は笑顔で振り返って、
「あ、はい。いいですよ。どんなことですか?」
 彼女はただ、これから演奏する曲の事で頭がいっぱいなんだろう。内容の確認もしないで安易に返事をするのはどうかと思うけど、それをわざわざ指摘してあげる程、ボクは優しくない。
「今は秘密。終わってから言うよ」
 くすりと笑ってはぐらかすと、春歌は少し不思議そうな顔でボクを見る。けれどそれ以上ボクが何も言わないのを察すると、そのまま黙って譜面に目を移す。
「まず一回、通して弾きますね。その後、藍くんの意見を聞かせて下さい」
「うん、いいよ。準備が出来たら始めて」
 ボクは両腕を組んでソファに座り直すと、楽譜を確認している春歌の横顔をじっと見つめた。
 ボクの本当の素顔なんて知ってるのは、きっと世界中で一人だけ。
 ヒトの手で作られたこのボクの感情を、キミは見つけ出して育ててくれた。たくさんの優しさと愛情を注いで、人間らしくしてくれた。何よりも大切で、大好きなキミ。いつだって、この手で触れて、抱きしめてキスしたいけど。
 たまにはキミからキスして欲しい、って言ったら困らせるかな。
 ほんの少し甘えてみたい、こんな気持ちも、キミは受け止めてくれる?
 春歌の指が、優しく鍵盤を叩く。その旋律は、ボクの心を見透かしてやわらかく包み込む様に鳴り響く。ゆっくりと、甘く、切なく。
 どうしてキミにはわかってしまうんだろう。足りないもの。焦がれているもの。
 誰にも見せないボクの心の奥まですっと入り込んで、癒してくれる。
 ボクと彼女、二人きりの静かな部屋に、音楽が響き渡って。
「…ホントに敵わないよね」
 曲の終わりに、ボクは小さな声で呟いた。


作品名:キミシカ知ラナイ 作家名:透野サツキ