14の病
2
その病気、中二病について知ったのは、ごく最近のことだ。
聞くところによると、名のとおり主にジュニアハイスクールに通うような子供がかかるらしい。症状は、それこそ人それぞれ、ケースバイケースって話だ。複雑で、やっかいな病気だよ。
妄想、虚言、奇行。色々とあるその症状の中で、俺は特に次の二つに注目した。
1、ありもしないものを見た、体験したといいはる。
(主にファンタジー属性の強いもの。悪魔や天使、精霊。とにかく力の強いものがらみの何かだ)
2、 何か他人とは違う、不思議な力が自分に備わっていると思っている。
(超能力や魔法がメジャーらしい。あとは前世から受け継いだ記憶とか)
どうだい? どこかの眉毛紳士を思い出すだろう?
俺も始めてこの話を友達から聞いた時、思ったんだ。
もしかして、イギリスはこの病気に罹っているんじゃないか? これまでのあの人の奇妙な行動は、すべて病気の症状だったんじゃないかってね。
考えれば考える程、そうとしか思えなくなった。
だからここしばらく俺は、注意深くあの人を観察してたんだ。そして、ぶちあたったのが、前回の庭での一件だった。決定打としては、十分すぎるだろう。
俺は、手に持ったコーラを一気に飲み干した。
喉で、ぱちぱちと炭酸が跳ねていたけど、いつものように爽快な気分になんて、なれやしない。
寧ろ、鬱々とした気分のままうつむいて、俺は空になったペットボトルを握りしめた。
今いるのは、ホテルの一室だ。
ラグジュアリーとまではいかないけど、それなりのランクのホテルの部屋で、隅に置かれた応接セットのソファに、深く身を沈めた俺は再び溜息を吐く。
ローテーブル越しには、この部屋に泊まっている友人には、既に庭での出来事は話してある。
あの庭での事件の後、どうにか会議を終えた俺は、運よく同じホテルに泊まっている彼を頼って、ここへ来た。彼っていうのは、そう、例の病気のことを教えてくれた友達だ。
あの不可解で奇妙なイギリスの行動を誰かに話してしまいたかったし、もう一度、詳しく病気について話をききたかったからね。それに、色んなことはさて置いて、病気なら、放っておくなんて出来ない。
そう考えた俺が、精神的な病であるらしいそれの、治療法や薬の入手経路について訊ねると、それまでずっと無言のまま向かいで話を聞いていた人物が、ようようと口を開き、その事実をつきつけた。
「残念ですが、この病気に効く特定の薬というものは存在しません」
向かいに座る友人───日本は息を飲んだ俺の様子に、気付いたのか気付いていないのか、いつもの表情の乏しい、だけど穏やかに見える顔のまま続ける。
「基本的に、時間が解決してくれるものなんです。……この病気に罹るのは、名前のとおり若い、幼いといっていい年代の人々です。これは、以前にもお話しましたよね?」
問いに、頷いた俺へ日本も頷き返し、
「ですから、罹ったとしても、大方は大人になるにつれ症状は和らいでいくものなのですが……まれに、大人になってこの病気にかかると」
水疱瘡や、はしかと同じで、手に負えないものになる。という日本に、俺はひどく納得し、また絶望的な気分にもなった。
この病気の特徴的な症状として、『他とは違う力を秘めた、特別な自分』を回りに見せ付けるような振る舞い、言動を繰り返す、っていうのがあるらしい。だけど、これは初期症状で、いわば仮性のものだ。
でも、イギリスは違った……。
一人でいる、周りに誰も見る人がいない時も、おかしな行動を繰り返していたし、それどころか寧ろ、俺に隠そうとしていたくらいだ。明らかに、病気が進行しきって真性となってしまっている。
呆然と黙り込む俺の向かいで、日本もまた、神妙な顔をしている。
さっき俺が説明した庭での一件から、事の重大さに気付いたんだろう。いつも、曖昧な表情をしている彼の口元が、心なしか歪に引きつっているくらいだ。
室内に、重い沈黙がおりる。
室内の灯りはもちろんついているけれど、ガラス一枚を隔てた窓の外は、既に夜へ向かう薄暗い空が広がっていて、どこからかその青黒い空気が部屋へと入り込み、空気を重く、暗いものへと変化させているみたいだ。
四月も半ばだというのに、薄暗く寒気のするその空気は、でもやがて破られた。
不意に、風船が破裂しそこねたような空気音が響く。
「……ぶっ」
驚いて顔を上げると、丁度向かいで日本が口元を押さえているところだった。
何かと思ったけど、俺がそれを聞く前に、日本は押さえていた手を取り払い、軽く咳払いをする。
「コホンッ…ええ……ぶ……ぷ…、そうです、プロイセンさんを呼びましょう」
「え? 何でだい?」
しばらく言いよどんだ後、突然思いついたような提案に、俺は当然の疑問をぶつけた。
「さっき、私はこの病気に効く薬はないといいましたが、薬はなくとも治療法はあるんです」
「なんだって! 教えてくれよ日本!!」
思わぬ朗報に、身を乗り出す俺を、日本は制するような仕草をしつつ携帯を取り出した。
「もちろんお教えします。ですが、それと合わせてもう一度、この病気についてもっと詳しくお話しておきたいんです」
もしかすると、永い闘病生活になるかもしれませんから…。と告げた日本に、俺は決意を込めて頷く。
「ああ、そうだね。まずは敵を知ることからだ!」
でも、それとプロイセンに何の関係があるんだろう。首を捻る俺の様子に、気付いたんだろう日本が、携帯を操作しつつ、
「やはり、実例があると説明しやすいですし、それに中二病患者を一人きりで相手をするのは、あまりお勧めできません。最悪、自分も発症してしまうか、そうでなくとも精神的に酷いダメージを負ってしまう場合が多いんです。ですから、他の皆さんにも出来れば手を貸してもらいましょう」
もちろん私も、お手伝いしますよ。と言って頼もしく笑う日本を見て俺は、改めて友人の大切さを噛み締める。(まるでイギリスみたいだけど、これは正しく美しい感情だ)
「ありがとう…」
「いえ、ここのところ風邪気味で、あまり外を出歩くのは懐的にも辛いですし、そのはらいせ……いや、病気の辛さはよくわかりますからね」
「ああ、そうなんだ。俺も風邪気味でね」
まったく嫌になるよと、肩をすくめた俺に、日本はいつもの曖昧な表情を浮かべた。
「最近、私たちの間でも風邪が流行ってますからね」
「みたいだね」
「……私達だけでなく、サラリーマンもかなりのショックを受けてるみたいですね」
「そうなのかい?」
「……………」
再び首をかしげた俺へ、なぜか日本は少しの間黙り込み、でもやがて携帯を持って立ち上がる。
「では、少し電話をしてきます」
「ああ、頼むよ」
心強い協力者を、俺は笑顔で見送った。
その後、時間にして二十分もかからず協力者達はやってきた。
───うん……協力者『達』なんだ…。
思わぬ人数の増加で、手狭になった日本の部屋から、俺達は移動せざるを得なくなり、場所はホテル内にあるラウンジへと移る。
落ち着いた店内の、一番奥。ロンドンの夜景を眺めるのにピッタリな一角の席につくなり、そいつらは口々に話し始めた。