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しょうきち
しょうきち
novelistID. 58099
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冒険の書をあなたに2

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 ロザリアの話が続く。
「他には幌馬車一台と白馬が一頭。馬車の中にも妙な生き物が複数見受けられましたが、そちらはあちこちに逃げ出してしまって行方不明です」
 白馬と聞いてぴくりと反応を示したジュリアスを視界の端に捉えたアンジェリークが頬を上げる。
「あら、馬車ごと来てるのね。幌馬車はどこでもいいとして、馬は……ジュリアス、あなたの厩舎で引き受けてくれないかしら。パトリシアっていうおとなしくて綺麗な牝馬なの」
「御意」
 とても利口な馬だから、馬好きなジュリアスと仲良くなってくれるだろう────と、アンジェリークは内心嬉しくなる。
「でー……あとは、オスカー」
「はい」
 アイスブルーの瞳を見つめる女王陛下の優しいまなざしが、いつもより少しだけ真剣さを帯びる。
「ポピーちゃんのお仲間たちが逃げちゃったみたいだから、妙な生き物を見つけても傷つけないように通達を。彼らは人の言葉を理解しますから、こちらからは決して手を出さないようにしてね」
「承知しました」
 リュカ一家の仲間たちは皆相当な強さだ。うかつに戦えば双方無事では済まないだろう。何より、アンジェリークとしては聖地の人間も彼らの味方であると証明したいのだ。
 ざっくりと指示を出し終えたところでアンジェリークがロザリアへ向けて解散の合図を送った。それを受けロザリアが場を仕切り直す。
「他の皆さんは、今日のところは解散です。また状況が変わり次第お集まりいただきます」

 ポピーが聖地にやってくる数時間前、グランバニア城のある一室で、彼女は母である王妃ビアンカと話し合っていた。
 ドォン、ドォンと不規則に響き渡る音と共に地響きのように城全体が揺れる最中、ビアンカは涙ぐんだ娘の頬に手を添えた。
「ポピー、お願いね。なんとかあなたが戻るまで、持ち堪えて見せるから」
 真剣な表情でそう話すビアンカとは裏腹に、母と同じ空色の瞳を揺らがせた娘の顔には戸惑いが浮かぶ。
「でも……でも、お母さん……」
「本当はティミーも一緒に行かせてあげたいんだけど、ごめんね……」
 言いたいことを言えずにいる様子で、言葉より先に首を横に振り続けるポピー。
「ううん……お兄ちゃんは、『伝説の勇者』で『次のグランバニア王』なんだもん。ここにいなくちゃだめ」
 話し声に嗚咽が混じり始めたポピーの涙を添えた両手で拭いながら、ビアンカは一度切なそうに目を伏せて、それからゆっくりと視線を重ね合わせた。
「……そうだけど、そうじゃないのよ、ポピー」
「……違うの?」
 娘の言葉にはっきりと大きく頷いて、慎重に言葉を選び出すビアンカ。
「ちょっと違うわ。ティミーは回復呪文が使えるけど、アンジェさんたちの世界へ行く道は、あなたにしか開けないの────それに」
 いつもは明るく柔和なビアンカの顔が、今は声と表情を強張らせている。
「リュカが帰ってこなくて、わたしもティミーも、他の皆も力尽きて、この国が滅んでしまったときは」
 一家の中で一番聡明なポピーには言葉の続きがすぐに推定できてしまい、聞きたくないと首を横に振った。
 ビアンカにぎゅうと強く抱き締められ、ポピーの唇が音もなくお母さん、と形作る。
「……あなたが最後の砦になるわ。リュカとわたしの大事な娘の、あなたが」
 ビアンカ自身、愛娘へ向けて酷なことを言っている自覚があった。だがこの危急の事態に、彼女は母親として、そして王族の一員として告げなければならない場面なのだと思い、厳しく張り詰めた表情をできる限り緩めようと意識しながら話を続けた。
「そう簡単に王家の血筋を絶えさせはしないわよ。リュカの大切な生まれ故郷ですからね────だから、一刻も早くアンジェさんのところへ行って」
 そう一気に捲し立てて、ビアンカはルヴァのターバンをポピーに手渡し、ぱちりとウインクを送る。大したことではないとでも言うように、いつもの優しい笑みを浮かべて。
「今度離れ離れになるのは、あなたがお嫁に行くときだって決めてるの。こんなことで死んでられないわ! さあもう行きなさい。北の教会が協力してくれてるから、そこから行くのよ」
 娘の両肩に置いた手をそっと放して、ビアンカは踵を返していく。
 城の外から響いてくる砲撃の音にも怯むことなく、王妃ビアンカが良く通る声音でてきぱきと指示を飛ばし始めている。
 感傷に浸る時間などない────と雄弁に語る母の背を遠く見つめながら、ポピーは小さく唇を噛んだまま手の甲で涙を拭った。

 彼女がひとり脱出しようと正面口ではなく城の最上階へ移動したとき、ぽつぽつと降り始めた雨が頬に当たる。
 空を見上げてみれば真っ黒な雲がグランバニア一帯の上空を覆っていて、間もなく本降りになるだろう。
 城の周辺を囲っている群衆を見下ろす。口々に叫んでいるのが聞こえ、そのあまりにもな怒号に思わず耳を塞いだ────彼らの声が、全世界からグランバニアへ届けられた「言われなき誹謗中傷」だったからだ。
 打ち付ける雨の冷たさがあどけなさを残した少女の心をより一層冷やしていき、まるで温度を失った生き物のように身動きが取れずに立ち竦む。
 群衆の中の誰かが叫ぶ声がした。
「おい、てっぺんに誰かいるぞ!」
「王女だ! 殺せ!」
 そんな言葉とともに、ポピーのすぐ側を幾本もの矢が掠めていった。
 その中の一本が彼女の肩を掠り、プリンセスローブにじわりと血が滲む。
「なんで……?」
 遂に堪え切れなくなった涙が溢れて頬を伝った。
「なんで、こんな目に遭うの……?」
 薬草で治せる程度の浅い傷。今のポピーにはどうということもない筈の傷口に、土砂降りの雨が酷く染みる。
 痛む肩を押さえる手が、魔王との対峙ですら霞むほどのかつてない恐怖にかたかたと震えた。
「痛いよ、お父さん……お母さん……」
 そのままうずくまるポピーへ向けて、次々と矢が放たれる。
 殆どは城壁に阻まれ落下していたが、飛距離を微調整されてしまえば射抜かれてしまうのも時間の問題だった。
 命を懸けて魔王を倒し、この世界を救ったのに、どうして────ポピーの胸の内を絶望が満たし始めてきた頃、双子の兄ティミーの声が響いた。
「何してんだよ、早く行け!」
 天空の装備に身を包んだティミーが、駆け足でポピーの側に来た。
 一家で魔界に出向いた頃には妹とほぼ同じ高さだった背丈も、今は母ビアンカと同じくらいにまで成長していて、立ち並べばポピーをほんの少し見おろすくらいの差がついている。
「おにいちゃん……」
 真っ青な顔でうずくまり震えている妹を見たティミーがすぐに回復呪文べホイミを唱え、矢に裂かれた傷口が瞬く間に塞がった。
 妹に矢が当たらないように盾で守りながら、今度は防御呪文スクルトを唱える。
「お兄ちゃん、なんでわたしたちが殺されなくちゃいけないの」
 不快を露わにした顔を隠そうともせず、ティミーは忌々しそうに答えた。
「さあな、ぼくには分かんないよ。はっきり分かっているのは、仲間が狙われてるってことだけだ」
「皆をあの人たちに渡したりしないよね?」
 魔物たちを殺せ、できないなら城ごと攻めるというのが、現在城を取り囲んでいる彼らの言い分だった。