戴く冠
ベルサイユ宮殿、鏡の間に通じる長い廊下に面した一室。
控えの間として与えられたその部屋で、盛装に身を包んだドイツは、落ち着かない様子でうろうろと歩き回っていた。
儀式は間もなく始まる。
ついにこの日が来たか、という思いと、あまりに早すぎるという思いが綯い交ぜになってより一層、気が滅入ってくる。
こうしている今現在も、パリ郊外では両軍による砲撃が行われているのだ。
戦局はこちら側の圧勝の気配が強いとはいえ、戦闘の最中に行われようとしている、この戴冠式。このような形で行われていいものなのかと、そんな思いすら脳裏を掠める。
「何、檻の中のクマみたいに歩き回ってんだ」
「うぉわっ」
入り口のドアを開けてプロイセンが顔を覗かせていたことに、声を掛けられるまで気が付かなかった。こちらもドイツと同様に盛装姿だ。
「兄さん…。脅かさないでくれ」
「思いっきり浮かない顔してんな」
「こんな状況で、晴れやかな気分になれという方が無理だろう」
そう答えるドイツの声は、依然として重い。
室内に足を踏み入れ後ろ手にドアを閉めるプロイセンの顔には、微かな苦笑が浮かぶ。
「…まぁな。気持ちは分からんでもないけどよ、ここは諦めてくれとしか言いようがねぇな。状況が、今やるしか無かったんだよ」
「……ああ。分かっているんだ、頭では。嫌な訳じゃない。これの重要性も分かっているつもりだ」
「分かってるという顔じゃなさそうだが?」
「ちゃんと、意味も、必要性も分かっているんだ…」
「ふぅん。では、何が心配なのかな、我らが王よ?」
「だから! 何度も言うように、その言い方は止してくれ」
片膝を付きドイツの手を取って恭しく頭を垂れるプロイセンを苦々しく見つめる。
手を振り払い顔を背ければ、プロイセンがくつくつと笑っているのが分かる。完全に遊ばれている。
「で?」
「え?」
「何を気に病んでんだ?」
急に変わった気安いプロイセンの口調に、数瞬、ドイツは躊躇う素振りを見せる。握りしめた己の拳に視線を落とし、そのまま動かない。
プロイセンは先を促すように沈黙を守っていた。
ゆっくりと、ドイツの握りしめられた拳から力が抜かれる。そして、おずおずといった調子で口を開いた。
「俺が国として立つことで、あなたたちにどんな影響が出るのか。それが分からないのが恐ろしいんだ」
「うん?」
「俺はあなたが戴くはずだった冠を奪っているのではないのか。俺という存在が、いずれあなたたちを呑み込み、喰ってしまうのではないのか。そんな事ばかりが頭に浮かんで、どうしようもなく……怖くなる」
「お前なぁ…。何でそう思考が常に後ろ向きかな。どんだけ根暗なの…」
「ね、根暗!?」
「はぁぁぁ…」
大げさな溜め息を吐いたかと思うと、プロイセンの手がきっちりとセットされたドイツの髪に伸ばされた。そして、自分より少し高い位置にあるドイツの頭を押さえ付けるようにして、そのままぐしゃぐしゃと掻き回す。
「ちょ、何をするんだ!? 止めろ!」
慌てて頭を庇うようにしてプロイセンの手から逃れようとするが、プロイセンはドイツの頭を押さえ付けたまま、わしゃわしゃと髪を掻き乱し続けた。
「離せ、離してくれ、兄さん」
「影響なんか大して出ねぇよ」
「…どうして、そう言い切れるんだ」
プロイセンの手から逃れようと藻掻きながら、ドイツが問い直す。
「俺様がそう思ってるからに決まってるだろ」
「意味が分からん! はっきりした根拠と――、」
「ああもう! ホントにうるせぇなお前は。細かいことは気にすんな。影響あろうと無かろうと、俺らがお前を支えて行くことに代わりはないんだよ。お前は一切気にすんな」
「そういう訳には――、」
「少し、その堅物の思考回路を停止させとけ。黙らねぇならチューすんぞ」
「何を…! ちょ、やめ、するなぁぁぁ!!」
がしっと頬を挟まれ、プロイセンが顔を近づけてくる。ドイツは慌てて上体を仰け反らせた。
「………何をやっている。お前ら、時間過ぎてるぞ」
いきなり入り口の方角から声が聞こえ、ドイツは心臓が止まるかと思うほどに驚いた。
プロイセンといい、今声を掛けてきたこの男といい、何故にここまで気配無く動くのか。
「やべ。時間過ぎてんのか!? 誰も呼びに来てねぇぞ。っつうか、なんでお前がわざわざ呼びに来るんだ。使用人かお前は」
「誰が使用人だ。殴られたいのか?」
「へっ、遠慮するぜ」
プロイセンの軽口に振り回されまいとするかのように、男は軽く頭を振る。
「…予定していた時間は過ぎてるが、式そのものがまだ始まっていなんだ。お前んとこの上司が揉めてんだよ」
「ああ?」
男の言葉に、プロイセンが間の抜けた声を上げた。そんな二人の会話を聞きながら、ようやく兄の手から解放されたドイツは急いで乱された髪を整え直す。
「揉めている?」
そう聞き直したのはドイツの方だ。
「いつもの遣り取りだけどな。玉座に座る座らないってやつ。宰相殿と大喧嘩してたぞ」
男の返答に、プロイセンが片手で顔を覆う仕草をした。またか、と言いたげである。
そんなプロイセンの反応は無視して、男はドイツに向き直った。
盛装した姿を上から下までじっくりと眺めたかと思うと、しみじみとした口調で呟いた。
「ふむ。馬子にも衣装、とはよく言うものだ」
「――――……」
「てめぇ、俺様も言わなかったことを言うやつがあるか」
そう言うプロイセンの言葉も全くフォローになっていないと思われる。
羞恥と腹立ちとが入り交じった表情をドイツは浮かべ、
「時間が過ぎているのだろう! 行くぞ!」
言い捨てて、部屋から出て行ってしまった。
「あー。待てって、ヴェスト!」
プロイセンが追ってくるのも構わず、ドイツは大股で歩いていく。
「ヴェスト! ドイツー! 大丈夫、可愛いぞ、今日のお前!」
背後からそんなことを叫ぶ兄の声が聞こえ、益々居たたまれない気分になってしまう。
「大声でそんなことを言わんでいい!」
くるりと後ろを振り返れば、すぐ背後を走っていたらしいプロイセンが止まり損ねて突っ込んできた。プロイセンの体当たりを受けてもドイツはびくともしなかったが。
「――ってぇ。急に止まるなよ」
鼻を押さえながら文句を言うプロイセンに、さらに文句を言い返そうとしたとき、進行方向から歩いてくる一人の男が声を掛けてきた。長めの金髪に色鮮やかな衣装を身に纏っている。服装も容姿も派手な男だった。
「あれ? もしかしなくても、ドイ…ツー!?」
派手な容姿の男は驚いた様子でそう叫ぶ。
「あ?」
「え?」
「ちょ、マジであのドイツか!」
「えぇ、と。フランス…か?」
「うっそ。マジで!? 成長早くない、この子!? なんで、いきなりこんなにでかくなっちゃうの!? あの小さくて可愛かったドイツがこんなでかぶつになるなんて、お兄さん聞いてないよ!?」
「………………」
「お前はちょっと黙ってろ」
目に見えて落ち込み始めるドイツの代わりにプロイセンがフランスと呼ばれた男に蹴りを入れる。
「痛ったぁ…」
「っていうか、なんでお前がここにいるんだよ! 今、戦闘真っ最中だろ!?」
控えの間として与えられたその部屋で、盛装に身を包んだドイツは、落ち着かない様子でうろうろと歩き回っていた。
儀式は間もなく始まる。
ついにこの日が来たか、という思いと、あまりに早すぎるという思いが綯い交ぜになってより一層、気が滅入ってくる。
こうしている今現在も、パリ郊外では両軍による砲撃が行われているのだ。
戦局はこちら側の圧勝の気配が強いとはいえ、戦闘の最中に行われようとしている、この戴冠式。このような形で行われていいものなのかと、そんな思いすら脳裏を掠める。
「何、檻の中のクマみたいに歩き回ってんだ」
「うぉわっ」
入り口のドアを開けてプロイセンが顔を覗かせていたことに、声を掛けられるまで気が付かなかった。こちらもドイツと同様に盛装姿だ。
「兄さん…。脅かさないでくれ」
「思いっきり浮かない顔してんな」
「こんな状況で、晴れやかな気分になれという方が無理だろう」
そう答えるドイツの声は、依然として重い。
室内に足を踏み入れ後ろ手にドアを閉めるプロイセンの顔には、微かな苦笑が浮かぶ。
「…まぁな。気持ちは分からんでもないけどよ、ここは諦めてくれとしか言いようがねぇな。状況が、今やるしか無かったんだよ」
「……ああ。分かっているんだ、頭では。嫌な訳じゃない。これの重要性も分かっているつもりだ」
「分かってるという顔じゃなさそうだが?」
「ちゃんと、意味も、必要性も分かっているんだ…」
「ふぅん。では、何が心配なのかな、我らが王よ?」
「だから! 何度も言うように、その言い方は止してくれ」
片膝を付きドイツの手を取って恭しく頭を垂れるプロイセンを苦々しく見つめる。
手を振り払い顔を背ければ、プロイセンがくつくつと笑っているのが分かる。完全に遊ばれている。
「で?」
「え?」
「何を気に病んでんだ?」
急に変わった気安いプロイセンの口調に、数瞬、ドイツは躊躇う素振りを見せる。握りしめた己の拳に視線を落とし、そのまま動かない。
プロイセンは先を促すように沈黙を守っていた。
ゆっくりと、ドイツの握りしめられた拳から力が抜かれる。そして、おずおずといった調子で口を開いた。
「俺が国として立つことで、あなたたちにどんな影響が出るのか。それが分からないのが恐ろしいんだ」
「うん?」
「俺はあなたが戴くはずだった冠を奪っているのではないのか。俺という存在が、いずれあなたたちを呑み込み、喰ってしまうのではないのか。そんな事ばかりが頭に浮かんで、どうしようもなく……怖くなる」
「お前なぁ…。何でそう思考が常に後ろ向きかな。どんだけ根暗なの…」
「ね、根暗!?」
「はぁぁぁ…」
大げさな溜め息を吐いたかと思うと、プロイセンの手がきっちりとセットされたドイツの髪に伸ばされた。そして、自分より少し高い位置にあるドイツの頭を押さえ付けるようにして、そのままぐしゃぐしゃと掻き回す。
「ちょ、何をするんだ!? 止めろ!」
慌てて頭を庇うようにしてプロイセンの手から逃れようとするが、プロイセンはドイツの頭を押さえ付けたまま、わしゃわしゃと髪を掻き乱し続けた。
「離せ、離してくれ、兄さん」
「影響なんか大して出ねぇよ」
「…どうして、そう言い切れるんだ」
プロイセンの手から逃れようと藻掻きながら、ドイツが問い直す。
「俺様がそう思ってるからに決まってるだろ」
「意味が分からん! はっきりした根拠と――、」
「ああもう! ホントにうるせぇなお前は。細かいことは気にすんな。影響あろうと無かろうと、俺らがお前を支えて行くことに代わりはないんだよ。お前は一切気にすんな」
「そういう訳には――、」
「少し、その堅物の思考回路を停止させとけ。黙らねぇならチューすんぞ」
「何を…! ちょ、やめ、するなぁぁぁ!!」
がしっと頬を挟まれ、プロイセンが顔を近づけてくる。ドイツは慌てて上体を仰け反らせた。
「………何をやっている。お前ら、時間過ぎてるぞ」
いきなり入り口の方角から声が聞こえ、ドイツは心臓が止まるかと思うほどに驚いた。
プロイセンといい、今声を掛けてきたこの男といい、何故にここまで気配無く動くのか。
「やべ。時間過ぎてんのか!? 誰も呼びに来てねぇぞ。っつうか、なんでお前がわざわざ呼びに来るんだ。使用人かお前は」
「誰が使用人だ。殴られたいのか?」
「へっ、遠慮するぜ」
プロイセンの軽口に振り回されまいとするかのように、男は軽く頭を振る。
「…予定していた時間は過ぎてるが、式そのものがまだ始まっていなんだ。お前んとこの上司が揉めてんだよ」
「ああ?」
男の言葉に、プロイセンが間の抜けた声を上げた。そんな二人の会話を聞きながら、ようやく兄の手から解放されたドイツは急いで乱された髪を整え直す。
「揉めている?」
そう聞き直したのはドイツの方だ。
「いつもの遣り取りだけどな。玉座に座る座らないってやつ。宰相殿と大喧嘩してたぞ」
男の返答に、プロイセンが片手で顔を覆う仕草をした。またか、と言いたげである。
そんなプロイセンの反応は無視して、男はドイツに向き直った。
盛装した姿を上から下までじっくりと眺めたかと思うと、しみじみとした口調で呟いた。
「ふむ。馬子にも衣装、とはよく言うものだ」
「――――……」
「てめぇ、俺様も言わなかったことを言うやつがあるか」
そう言うプロイセンの言葉も全くフォローになっていないと思われる。
羞恥と腹立ちとが入り交じった表情をドイツは浮かべ、
「時間が過ぎているのだろう! 行くぞ!」
言い捨てて、部屋から出て行ってしまった。
「あー。待てって、ヴェスト!」
プロイセンが追ってくるのも構わず、ドイツは大股で歩いていく。
「ヴェスト! ドイツー! 大丈夫、可愛いぞ、今日のお前!」
背後からそんなことを叫ぶ兄の声が聞こえ、益々居たたまれない気分になってしまう。
「大声でそんなことを言わんでいい!」
くるりと後ろを振り返れば、すぐ背後を走っていたらしいプロイセンが止まり損ねて突っ込んできた。プロイセンの体当たりを受けてもドイツはびくともしなかったが。
「――ってぇ。急に止まるなよ」
鼻を押さえながら文句を言うプロイセンに、さらに文句を言い返そうとしたとき、進行方向から歩いてくる一人の男が声を掛けてきた。長めの金髪に色鮮やかな衣装を身に纏っている。服装も容姿も派手な男だった。
「あれ? もしかしなくても、ドイ…ツー!?」
派手な容姿の男は驚いた様子でそう叫ぶ。
「あ?」
「え?」
「ちょ、マジであのドイツか!」
「えぇ、と。フランス…か?」
「うっそ。マジで!? 成長早くない、この子!? なんで、いきなりこんなにでかくなっちゃうの!? あの小さくて可愛かったドイツがこんなでかぶつになるなんて、お兄さん聞いてないよ!?」
「………………」
「お前はちょっと黙ってろ」
目に見えて落ち込み始めるドイツの代わりにプロイセンがフランスと呼ばれた男に蹴りを入れる。
「痛ったぁ…」
「っていうか、なんでお前がここにいるんだよ! 今、戦闘真っ最中だろ!?」