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第三部4(104)1934年 ポスキアーヴォⅠ

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1934年―

ミーチャ―、ドミートリィ・ミハイロフは現在暮らしているブリュッセルから両親の暮らすスイス、ポスキアーヴォへ向かっていた。

母から届いた一通の手紙―。
それは、生活に困窮した母からの借金の申し出だった。

― あなたにこのような申し出をするのは、まことに恥ずかしい限りなのですが、私の働きではどうしても生活が立ち行かず、申し訳ありませんが当面の間、少しでよいのでお金を用立てて頂きたく、恥を忍んでお願い申し上げます。―

母の手紙にはそう綴られていた。

ミーチャが物心ついたときには父がシベリア送りとなっており、働きづめで自分を育ててくれた母。
ロシアではいつも貧しく、家族で肩を寄せ合って暮らしてきた。
貧乏とはいわば長い共存関係で上手く折り合いをつけて人生を過ごしてきた筈の母が、ミーチャにこのような申し出をして来るのは、尋常ではない。

― 一体、母と父はどんな暮らしをしているのか。なぜそんなに生活に困窮しているのか…??

心の中に無数のクエスチョンと不安を抱えながら、ミーチャを乗せた列車は一路スイスへと向かって行った。

北海に面したヨーロッパ大陸の北に位置するベルギーから列車はフランスを通りスイスに入り、さらにそこからまた列車を乗り継いで南下し、イタリア国境に面した両親の住まいへ向かう。

ポスキアーヴォはスイスの南東、イタリアと国境を接した山と湖の美しい中世都市で、まるでそこだけ時間が止まったかのような静けさである。

祖国での粛清を逃れ流れ着いた両親が終の棲家としてこの静かな町を選んだのは、なんとなく理解できる…と地図を片手に古い街並みを歩きながらミーチャはそんなことを考えていた。

地図を片手に、やがて一軒の古い石造りの家屋に行きつく。

「ここか…」

その家はそう広くはないようだが、小さいながらも庭がついており、広葉樹が植えられ花壇にもきちんと手が加えられており、丁寧な暮らしぶりの窺える気持ちのいい空間だった。


「ムッター…」

ドアにカギはかかっていなかった。

そのまま屋内に入る。

「ムッター?ファーター?」

先程よりももう少し大きな声で建物の中に呼びかける。
しかしミーチャの呼び掛けに、何の返事も返ってこない。

― ムッターは…それからファーターは、一体どこにいるんだろう?

留守なのか両親宅の一階はガランとして、木の床を歩くミーチャの靴音だけが石の天井に響き渡る。

仕方なしにミーチャはダイニングテーブルの椅子に腰かけて両親の帰りを待つことにした。



それから小一時間ほど経った頃だろうか。

「ただいま…」

懐かしい母の声が玄関に響いた。

ダイニングに入ってきた母は自分の姿を見て少し驚いたように碧の瞳を見開いた。

「ミーチャ…」

質素なスーツにクロッシェを被った母は、どこか勤めに出ていたのだろうか。
ハンドバッグをテーブルに置くと、昔のように息子を抱きしめた。

「来てくれたんだ…。会えて嬉しいよ」

数年ぶりに抱き寄せてくれた母の腕は昔の通り限りなく優しかったが、その身体は以前にもまして驚くほど細く薄くなっていた。