第三部5(105)1934年ポスキアーヴォⅡ
…ルデ…イゾルデ
薄闇の中で自分をイゾルデとよぶ、低く優しい声がする。
ーー この声は…!
思わずユリウスがその薄闇の中で、声の主の名を叫んだ。
「レオニード!」
幾分か涙声になったその呼びかけに、薄闇の中から、その懐かしい軍服姿の人物が姿を現した。
「レオニード‼︎」
堪らずユリウスはその懐かしい姿に向かって駆け寄り、胸の中で子供のように泣きじゃくった。
かの人の胸から、昔と同じように葉巻と香水の香りがほんのりと漂ってきた。
薄闇の彼方から現れたその人は、泣きじゃくるユリウスの髪を、背中を、彼女が落ち着くまで優しく撫で続けていた。
懐かしい人の香りに包まれ、優しく髪を撫でられていたユリウスが漸く落ち着きを取り戻す。
「ありがとう。レオニード…」
少しばつが悪そうにそう言ったユリウスに、レオニードが無言でその黒い瞳を和らげる。
ーー 何から話したらいいのだろう…。いや、一体何を話したらいいのだろう…。
ふと気まずくなり
「あ、あのね、レオニード…」
と呼びかけたユリウスに、レオニードは黒い瞳に優しい光をたたえながら、「何も言わなくてもよい」と言うように首を振りながら彼女の呼びかけを優しく制した。
そして彼女の両肩を優しく抱き寄せると、その黒い瞳で彼女の碧の瞳を覗き込み、
「切手を使いなさい」
と言った。
「切手?」
おうむ返しにしたユリウスに「そうだ」と言うように力強く頷く。
「あ!」
漸くユリウスがレオニードの言葉の意味を理解する。
「あの…革命の年にあなたが…ぼくに託してくれた…?」
レオニードがもう一度頷く。
そして再びユリウスの肩を抱くと、その碧の瞳に向かって、
「私はずっと、おまえを見ているから…。おまえを見守っているから」
ーー だからおまえは力強くおまえの道を進むがよい…。力強く鮮やかに、美しく…人生を生きなさい。…私の…天使…。
そう言い残すと、包み込むような笑みを湛えながら、かの軍人は再び薄闇の中に消えて行った。
「待って!まっ…」
薄闇に紛れて行く懐かしい面影に手を伸ばし、叫んだその時ー、彼女は目を覚ました。
作品名:第三部5(105)1934年ポスキアーヴォⅡ 作家名:orangelatte