梅嶺 弐───再会───
昔からあった感覚だった。
この予感は、外れた事がなかった。
あの岩を見たら、悲しくなるだろう、あの、心に焼き付いた惨劇に襲われる、、、そんな風に思っていた。
だが、あの部屋で自分の笛を手にした時、無性に笛を吹きたくなり、あの大岩を見たくなった。
梅長蘇となってからは、息が続かず、以前奏でた調べは全く吹けなくなってしまった。
何故か、今日は吹けるような気がした。
そして、ここに来て、吹けば嘘のように息が続いた。
心、赴くままに、林殊が好きだった調べを吹き続けた。
何処からか気配がする。嫌な気配では無い。
この山に入る頃から感じていた。
気配は長蘇の調べに聞き入り、そして次々に集まっているような。
まるで楽しげに踊り出してでも居るようだ。
奏でる長蘇も充足感があり、かつての事を思い出した。
───戦が終わって戦勝の宴を開けば、義兄や義弟にせがまれて吹いていた。
皆、楽しげに踊ったり歌ったりしていたのだ。───
梅嶺では吹く事を禁じられたが、他の戦の戦勝祝いでは、怒られたりはしなかった。
皆で、歌い踊り、酒を酌み交わした。
今、長蘇の立つこの場所は、まるでそんな気配なのだ。
───赤焔軍の戒律は厳しいものだったが、そこには義があり、仁があった。───
林殊の根幹がそこにあり、そして青春そのものなのだ。
調べが終わりに近づいた。
辺りの空気が変わった様な気がした。
静かに風が巻き起こり、騒がしい気配が静まり返る。
───、、、父だ、。───
林燮が宴を去る時、宴はいつも静まり、林燮の言葉を待つのだ。
そんな空気に似ていた。
長蘇の笛の調べが終わる。
大きな気の塊が、長蘇の側をすり抜けた。
そして次々に気が、長蘇を囲むように巡り、山々を駆けて行く。
気は風を起こし、長蘇の外套や衣を揺らしてゆくのだ。
───義兄達はいつも通りすがりに、こうして頭や肩に触れていったのだ。
私は、皆に可愛がられていたのだ。
大切な仲間として、、、、。───
やがて風は止み、静寂が降りてくる。
───義兄達も、戦いたいのだ、私と共に。
七万の魂が、梅嶺で怨霊となった、、、金陵では、そう、言われていたが、決してそうではない。
七万の魂は、梅嶺で梁を護る守護神なのだ。───
ぎゅっと、誰かが長蘇の外套を掴む。
振り返れば、心配気な顔の飛流だった。
只ならぬ気配を、飛流も感じていたのだ。
「何か見えたか?。」
「、、、。」
飛流は首を振った。
長蘇は飛流に笑いかけるが、飛流の強ばった表情が緩むことはなかった。
───怖かったのだな。───
飛流の頭を撫でながら、言葉をかけた。
「懐かしい人が、会いに来てくれていたのだ。」
「、、、居ないよ、誰も。」
不思議そうな飛流の顔。
長蘇は微笑むだけで、それ以上、飛流に言わなかった。
長蘇はまた大岩の方に向き直り、崖の先端まで歩んで行った。
そして、『殊』と彫られた古い笛と、今、奏でた笛を揃えて共に両の手に持ち、遥か向こうに見える、大岩に捧げ、跪いて横笛二笛を地の上に置いた。
「飛流、酒を。」
長蘇は大岩の方に視線を向けたまま、右手を上げた。
飛流は長蘇が、酒を求めて上げた手に、酒の入った水筒を渡す。
長蘇は笛の周りに酒を垂らした。
───皆、酒が好きだった、、。───
筒の中身はほとんど地に注がれた。
長蘇も筒を煽り、酒を口に含む。
「義兄弟よ、再会の喜びに、私の心を捧げよう。」
英霊に拱手をし、拝礼を捧げた。
英霊は林殊との再会を歓んでいる。
互いに喜びを感じ合っていた。
───、、、笛はここに置いてゆく。
哥哥、、、、契りを交わした兄弟達よ。
どうか力を貸してくれ、、、頼む。
最後までとは言わぬ、、、せめてこの梅嶺戦の、見通しが立つまで。
私が、それまで立っていられるように、、、、。───
赤焔軍の兵は皆、家族だった。
血筋の繋がった家族とはまた違う、心で結ばれた家族だった。
「蘇哥哥、、、。」
いつまでも、座ったまま動かない長蘇に、飛流は痺れを切らしていた。
「、、、、ん?。」
長蘇は義兄弟達を、今暫く、感じていたかったのだが。
長蘇が奏でたのは長い調べだったのだ。寒さも増して、飛流には堪らないのだろう。
「飛流、、帰りたいか?。」
「うん。」
「では、戻ろう。」
飛流は何度も頷いた。
長蘇は、ゆっくりと立ち上がって、もと来た道を歩み始める。
飛流は並んで歩いていた。
馬を置いてきた場所まで、戻らねばならない。
小殊!
後ろから声がした。
あの山脈(やまなみ)から、、、、。
長蘇は振り返る。
共に戦おう、
義兄達が言っているような気がした。
「、、、小、蘇?、、、。」
顰めっ面で、飛流もまた、後ろを振り返っていた。
隣に並んで歩いていた飛流にも、義兄達の声は聞こえたようだ。
だが、『殊』には聞こえなかったようだ。
───飛流も、義兄達に認められたのだろう。───
飛流にも聞こえた事が、長蘇には嬉しく思えた。
長蘇は、飛流に笑いかけるが、飛流の表情は強ばっている。
「蘇哥哥、帰ろう、早く。」
どうやら飛流は、寒いだけが理由で、帰りたいのではなかったようだ。
何か得体の知れない、大きな気の塊(かたまり)を感じて、、怖かったのだろう。
長蘇の腕を掴み、一刻でも早く、ここから立ち去りたいようだ。
「飛流、もう少しゆっくり、、転んでしまう。」
「哥哥、、早く!。」
長蘇は飛流に、引っ張られるように歩いていった。
馬を置いてきた場所までは、上りの斜面になっている。
急ぎ足で行くが、山道なのだ、そんなに早く歩けるはずもない。
後ろから、二人を押し上げるように、力強く風が吹き上げる。
寒くなる、早く帰れ、とでも言っているようだ。
「あ"あ"あ"、、。」
飛流は堪らず叫んだ。
そして長蘇を置いて、飛流は一目散に、馬のいる所へ駆け上がって行った。
「ふふふ、、飛流。大丈夫だ。恐がることは無い。」
「蘇哥哥───、、、早く───。」
もう、馬の側までたどり着いて、長蘇を呼んでいる。
「哥哥、飛流をからかうのも程々にしないと、心強い味方が、山から降りてしまうぞ。」
悪かった、とでも言うように、柔らかい風が、外套を翻す。
「蘇哥哥www。」
風は飛流にも吹いていった様だ。
残酷な記憶に苛まれはしても、いつか必ず来なければ、、そう思っていた。
何も無ければ、藺晨と約束した、旅行の最後に訪れようと思っていた。
どうせ、命はそう長いことはあるまいと、旅行の途中で果てたら、この梅嶺に葬って貰おうと思ってさえいた。
思いもかけず、この事態に来る事になってしまったが。
───皆、私を、待っていたのだ。
共に、ここで戦って、ここに眠る事が出来る。
私が生き残り、赤焔軍の汚名をそそぎ、そしてまた皆と共に戦える。
出来すぎた物語の様だが、、、
また、、それも良しだろう。───
───戦いが始まったのだ。
私の居るべき所で、成すべき事を成さねばならぬ。
大梁の人々の為、、、、大切な人々の為、、
景琰の為、、、、、
そして何より、
、、、自分の為に、、、。───
長蘇は振り返り、梅嶺の山並みを見渡した。
作品名:梅嶺 弐───再会─── 作家名:古槍ノ標