梅嶺 弐───再会───
まさか、長蘇がここまで怒るとは思わなかったのだろう。
幾分、しょげているように見える。
長蘇は本気で怒っているわけではなかった。
蒙摯が、一度は死んだと諦めた、林殊の生還を喜んでいるのはよく分かる。
嬉しさは、蒙摯の側に居るだけでも伝わってくる。
恐らく、『林殊が生きて帰った〜』と、金陵中に蒙摯自身が、触れて回りたい勢いだったのだ。
自分でもどこか抜けていたり、一言余計だったりする事を知っている。
計算をしないからだ。
嘘をつけない。裏腹がない。
そんな蒙摯だから、昔から好きなのだ。
今も頼りの兄貴だった。
ボロを出さないように、健気に慎重に梅長蘇に協力していた。
長蘇は、ただ、少し釘を刺しただけなのだ。
本気で怒ってはいない。
「だが、、蒙哥哥や将軍達が、赤焔軍を惜しんでくれる心は分かる。
事案以前は、大きくなる軍を恐れて、叩かれもしていた。」
蒙摯に背を向けて、長蘇はゆっくりと話した。
「うむ、、。もっと赤焔軍が大きければ、あの惨事は避けられたろうか、、。」
「、、、分からぬ、、。陛下が恐れるほど大きくなれば、、、結局、いつかは、、、。」
「『大梁に赤焔軍あり』と、戦を踏み止まった隣国も、あったと聞いています。」
戦英が言った。
戦英はかつて、皇太子に冊封される前の靖王と辺境を平定し、そんな中でそんな話も聞こえたのだろう。
「神出鬼没、、何処へでも向かったのだ。殊更、赤焔軍の騎馬軍の機動力は大きい。、、ふふ、、敵ならば、嫌な軍だろうな。」
一旦、議論も小休止となった。
ある程度、梁軍の被害の報告を受けていたが、戦英はそれとは別に、砦の被害の模様を見に行った。
蒙摯は後続部隊からの書状に目を通していた。
梅長蘇は部屋を見回していた。
かつて父と訪れたこの部屋。
───この部屋は、本当に何も変わらない。───
古い記録簿が部屋の隅に積まれていた。当時はもう少し少なかったか?。
記録簿の間に、書状などが挟まれていたり、、、、、。
書物を見ていけば、林燮の書いた文字を見つけてしまいそうだった。
長蘇の目が記録簿の横に釘付けになる。
棒の様な物が、積まれた書の傍らに置かれている。
長蘇は、埃がかった棒を手にして、目を細めた。
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....................................
「何処へ行ったのだ!。」
もう日は暮れ、砦は闇に包まれている。
日没前から探しているのに、藺晨は長蘇を見つけられなかった。
「藺晨殿───。」
背後から一人の兵に呼び止められる。
長蘇の馬を、見て来るように頼んだ兵だった。
「軍帥殿の馬は、厩舎から、いなくなっておりました。
軍帥殿の側近が連れていったと、、、、。」
「馬鹿が、、ここが今から、どれだけ寒くなると思っているのだ。」
長蘇が、それを知らないわけが無い。
山に入ったのなら、藺晨では見つけられない。
━━━待つしかないか、、、。━━━
誰かに案内を頼んで、連れ戻しに行きたいところだが、梅嶺に詳しい者など、、、、。しかも、どこに向かったかも分からない。
砦に元々駐屯していた兵もいるが、砦の修復や、砦の外での軍営の設営作業で、何処にいるのか探しきれない。
待つのは好きではない。
砦を奪還し、気が緩んで、、、意外にそんな時に、発作が起こったりするものだ。
側近とは、恐らく飛流だろう。
━━━飛流に何が出来る?。
発作を起こした長蘇を目の前に、右往左往してしまうだろう。
飛流が可愛そうではないか。
飛流は私を呼びに砦に戻るか?。その間、症状が酷くなったら、、。━━━
長蘇は、梁軍の士気が下がることを恐れていた。
━━━そして、ぐったりして帰ってきてみろ、士気が下がるどころか、負けるぞこの戦さは。
私でも、そんな事ぐらい分かるのに、、、具合が悪くならない自信でもあるのか、、、。━━━
そうやって無理をして、長蘇は何度も倒れたのだ。
結局は、探しに行く事になる。
「仕方ない、、、元々、砦にいた兵を誰か知っているか?。」
「、、、、存じません。」
「ならばどの辺に行けば、そういう者に会えるか、分かるか?。」
「、、、、、、、、、。」
「、、、、駄目だな、コレは。」
一兵卒が分からなくても、責められはしない。
「、、、蒙摯か戦英に聞くか。」
その時、静かな風に乗り、澄んだ音が聞こえてきた。
「??、、、なんだ?。」
聞き覚えのある音だった。
「、、笛だ。、、長蘇の笛だ。」
だが、廊州で聞いていたのとは、幾らか違っている。
風流さは影を潜め、聴く者の力が、湧いてくるような笛の音だった。
━━━何かを、喜んでいるような、、、、。
蒙摯や戦英と議論をしていたあの部屋で見つけた笛ではないな。
あの笛では、音すら出ないだろう。━━━
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司令室にしたあの部屋で、長蘇は何かを見つけた。
一本の棒のような物。
埃を払って、懐かしそうに見ていた。
「鳴るように、直せるか?。」
長蘇は隣にいた藺晨に、棒を差し出した。
見れば古びた笛だった。
竹製の横笛で、かつては良い物だっただろうが、長年放り出され、手入れもされていない様で、いく筋かの亀裂が入っていた。
乾燥し過ぎたのだろう。
「これはもう無理だ。割れてしまっている。」
笛の好きな持ち主の、気持ちが伝わるような品物だった。
元々、丁寧に手入れはされていたが、何かの理由で、ここに放り出されたようだ。
藺晨は、しげしげと笛を見ていた。
笛体の中程に、指先で触って、やっとわかる程度の凹凸があり、よく見ると、何が字が彫られていた。
━━━、、、殊、、━━━
藺晨は長蘇の顔を見た。
「お前のか、、、。」
「ふふ、、。」
長蘇は、残念な様子もなく、口元が綻んでいた。
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梅長蘇は、笛を奏でていた。
廊州で愛用していた笛、、、しばらく手にしていなかったが、蘇宅から、荷物に忍ばせていた。
吹くことなど無いと、思っていたのだが。
梅嶺で吹くなぞ、冷たい空気に、肺がやられてしまうかと思ったが、大丈夫だった。
そして、いつもよりも高らかに吹けていた。
昔、この梅嶺に、父林燮と巡回に来て、時折吹いていた。
父に「吹くな」と叱られた。
「笛ぐらい」、そう思って、吹く事を止めなかった。
すると、林燮は無言で、林殊から笛を取り上げた。
あの笛が、あの部屋にあったのだ。
赤焔事案よりも、ずっと以前の事だった。
笛は十数年、ずっとあの部屋の隅にあったのだろう。
砦からの山道を、山の尾根の方に半刻ほど馬で登ってきた。
そこには梅嶺の大岩が見える場所がある。
大岩は隣の高い峰の山腹にある。
長蘇が、今、立つ場所からは、岩は半分以上が山に隠され、上の方しか見えなかった。
───あの地に、父がいる。
そして、赤焔軍はあの山で果てたのだ。
あの場所に、この足で行きたいと思っていたのだ。
、、、、だが、私は、行けぬかも、知れぬ。
そんな、予感がする、、、。───
どこかから湧いてくるような、漠然とした予感。
作品名:梅嶺 弐───再会─── 作家名:古槍ノ標