草の海を渡って
ハンガリーは、一瞬。
少年が、泣いているのかと思った。
横顔を見ると、頬は静かに乾いていて、そこに涙の光りはなく、ただ、赤い目だけが、昏く、耀いている。
けれども、隣に並んだハンガリーにはわかった。少年の、深い、絶望のような、救いがたい悲しみが、流れこんでくる。それは、ハンガリーの翠の瞳から、透明な雫となって、次々と溢れ、男の眠る土に染み込んだ。
少年が振り向いて、ぎょっとしたように呟いた。
「マジかよ…泣いてんの、おまえ」
「なにが悪い。泣けばいいだろ、おまえも」
「はあ?馬鹿か。めでてーやつだな」
「馬鹿じゃねえ。おまえの、民だろう。泣けよ。可笑しいことなんか、ひとつもねえよ」
少年は、静かに涙をこぼすハンガリーの横顔をじっと見つめた。
これが、『国』だ。
民を愛し、民に慈しまれ
共に生き、戦い、泣いて、笑う
眩しい、小さな『国』の化身。
「――馬鹿馬鹿しい」
軽く放ったはずのせせら笑いは、思ったより上手くいかず、ぽつりと少年の足元に落ちる。
「…俺は。お前とは、違うんだよ」
「一緒だろ」
投げつけられる、きっぱりとした響き。おまえになにが、と思わず鋭く目を上げた時。
「形とか、細かくは違うかもしれねえけどさ」
ハンガリーが、まっすぐにこちらを睨み付けていた。
懸命に言葉を振り絞ろうと、眉をひそめ、キラキラと濡れた草原の翠が、強く、少年を射ぬく。
「よくわかんねえけどさ、一緒だろ!?」
違うか、
真っ向から、問われて。いつもの、片頬を歪める意地の悪いは浮かばなかった。
浮かべることすら、忘れていた。
ただ、驚きで平坦になった声でぽつりと
「お前は――本当に、馬鹿な野郎だなあ」
「はあ!?」
ハンガリーの頬に赤く血が昇る。ミルク色にほのぼのと透ける怒りの朱を、キラキラと輝く翠を、うつくしいと、少年は思った。
「お前がへこんでベソかいてっから慰めてやったってのにどういう言い草だてめえ!」
「泣いてるのはお前じゃねえか女子供みてえにボロボロ泣きやがって」
「だれが女だ、なんだやんのかコラ」
「やなこった。ガキは早く帰ってみんなに頭でも撫でてもらえよ」
「てんめえええふざけやがって許さねえ!二度とオレの土地に現れるんじゃねえぞ!?次見かけたらただじゃ返さねえからな!」
怒り狂うハンガリーに、少年は意地悪く笑う。
「なんだよ。ここに眠るのはおれの民だぞ。おまえ、自分の国民に、会いに来るなっていうのかよ」
ハンガリーは一瞬、明らかに言葉につまり、うんうんと唸ったあと、小さな声で
「…ええと、じゃあ。は、墓参り!それなら許してやるよ…その!墓参りだけだぞ!悪さはすんなよ!」
少年はハンガリーを見つめ、いっそ感動したように、しみじみ言った。
「ハンガリー、本当に…お前って、馬鹿なやつだなあ」
「ぬぅわああああやっぱ殺す!死ね!このチンピラ騎士団が!!」
「ハハハ上等だぜかかって来いや!俺が勝ったら今日の飯と宿はおまえ持ちな!」
月明かりに照らされた、どこまでも続く草原を、風が渡る。波のようにうねるその中を、ふたりの小さな影が駆けまわる。
降るような満天の星が輝きわたるなか、幼い笑い声は、風にのり、いつしか月に吸われていった。
終