桜恋う月 月恋うる花
斎藤さんの先導で客間に案内される事になった。
部屋を出る時ちらりと視線を送ると、土方さんと沖田さんが頷いてくれた。
三人の事は任せても大丈夫、よね。
事情が解らない以上、余計な事をして事態を悪化させたら拙いくらい、いくら綾乃でも理解るだろうし、和麻さんが私より遥かに強いって言っておいたから襲撃なんて馬鹿な真似、しないでくれるだろうし。
京の町から壬生村まで歩いたし、千鶴ちゃんもお風呂を使ったし、食事をしていないけど明日の朝までくらいなら我慢出来るかな。いざとなればチョコレートがポケットに入っているし。
布団は自分達で敷いて早々に休む事にした。
「あの、神矢さん」
「静香でいいわ。静なら男名前としても通るから。二人きりの時は千鶴ちゃんて呼ぶけど、人前では雪村君呼びにするね」
「は、はい」
「で、千鶴ちゃん、夕餉は食べていないのでしょう?」
「は、はい」
「実は私も。携帯食でムシ抑え程度になる物があるから、今夜はそれで我慢しときましょ」
ウインクしてポケットから取り出したチョコレートを千鶴ちゃんの口に放り込む。
「! 美味し……」
「数が少ないから内緒ね」
千鶴ちゃんは口をもごもごさせながら頷いた。
部屋には家具らしい家具はないけど、文机と行灯がある。
手早く髪を解くと、綾乃と似た髪質で色の違う私の髪が広がる。
「綺麗な髪ですね、静香さん」
「そう? 土方さんには遠く及ばないけど」
「そりゃあ歳兄様は髪もとても綺麗だけど」
千鶴ちゃんの口調には当然というニュアンスがある。
「あらら? 土方さんは別格という事なのかしら?」
「え、あ……」
千鶴ちゃんが真っ赤になる。この反応からすると、千鶴ちゃんは仄かには自覚しているのかも。
微笑ましいこと。
押し入れから引き出した布団は言われた通り湿気って黴の臭いがした。
精霊に頼み、黴が枯れる程度に湿度を払って貰いながら布団を敷く。自分の分と千鶴ちゃんの分も。和麻さんの力なら、お布団を温める事も出来るんだけど、私はそうはいかないわ。
ポニーテールにしていた髪ゴムで、首元に髪を纏め、袴と着流しを脱ぎ襦袢姿になる。
千鶴ちゃんも着物を脱いで手早く畳み、私達は月明かりだけでそれらを済ませて布団に潜り込んだ。
障子に月明かりで影が射す。
気配を消されていたので今まで気付かなかった。廊下に土方さんと斎藤さんがいる。
ふっと溜息を吐いて布団から抜け出す。
「静香さん?」
「千鶴ちゃん、一緒の布団で寝てもいい?」
「え…」
「その方が温かいし。警護の為だと思うけど、廊下に斎藤さんと土方さんがいるの。廊下じゃ寒いから体に悪いわ」
「あ…」
「せめて部屋に入ってもらいましょ?」
こくりと頷く千鶴ちゃんの同意を得て、真ん中に並べて敷いた布団の位置をずらす。あと一枚布団を敷く事が出来るスペースを確保して、羽織を引っ掛けて障子に向かう。
そっと障子を開けると並んで座っていた二人が驚いて振り返る。
「そんな所にいては冷えます。せめて部屋に入って下さい。私は千鶴ちゃんと一緒に寝ますから、お布団一組運んできてお二人も布団で休んで下さい」
「いや、女子の隣で休むなど…」
狼狽える斎藤さんに苦笑する。
「信用しておりますよ。斎藤さんは真面目な方ですし、土方さんは千鶴ちゃんを大事にしてらっしゃるから、お二人とも無体な真似などなさいませんよ。寝ずの番などして明日の仕事に差し支えても困りましょう? それに眠っていても、すぐ傍にいる者が抜け出して気付かない迂闊者でもないでしょう?」
斎藤さんの反論も、土方さんの意図も承知の上。
尤も、起きていても二人に気付かれずに抜け出す事などそう難しい事ではないけれど、それを明かす事もない。そもそも抜け出す気はないんだし。
「千鶴ちゃんは兎も角、私がいては土方さんはお休みになれないでしょうけど、布団で横になるだけでもして下さい。貴方は新選組を支えなければならない方でしょう?」
本来なら寝ずの番の見張りなど平隊士の仕事だけど、私の事は平隊士に気取られるわけにはいかない筈。だからって、何も副長が自ら寝ずの番なんて……。あぁ、沖田さんが斬る斬る言って千鶴ちゃんを脅す心配があるのかな。それとも、和麻さん達の見張りに、沖田さんが付いているのかしら。
困惑して顔を見合わせていた二人は、私の顔を見て溜息を吐いた。
「斎藤。お前の部屋の方が近い。布団を持ってくるといい」
「いえ、副長。布団をお持ちしますので、副長がご自分の布団でお休み下さい」
切がなくなるな、これは。
「土方さん、私の事は斎藤さんには?」
千鶴ちゃんの耳には届かないように、小声で言葉を伝える。
土方さんは小さく首を縦に振った。それに頷き返して、今度は斎藤さんに話し掛ける。
「お布団は、力を使って乾かしてあります。斎藤さんはご自分の布団を運んで下さい」
訝しそうな表情をしたが、襦袢の上に羽織を掛けている私の姿に、これ以上口論を続ける事は好ましくないと考えてくれたようで、行動に移ってくれた。
「土方さんは先に部屋に入って下さい。私が壁際で、土方さんとの間に千鶴ちゃん、土方さんの向こうに斎藤さんで良いですね?」
「あ、ああ。……仕切るな、神矢は」
「え? ああ。一族は実力主義なので、新選組と同じ機構です。組の人数は少ないですけど。まぁ、本音を言えば、弱い者を守りながらだと人数が多いと大変なんですよ」
「神矢は強いって事か」
「……手合せしますか? 得意は徒手ですが、剣も使えますし」
「それは知ってる」
あ、そうか。『羅刹』を始末するところ見られてたっけ。それに沖田さんを封じたし。
近藤局長がどこまで強いか判らないけど、土方さんクラスを相手に乱取りしてもそうそう負けない実力あるしね。
剣を使うなら、現状では鬼と新選組を合わせた中で風間千景が一番強いけど、彼など私にとって敵じゃない。
スタミナが足りないから和麻さんには到底敵わないけど、小技なら和麻さんと張れるんだから。
「すまないな、千鶴」
「いいえ。歳兄様。静香さんが教えて下さらなければ、歳兄様達が廊下にいらした事も気付けなくて、申し訳ありませんでした」
土方さんが苦笑している。
気配を消していたから、二人の事に気付く人間はそうはいないけど、敢えてそれは言わずにおく。
私は、押し入れに残っていた座布団を三枚ほど引き出して重ねて乾かした。この時代の枕は私には使い難いから、物が座布団でも構わない。流石に折り曲げて使うわけにはいかないから三枚は必要になる。
そうこうしていると斎藤さんが布団を抱えて廊下を歩いてくる。斎藤さんが部屋の前に着くのと同時に障子を開いて、止まる暇なしに部屋に入るように促す。
障子の傍に布団を敷けるスペースを見付け、斎藤さんは自然にそこに布団を敷いた。
現代の東京から幕末の京都に来た身としては、かなり寒くて堪える。確か斎藤さんも寒さは苦手な人だった筈だから。
部屋の外側の方が気温が高くなるように精霊に温度調節をお願いして、朝方には自然に気温が下がるようにして貰おう。
兎に角全ては明日から始まる。
作品名:桜恋う月 月恋うる花 作家名:亜梨沙