桜恋う月 月恋うる花
意識が浮上して、目を瞑ったままで周囲の状況を確認する。
色こそ判らないけれど、目を瞑っていても周囲の状況が把握できるから、力って本当に便利よね。
純和風の造りで機械の気配が何もない。
やはりご都合主義な現代にトリップ、はしていないわけね。
千鶴ちゃんはゆったりと私の腕の中で眠っている。
その向こうでは、土方さんが目を瞑っているけど寝息は聞こえない。
障子の手前の斎藤さんからは微かに寝息が聞こえる。
室内の気温は外よりもだいぶ温かい。このままだと外に出た時にヒートショックを起こしかねないな。
少しずつ室内の気温を下げていく。
斎藤さんが寒さの所為で目を覚ました気配がする。
目を開けると室内は少し明るくなり始めている。
「……おはようございます。土方さん、斎藤さん」
「おはよう。よく眠れたか?」
「お蔭様で。千鶴ちゃんが行火になってくれましたから」
小声で返す。
「お前の力って……」
眠れなかった所為で気付いたのかも知れないわね。
「流石は土方さん。敏い方ですね」
みなまで言わせずに肯定する。
「おはようございます、副長。神矢」
「おはよう、斎藤」
「神矢の力を、副長はご覧になられたのですか?」
「見たっつーよりも……」
「土方さんは勘の良い方ですね。目に見えない使い方をしていましたから、気付かない人は気付きませんのに。和麻さん以外の力は本来は目に見える力なので、うっかり使うと同業者に簡単にばれてこの時代の本家に通報される事になりますから、余程の事態でない限り使わないですよ」
「目には見えない力?」
「私と和麻さんだけは本来の一族の力とは違うので。武家社会の中で武家の出ではないのに武士らしくあろうとする土方さんや近藤さんが、謂れのない侮蔑を受けているのと同じ扱いを、私も和麻さんも一族から受けますよ。受け入れてくれる人も認めてくれる人もいますけどね」
魔術を使える事は敢えて教えない。気付く人が気付いて尋ねられたら応えるだけだ。
「本家に知られると困る、というのは……」
「申しましたでしょ。和麻さんと私の力は、本来の一族の者が持つ力ではありません。血筋に与えられる力なので、勘違いしている者が多いのですよ。自分達が選ばれた存在なのだ、とね。私達の存在を知られると要らぬ厄介事を引き寄せる事になります。」
「……神矢、というのは偽名か?」
「流石は新選組の副長殿。鋭いですねぇ。でも、本名を名乗っても、少なくともそん所其処らの者に身元を突き止める事は出来ませんよ。」
土方さんの視線が鋭くなる。
「例え新選組の監察方でも、です。うちの一族がその存在を知らせているのは本当に極一部の者にだけです。」
「う………んっ……」
腕の中の千鶴ちゃんの意識が浮上し始めた。
「流石に明るい所で着替えをするのはお互いによろしくないでしょう? 男女七歳にして席を同じうせず、でしたっけ? 私は目を瞑っていますから着物を着て一旦は部屋を出て下さい」
土方さんはさっさと起き出して着替えをする。斎藤さんも寝起きは良いのかさっさと動いた。布団まで畳もうとする。
「お布団はそのままで。千鶴ちゃんが起き出す前に部屋を出て頂いた方が良いと思います」
「そうか。しかし……」
「うぅ……んっ……」
「ほら、お早く」
さっさと斎藤さんを促し、土方さんに続いて二人が部屋から出ていく。
障子の外で立ち止まった斎藤さんを土方さんが促している。
『俺は仕事がある。お前も朝の鍛錬があるだろう』
『しかし……』
『何も知らねぇ千鶴を傷付けるような女じゃねぇさ。少なくとも逃げ出す気はねぇよ』
流石というか、土方さんは本質的に理解るのか見極めがいいのか、私の態度や行動が芝居じゃないと思うのか、若しくは水を操るという事がどんな力に繋がるか理解したのか。ある程度の信用か、私に監視を着ける事は無駄と判断したのか。
本当のところは判らないけど、鬱陶しい思いはしなくて済みそうだわ。
つらつらと考えていると千鶴ちゃんが目を覚ました。
大きな茶色の瞳がぼんやりと開かれる。
「おはよう、千鶴ちゃん」
「……おはようございます」
ふわりと笑う。
本当に笑顔の多い娘だわ。
清純で一途、自分の事には鈍感で、でも頭は良くて、兎に角可愛い。
これじゃあ、新選組の若手がみ~んな千鶴ちゃんに惚れるのも無理ないか。
「起きましょう。斎藤さんと土方さんは既に起きて部屋を出て頂いたわ」
「歳兄様と、斎藤さん……あ。そうか。昨日京に着いて、色々あって……歳兄様に遭って、新選組の屯所まで連れて来られたんでしたね」
「そう。で、新選組の屯所は本来女人禁制だから、私達も男装して動く必要があるって事」
「はい」
「まずは着替えましょう」
「はい」
昨日原田さんから借りた晒を胸に巻いて、袴姿に着替える。何やら視線を感じたけれど、千鶴ちゃんしかいないよね?
振り返ると何やら羨ましそうな視線?
「千鶴ちゃん?」
「あ、すみません。静香さん、女らしい体つきしてらっしゃるから……」
ああ、なるほど。
幸か不幸か、私はプロポーションはかなりいいと思う。胸があるからモデルとかは出来ないけど、まぁ、邪魔というほどではない。常に鍛錬と仕事の繰り返しだから筋肉も着いているし余分な脂肪があると動く時に邪魔だからダイエットもしている。
「千鶴ちゃんはまだ数えで十四でしょ? 私なんてもう二十四よ? 子供の二人や三人いてもいいくらいじゃないの?」
首の横で髪ゴムで纏めていた髪を解いて、羽織の内ポケットに折り畳み式の櫛が入れてある事を思い出し、それで髪を整えた。
「お布団…………」
「後で干しましょう。女人禁制って事は男所帯だもの。況してや京の治安を預かるという事は、忙しくて掃除や洗濯は手抜きに違いないのよ? 皆さんのお布団も干してない筈だわ。剛道殿が見つかるまでにしろ、ここにいる事になるのではない? 客人として扱われても何もせずにいるのは心苦しい事になるもの。初めから動いてしまいましょう?」
「でも、勝手が分からないし……」
「どなたか捕まえればいいのよ」
言って、私は布団を干し易いように選り分けて障子を開けた。
外気の冷え込み方で予想はしていたけど、庭には一面雪が積もっている。昨夜のちらついていた雪が明け方までに積雪したらしく、庭木はすっかり雪綿帽子を被っている。
それでも雪は止んでいて、雲間から僅かにだけれど陽が射し始めている。
丁度視界の端に平助君の姿が映る。
「おはようございます、藤堂さん」
「お、おはよう、神矢」
藤堂君はこの寒空でも構わず短く切って改造した着物を身に纏っている。
「早いじゃん」
「普通ですよ。千鶴は家事を担っていたのだし、私は鍛錬で夜明け前に起き出す生活が普通でしたよ」
「おはようございます。えっと……」
「おはよう。あ、俺、藤堂平助。平助って呼んで?」
「雪村千鶴です。藤堂さん、じゃ駄目なんですか?」
「堅苦しいだろ? 歳も近いし。俺も千鶴って呼び捨てにするからさ」
「え、ッと、じゃあ、平助君、で」
「うん」
よしよし自然な流れね。
作品名:桜恋う月 月恋うる花 作家名:亜梨沙