桜恋う月 月恋うる花
「本当に、幹部を抜きやがった」
ポツリと呟く永倉さんの声はどこか呆然としている。
土方さんの眉間の皺が深い。
新選組は最強でなければいけないのだから、たった一人に生え抜きの幹部が全員試合でとはいえ負けたなんて、冗談にもならない筈だもの。
「さぞや名のある剣士なのだろうな。」
斎藤さんが後ろから声を掛けてきた。
驚きもせずに振り返った私に、斎藤さんが眉を顰める。
「殺気のない人に背後を取られたからとて慌てる必要はありませんでしょう?」
「殺気を消している相手ならばどうする?」
「生憎と、危険は察知できる性質です。でなければ今頃ここに立っていませんよ。」
危険を察知する感覚は持ち合わせている。
それを行使して逃げる事が出来ない立場だっただけで、避けるくらいは当たり前だ。時には姿を現す前に攻撃を仕掛けてくる相手と対峙してきたのだもの。
殺気を放つも隠すも自由自在に出来るくらいでなければ生き残れない戦場を駆けてきた。況して身内の筈の者達からいつ攻撃を向けられるか判らない環境で生きてきたのだもの。
「生憎ですが、名は知られてはいませんよ。私は、ね。」
「お前ほどの者が、か?」
「和麻さんが強過ぎるので、私など霞んでしまいますからね。」
肩を竦めると、斎藤さんは我関せずの態度のままの和麻さんに視線を向けた。
「八神は証明したわけではないからな。」
「あら? 斎藤さんほど気配に敏感な方なら、和麻さんが気を抜いているようでいて隙がない事、お解りかと思いましたが?」
目を閉じてまるで転寝をしているような和麻さんの態度に、斎藤さんは目を細める。
当然の反応だろうけどね。
「和麻さんの剣戟は鎌鼬を起こせるんですよ。それに、あの人と殺し合いをして生き残った人など今までいません。」
「へぇ。それは是非、手合せ願いたいな。」
沖田さんも会話に加わる。
「只働きは一切しない人ですから。気が向けば兎も角そうでないと他人の為には、指一本動かすのにも料金を要求する人です。」
「うわっ、守銭奴だね。」
「ええ、まったく。沖田さんを更に不真面目……いえ、土方さんとほぼ正反対の性格、かしらね。」
「へぇ。鬼副長と正反対な性格、ね。じゃあ、優しくて甘くて柔らかくて……。」
「総司。聞こえてるぞ。」
土方さんの突っ込みが入る。
「ほぼ、と言いました。厳しいところは土方さんと一緒ですよ。」
溜息混じりに答えると、土方さんが眉を顰める。
「俺の事を良く知っているような口ぶりだな。」
「沖田さんは割と末っ子気質ですけど、土方さんは末っ子の割にはその気質が薄い人だという事は存じてます。」
「ほう?」
「面倒見の良い方だという事は、雪村君が懐いている事からも理解りますし?」
軽く首を傾げて口元に笑みを浮かべる。
千鶴ちゃんは、綾乃や煉と共に幹部達の後ろから見学していた。
その千鶴ちゃんに視線をやると、呼ばれたと勘違いしたのか、トコトコと寄ってきた。
「凄いんですね、静香さん。新選組の皆さんは相当お強いのに。」
「まぁ、実戦ではないし。」
「試合だから勝てた、と?」
「実戦なら、一対一とはならないでしょう?」
「確かにな。」
土方さんが息を吐く。
新選組の戦い方は、何も正々堂々の対決というわけではない。平隊士なら強い相手には大勢で囲んで対峙する。幹部は囲まれる側だけれど、彼らをして簡単に勝てない相手なら、個人で対する事はない。
風間千景は後に幹部が大勢で対峙した時に、弱いから群れるなどと侮っていたけれど、相手を見縊って負けるなど愚の骨頂の行為だ。
信用して貰うには時間が掛かるけれど、そもそも私達の存在自体がこの時代では証明が着かないものだ。
傷を負ってまで始末する価値があるかどうかを考慮する材料だけ与えられれば、今のところは良しとしなければ。
「で、和麻さん。試合に応じる心算は?」
「ないな。」
にべもなく言い捨てる和麻さんに溜息が漏れる。
「腕を示しておくという気はないわけ?」
沖田さんが揶揄するように問うが、和麻さんは苦笑するだけだ。
「試合じゃ、しずが言うほど、強くはねぇさ。土方さんとそういうとこは同じだな。」
「へぇ。鬼の副長と肩を並べられる自信があるって事かな?」
「是非、相手をしてほしいぜ。」
私が女性と知っている所為か全力を出していなかった永倉さんも原田さんも好戦的な視線を和麻さんに向ける。
「だからって攻撃しないで下さいね。問答無用で反撃されますし、和麻さんは老若男女問わず、攻撃してくる相手には容赦がありませんから。」
「君は僕らが簡単に負けるとでもいう心算かな?」
「沖田さんは、鎌鼬を避け切れるほど、人間離れしてるんですか?」
人の話を聞いていなかったのだろう、と指摘すると、沖田さんは冗談じゃなかったの?と小首を傾げた。
私も本気出せば鎌鼬作れるのよね。怪我させるわけにはいかないからやらないけど。
「和馬さん、報酬出すから一戦。」
「一人だけだぞ。」
溜息混じりに答える和麻さんにほっとする。
「……総司、行って来い。」
土方さんが気が進まない、という体で口を開く。
沖田さんは自分の剣に自信がある所為か、和麻さんの力量を瞬時に測る事は出来ないのか、喜々として木刀を手にした。
和麻さんは飄々とした態度のまま、だらりと木刀を構えるでもなく横に下ろしたままで立つ。
いきなり間合いを詰めた沖田さんが放った三段突きを余裕で躱してしまい、軽く跳躍して沖田さんの後ろを取る。
普通の人間なら、項に木刀を当てられてジ・エンドになる所だろうけど、沖田さんは流石に咄嗟に後ろに下がった。
沖田さんが空かさず横薙ぎに払った木刀に向けて、和麻さんが鋭く木刀を振り下ろし、次いで先端を上げる。
コン! カラン、カラン!
「何っ……!?」
振り切った沖田さんの木刀は、本来なら和麻さんの胴に入る位置だろうけど、和麻さんは平然と佇んだまま。
私は和麻さんが切った沖田さんの木刀の先端を拾い上げる。
「勝負ありましたね?」
切られた木刀の先端を翳して見せると、土方さんは瞬間息を飲んだ。
「……一本、八神!」
土方さんが宣言すると、沖田さんは呆気に取られた表情で短くなった木刀をまじまじと見ている。
「八神が鎌鼬を起こせるという話は本当だったのだな。」
斎藤さんがぼそりという。
「眉唾物と思いました?」
くすりと、小さく笑って横目で見遣ると、斎藤さんは幾分悔しそうな表情をしている。
この人も存外負けず嫌いらしい。
まぁ、試衛館出身の幹部は誰も皆負けず嫌いなんだろうけどね。
「八神に攻撃するなといっていたのは、こういう事か。」
斎藤さんが納得したように呟く。
「そうですよ。反射的に反撃すると、咄嗟に鎌鼬が出るから、怪我だけで済む保証がありません。」
「正しく一撃必殺の剣、なのだな。」
作品名:桜恋う月 月恋うる花 作家名:亜梨沙