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桜恋う月 月恋うる花

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 懐の確認を終えてふと顔を上げかけた時、斎藤さんが襟巻に顎を埋める仕草が目に入った。

「千鶴ちゃん。そろそろ泣き止んで? この寒空に立ち尽くして待つ方はちょっと困るので……」

 控えめに告げてみる。
 千鶴ちゃんは、本来思い遣りのある娘だから、これで泣き止んでくれる筈、

「あ、す、すみません」

 千鶴ちゃんと土方さんが知り合い設定なら、『羅刹』を見ていない千鶴ちゃんが新選組で怖い思いをする事はまずないわね。
 少なくとも、この寒空で泣き止むまで泣かせてやろうとするくらいには、土方さんに取って千鶴ちゃんて大切な存在って事でしょうからね。
 土方さんに付き添われるように歩く千鶴ちゃんの後ろを、斎藤さんと沖田さんに警戒されながら壬生の屯所まで歩いていく。

「何があった?」

 土方さんは千鶴ちゃんの背に大きな掌を当てたまま、歩かせるように促して千鶴ちゃんに問い掛けた。

「ひと月あまり前、毎日のように届いていた父様からの文が届かなくなったのです。松本良順先生にお伺いのお手紙を出してもなしの礫で。いてもたってもいられずに京まで来てしまいました。」
「来てしまいましたって、一人でか!?」
「はい。松本先生をお訪ねしたら先生はお留守だと。せめて、と父の行方を訊ねて回っていたら、浪士達に絡まれました。」
「私が見つけた時には随分息が上がっていましたからね。かなり長時間追い回されていたのではありませんか?」

 見上げると満月は南東の空45度くらいまで昇っている。明るいうちから追い掛けられていたのではなかったっけ?

「…そう、ですね。まだ明るいうちから追い掛けられていました。」

 その言葉に男性陣はみんな目を丸くした。

「明るいうちからって……」
「では二時以上もではないか」

 土方さんは心配そうに千鶴ちゃんを覗き込む。千鶴ちゃんはその土方さんの視線を不思議そうに見返している。
 土方さんは千鶴ちゃんの濁りのない視線を少し見ていたが、ひょいっと、千鶴ちゃんを抱き上げた。

「えっ、きゃっ! 歳兄様っ!」
「騒ぐな、暴れるな、落とすぞ。大人しくしてろ」

 千鶴ちゃんを子供のように縦抱きにして、危なげない足取りで歩いていく。
 前を向いている土方さんの顔は見えないけれど、抱き上げられた千鶴ちゃんの羞恥で赤く染まった顔は諸に見えてしまう。
 視線のやり場に困ってしまうわね。
 息を吐いて瞼を伏せ、意識を周囲に走らせた。
 ここから壬生までは少し歩くけれど、人通りはない、今のところは。
 上空を探ると、和麻さんが探索の風を収める処だった。

『三昧真火の気配はあるぞ』

 和麻さんが『遠耳』で情報をくれる。
 あ~、やっぱりうちの一族は存在設定なのね。
 で、この時代だと、綾乃と煉は兎も角、私と和麻さんは、存在そのものが一族の恥とか宣って、下手したら暗殺者送り込まれるわね。
 やはり、神凪は名乗らない方が無難よね。余程の事態にならない限り二人にも力を使わせないようにしなきゃ。和麻さんも私も自分の”気”を隠して力を奮えるけど、二人はまだその域まで達してはいないから、使うとばれる確率が高い。ここは京の都、陰陽道の本家がある所だから拙いものね。

 自分達がこの時代に飛ばされた時に着地した場所が判ってないから、壬生までどれくらい歩かなきゃならないのか判らない。唯歩くのって結構疲れるんだよね。
 私、何のかんの言っても現代人だし、鍛錬の為以外にはあまり歩かないしね。
 新選組の皆さんはこの時代の男性で脚は強いし。
 唯歩く、となると嫌になるから、これも鍛錬と思う事にして、私は目を閉じたまま、土方さんの足音を頼りに、周囲の状況を読み取り方向を読み、気配を探りながら歩いていた。
 月明かりの所為で、そんな私の顔が千鶴ちゃんからは丸見えになっていた事に、気付かないままだったのは、神凪静香、一生の不覚だった。


作品名:桜恋う月 月恋うる花 作家名:亜梨沙