花の名前
ただ、何かを考えるかのように目を伏せた後、アキラの身体を抱き上げた。
「えっ、うっわぁ・・・・・・・なにっ?」
「黙れ。大人しくしていないと落とすぞ」
それだけを告げると身を翻し、路地を歩き出す。
どこへ向かっているのかも分からない。
ただ運ばれるままになっているアキラは何時もより近い位置にあるシキの顔を眺める。
そのうちユラユラと心地よい振動に疲弊していた身体は陥落し、意識が途絶えた。
目を覚ましたのは温かい湯が頭から掛けられたからだった。
あたりを見渡すとタイル張りのごく一般的な浴室で、シャワーヘッドを持ったシキが見下ろしていた。
服を着たまま上から掛けられるシャワーに呼吸がままならず数度咽た。
「・・・・・・ッ、ケホッ・・・・・・・ここは?」
「お前が知る必要は無い」
それだけ言うと着ていたものを剥ぎ取っていく。
体温が下がり、目を覚ましたばかりでは抵抗することすることも思いつかない。
ブルゾンを床に放り投げ、オレンジのTシャツを捲りあげる。
半分ほど捲ったところで手が止まる。
訝しげな目で此方を見てくるシキに首を傾げる。
そのままTシャツを脱がした手が胸部に巻かれたさらしに触れる。
「・・・・・・・」
無言であるが驚きと戸惑いが混じった空気が感じられた。
そのままさらしが外され、顕わになった膨らみにシキが嘆息したように呟いた。
「女だったのか・・・・・・」
シキが漏らした小さな呟きに気付いてなかったのかとぼんやりとした頭で思った。
男の平均身長と同じかちょっと低い身長と低めの声、それから凹凸の少ない身体のお陰で女だと思われることの方が少なかった。
アキラという名前も原因の一端を担っていたのだろう。
Bl@starをしていたときも多分気づかれていなかった。
確かに力の差はあるが筋肉達磨としか言いようのない輩は敏捷性に欠けたし、急所を狙えばそれなりにダメージは与えられる。
なにより、比べたことも無いが一般的な女と比べると力も自分の方が強いらしかった。
だから線の細い、青年。
それがアキラの外見からくる周囲の評価だった。
周囲に同年の少女は居なかったし、改めて性別を晒した上で付き合うような人間関係を築いてきたわけもなく、このような時にどう反応していいか分からなかった。
湯気で白くけぶる浴室内。
見下ろしてくる紅を見上げた。
「・・・・・・・・」
シキは何も言わず、シャワーヘッドを湯船に追いやり湯を張る。
何をするつもりなのかと問うように見つめれば、下肢の衣服も取り払われ抱き上げられる。
本日二度目の浮遊感に咄嗟にシキの首に腕を絡め、安定を図る。
その瞬間ビクリとシキの身体が跳ねた気がしたが、そのまま湯船の中に下ろされた。
動作は丁寧としか言いようがなく、一体どんな心境の変化だと訝しく思った。
「何なんだよ」
「・・・・・・・温まるまで出てくるな」
それだけ言うと踵を返し出て行こうとする背中に驚いた。
「ちょっと待てよ、アンタは・・・・・・」
雨に濡れていたのは自分だけではないし、シキが連れて帰ってきた理由は良く分からないがけして親切からじゃないだろう。
なのに、敵か味方かも分からない俺に風呂を譲るのはどういう理由なのか。
「・・・・・・・・・・・馬鹿が」
「なっ!!」
顔だけ振り返ってこっちを見た後に吐き捨てられた言葉に頭に血が上る。
しかし、それ以上留まるつもりはないらしくさっさと出て行ってしまった。
「ホント、何なんだよ・・・・・・」
だんだん溜まって行くお湯に身体が温められ、解されていく。
久しぶりに入る風呂に気分も回復に向かっていくようだ。
疲労からかフワフワとしだした思考に、眠いのかとどこか人事のように感じながら湯船の中で膝を抱えた。
目を開けるとひび割れた灰色の天井が見えた。
身体を起こそうとするとクラリと眩暈がして、そのままシーツに逆戻りする。
「起きたのか」
声がした方に顔を向けるとシキが椅子に座り、日本刀の手入れをしていた。
ジッとそっちを見ていると、鞘に刀を納め此方へと近づいてくる。
サラリと音がして、ひんやりとしたシキの手が額に触れた。
「お前は馬鹿か?」
「なっ」
行き成りの言葉に二の句が告げられない。
金魚のようにパクパクと口が開いて閉じる。
「湯を止めることもせずに風呂で寝るとは自殺行為にも等しいな。死にたかったのか?」
其処まで言われて、漸く意識を失う前に風呂に入っていたことを思い出す。
あのまま寝てしまったのかと思い起こせば、心底呆れたとでも言うようなシキの目と出会う。
「アンタが、運んでくれたのか?」
尋ねながらも他にするような人物は居らず、ほぼ確信した上での問となった。
それには答えず、水の入ったペットボトルを差し出された。
慎重に起き上がり、水を飲むと喉が渇いていたのだと自覚する。
一気に半分近くを飲み干し、そこで漸く最初の眩暈は逆上せていた為に起こった事だと理解した。
「要らないなら寄越せ」
「えっ・・・・・ぁ」
ペットボトルに残っていた水を全て飲干し、空になった容器をそこらへんに放り投げる。
それからベッドの端に立ち、毛布を捲り入ってくる。
慌てて反対の壁側へと避ける。
シキは特に気にした様子も無いまま、背中を向けて横になった。
「あっ・・・・・・シキ?」
「煩い、黙れ」
突き放すようにそれだけ言うと、直に静かな寝息が聞こえてきた。
無防備な姿など見せなさそうな男がなんの躊躇いもなく寝入る姿に唖然とするばかりだ。
それから、やっと思い至った疑問に首を傾げる。
「何で、俺・・・・・何も着てないんだ?」
答えは返らないまま、アキラはとりあえず毛布を胸元まで引き上げた。
雨の中を走り回り、信じていた幼馴染に殺されかけ、悪名高いシキに無理矢理連れて来られた。
こうして考えてみると中々にハードな一日だったことが分かる。
だからなのか、隣に居たシキのことも気にせず寝入ってしまっていた。
目覚めて初めて、シキがとっくに起きて部屋を後にしていることに気付いたくらいには熟睡していたらしい。
部屋を見渡せば特に変わった場所もなく、ベッドサイドには半分ほどにまで減ったペットボトルがあるだけだ。
せめて服を・・・・と思っていると椅子の上に綺麗に畳まれた見慣れた上下。
自分が着ていたものだ。
袖を通すとさらっとした感触。
「・・・・・・・・・・・シキが洗ったのか?」
考えると少し怖い結論に至りそうだ。
頭を振って、思考を凍結させる。
とりあえずは自分のことを考えねば。
無意識に左手が胸元のタグを握り締める。
「っ・・・・・」
力を入れた事で昨日負った傷が痛んだようだ。
溜息を一つ吐いて、部屋を改めて見回した。
窓には鉄格子が嵌っており、出ることは無理そうだ。
となると入ってきたドアだけが出入り口ということだ。
流石に鍵が掛かっているだろうとダメ元でドアを開けた。
「・・・・・開いてる?」
何の抵抗もなく開いた扉に拍子抜けする。
扉から顔を覗け、左右を見渡すが誰も居ない。
「逃げても・・・・文句ないってことだよな?」