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棘の役割

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拘束されてから何日経過したかも判らない。
大事な被検体を逃がした責任、また逃亡を助けたのではないかという疑い、それらもろもろが原因で右腕の治療が終わるや否や拘束された。
なぜnが逃げ出したかなど私に知る由もない。
思い出すのはあいつがたまに見せる穏やかな表情だけ。

「n……」

鉄格子こそないが牢と変わらない殺風景な部屋。
部屋を訪れるのは食事と治療の為に来る医者か尋問の為の係員だけ。
そんな状況に疲れ、思考能力も麻痺しかけていた。

「出ろ」
「……?」
「上からの命令だ」

突然の事態に訳のわからないまま拘束を解かれ、病院へ入院することになった。
緊張が解けた為か高熱を出し、1週間ほど寝込んだがそんなことは些細なことだ。
目が覚めた時の驚きに比べたら。

「おや、目覚められましたか?」
「……誰だ?」

医者にしては若すぎるし、軍や研究所の人間には見えない。
しかし、私自身の知り合いでもないのにこの場にいるということは上層部と関係があるということか。
窓際に立ち、穏やかな顔をして笑う男の手には花瓶があり、花が生けられていた。

「初めまして、エマさん。私の名前は……本田菊と申します」
「本田菊……?」
「もう少し早く貴女の拘束を解けれたら良かったんですけど……」

そう言って申し訳なさそうな言葉に驚く。
ということはこの男はかなり上にまで顔が利くということだ。

「nさんの逃亡は貴女のせいではありませんよ」
「なっ……」
「彼にも心があり、それに気づかない愚かな人々のせいです」

そっと私の手を取る男の手は意外にも戦い慣れたものだった。
しかし、温かい。
研究施設に居た誰よりも温かいと感じる。
いや、nの手も温かかった。

「貴女はnさんを愛していらっしゃるでしょう?」
「私は……」

言葉に詰まる。
なぜか男は一瞬驚いてから微笑んだ。
それからきちんとアイロンの当てられたハンカチを差し出してきた。
あぁ、泣いているのか。

「疲れたなら一度休みなさい。それから走り出せばいいんです」

優しく笑って言う彼は私の知っている誰よりも大人に見える。

「今はおやすみなさい」

そう言われて、不思議なことに瞼が重くなる。
意識が途切れる前にまた来ます、と落ち着いた声が聞こえた。


作品名:棘の役割 作家名:あきら