梅嶺小噺 1 の二
まだまだ夜が空けるまでは刻がある。火を絶やすには早かった。
靖王は木にもたれて、中々に苦しそうな姿勢だ。
蒙摯はそっと、靖王の背中をおこして、近くにある荷物を枕に、体を横にした。
そして自分の外套を、靖王に掛けた。
顔には出さないが、靖王も相当疲れていたのだろう。蒙摯に姿勢を変えられても、目覚める様子は無かった。
王族という立場も、怪童と言われる片鱗も消えて、あどけなく眠るこの二人。
蒙摯には、なんとも可愛い弟分のような気がしていた。
赤焔軍には及ばぬが、蒙家もまた梁の大隊を任されており、私軍も抱えている。蒙家も林家と並ぶ、武門の名家だ。
いずれ近い将来、蒙軍のどれかの軍は、蒙摯が初めから大将として率いる事になる。
ところが赤焔軍に入れば、どんな身分の者だろうと、始まりは一兵卒からだ。
蒙軍に入れば初めから高位の地位が約束される。「何も赤焔軍に入らなくても」と、赤焔軍入隊を、親兄弟からは大反対をされた。
正直、蒙摯は、宮廷に翻弄される祖父や父を見ていて、蒙軍に嫌気がさしていたのだ。純粋に自分の腕を磨いただけでは、祖国を思う心だけでは、軍を率いることは出来ぬ。他家の軍との鬩ぎ合い、朝臣との付き合い等、、、、うんざりしていた。
赤焔軍は蒙軍には無い刺激が多く、同じ年頃の者と腹を割って付き合える。
赤焔軍には、蒙軍に居ないような荒くれ者も多く、そんな者との話は馴染めないが、ひと度、剣を交えれば人柄などを推し量ることが出来た。そして互いに尊敬し合えるのだ。
そんな関係を、蒙軍にいては、生涯知ることは出来ないだろう。
そして、こんな可愛い弟分にも、出会えなかっただろう。
「さて、、、。」
そう言うと、二人の側から立ち上がり、優しげな眼は一変し、その双眸は厳しく、辺りを見回す。
刺客が隠れている事は無いだろうが、山の獣の類いには気を付けねばならぬ。
もう来ない、とは言ったものの、あの猪とて、万が一という事がある。
蒙摯の責任では無いとしても、林殊が大怪我をした事は、蒙摯には、大変な不名誉だった。
せっかく自分を信頼してくれた、林燮の気持ちに、報いることが出来なかった。
静寂の山の中、暫しじっと、周辺へと神経を研ぎ澄ませる。
何処かで梟が、鳴いている。
また焚き火に数本木をくべる。
蒙摯は、この場所を少し離れて、周辺を回って来ようと思っている。
ここに何かあったら、直ぐに戻れる様に、靖王と林殊が眠るこの場所にも、蒙摯は心を置いてゆく。
夜はまだ深い。
「、、、ぅあっ、、、冷たい!。」
靖王の顔を、水の飛沫が打つ。
目を開ければ、辺りはすっかり明るくなっていた。夜はとっくに開けたのだ。
「ははははは、、起きたな。」
林殊の声だった。
林殊は、水筒に汲んだ水で手を濡らし、靖王の顔の前で弾いたのだ。
「ここの少し上の方に、泉があったぞ。顔を洗って来いよ。
蒙哥哥──っ、ねぼすけを起こしたぞ。」
林殊は立ち上がって、馬に鞍を乗せている蒙摯に向かって歩いていく。
「し、、小殊!、歩いても平気なのか?、傷は?。」
「おう!、もうクラクラしない。平気だ。背中も昨日程は痛くない。傷の熱っぽいのも無くなったし。」
「そんなに早く治るものか??、無理をするな。見せてみろ。」
蒙摯の所に行くのをやめて、靖王の所に戻って来る。
まだ上着に滲んだ血の痕が生々しい。背中にぽつんと破れた穴があった。そこから牙は林殊を傷つけたのだろう。
林殊は自分で衣服を解き、靖王に背中を向けた。
靖王は包帯を解き、傷を診てみた。
腫れもだいぶ引いていて、体液で包帯は湿っていたものの、傷はもう出血はしていない。
「驚いた、、、。私は三日も眠っていたのか?。こんなに回復が早いなんて、、、。」
靖王は驚いていた。
林殊は元々、怪我をしても治りは早い方だったが、あれだけの怪我を負って、一夜にしてこれだけの回復をみせるとは、、。
靖王は傷薬をかけて、綺麗な包帯で巻き直してやる。
「武人は丈夫でなくちゃなぁ。」
笑いながら、林殊は衣服を直した。
「痛い思いをして、酒を注いだだけあったじゃないか。もう一回やれば、傷が完全に塞がるんじゃないか?。」
「絶対、ヤダよ!!。蒙哥哥が怪我したら、私が酒をたっぷりかけてやるからね!!。」
「私は怪我なんかしかないから、小殊に世話はかけんさ。」
「絶対だな!、蒙哥哥と出かける時は、必ず酒、持ってかなきゃ。」
「残念だな、小殊。傷口にかける前に、飲み干しちまうな〜。」
「くwwwwww。大人気なwww!!。」
「わははは。」
「いいよ、だったら、同じ形の瓶に、毒も入れて一緒に持ってくか。蒙哥哥、上手くお酒の瓶を、選べると良いね。」
「なに〜〜〜!!。毒、飲ます気か〜〜!。」
靖王が笑いながら林殊に聞いた。
「なら、小殊、小殊はどちらの瓶が毒なのか、分かるのか?。」
「ん???。」
幾らか考え込む林殊。
「、、、蒙哥哥、怪我しないでね。」
「オイ!、毒と酒を間違わんでくれよ!!。」
やり込められた蒙摯は悔しそうだが、本心はそんなに悔しがっても居ないのが、靖王には分かった。
「殿下、小殊も大丈夫な様ですし、そろそろ山を下りましょう。」
恭しく蒙摯が靖王に言う。
「ああ、そうだな。」
三頭の馬にはもう既に、蒙摯が鞍が乗せていた。
靖王が支度する間に、蒙摯が焚き火の残り火をを片付けた。林殊も無理のない程度に手伝っていた。
顔を洗いに泉に来て、遠目でそれを見て、靖王は安心をしていた。
脅威の回復力だが、無理をしている様でもない。
獣の傷は厄介なのだと、以前、母親の静嬪が言っていたのを思い出した。
自分の身代わりに、怪我をしてしまった林殊に、申し訳なくて仕方がなかったのだが、この林殊の様子に救われていた。
猪は狩れなかった。
林殊が大怪我をした。
結果は散々だったが、それでも清々しさが、それぞれの心の中に刻まれた。
青空の元、それぞれに心に掴んだものを携えて、帰路についた。
───────────糸冬───────────