BYAKUYA-the Withered Lilac-
少し体の弱いビャクヤはよく体調を崩していたが、どんな薬よりも姉さんの顔を見るのが最高の治療法だった。
「……ありがとう。影。僕を喰ってくれて。姉さん。もう僕は姉さんのいない世界で生きていける気がしないから来世で頑張るよ。来世にはもっと強くなるよ。その時にも姉さんがいてくれたら。うれしいな……」
ビャクヤはその場に横たわった。そして目を閉じる。
次に目覚めたとき、どこにいるのか。天国や地獄か。それともすぐに来世に生まれ変わるのか。
そのようなことを考えながら、ビャクヤは眠りにつくのだった。
※※※
朝日が昇り、その光がビャクヤのまぶたを突き刺した。
「……っは!?」
ビャクヤは目を覚まし、体を起こす。まだまだ暑い日の続く時季であったが、早朝は肌寒く、ビャクヤはくしゃみをした。
「ずず……ここは一体? 不幸のかたまりの僕が天国に来れるはずがないし。地獄にしては明るい……」
ビャクヤは、めまいを振り払いながら辺りを見渡した。
「ここって。僕の家の近くの公園じゃないか。どうしてこんなところに? 僕は確か……」
ビャクヤは覚えている限りの記憶を辿ってみる。
現実逃避して家を飛び出し、姉さんを捜すという表向きの目的を持ちつつも、野垂れ死にするつもりで歩き続けていた。
街中の喧騒に苛立ち、周囲に当たり散らしたら、不良のグループに因縁をつけられそのまま暴行を受けた。
その後も歩き続けていたら、光が全く射さない闇の中に入っていた。
最初はおぼろ気だったが、ビャクヤは自身に起きた出来事を鮮明に覚えていた。
「覚えてる。覚えているじゃないか! 影に喰われて。気を失って。姉さんの走馬燈が見えて。となると影のところまでは現実……?」
考えている内に、ビャクヤは体に変化が起きているのに気が付いた。
これまでは、とにかくだるくて仕方なかった体が妙に軽く感じる。活力に満ちているという感じである。姉さんが死んでからずっとこのような気分にはならなかった。
――そういえば。影に妙なものを飲まされたような気がするな。あれってもしかして元気が出るクスリだったのかな? いや。まさかね……――
姉さんの走馬燈を見たのは、ひょっとするとまだこっちに来てはだめだという、姉さんの意思のようなものだったのかもしれない。
「はあ……何だか死にそびれたな。……やめたやめた。死ぬのはやーめた。興がさめちゃったよ」
姉さんという存在がなくなって、空の容器同然となっていたビャクヤに、謎の力が満たされた。今のこの状態であれば、ビャクヤは姉さん無しでも生きていける気がしていた。
「姉さんのいない世界で。どんな風に過ごせばいいのか分からないけど。僕なりに頑張ってみるよ。姉さん」
ふと、ビャクヤは背中に違和感を感じた。
芝生の上で寝ていたせいで、虫に刺されたのか、それとも草に負けてしまってかぶれたのか。
しかし違和感といっても、痛みやかゆみを伴うものではない。背中の数ヵ所が、妙にむずむずするだけである。
「なんだ。この感じ? 変な気分だな。まるで何か出てきそうな感じだな」
背中のむずむずする部分は、左右対称になっているかのようにそれぞれ四ヶ所。合わせて八ヶ所である。
「右側の背中。こんな感じかな?」
ビャクヤは、全身の力、神経を全てむずむずする部分に集中させてみた。するとその部分からにゅるりと、なんとも言えない感触がしたかと思うと、ジャキッ、と金属音を立てて何かが顕現した。
「うわっ! なんだっ! 本当に何かでてきたぞ!?」
ビャクヤは驚かずにはいられなかった。
ビャクヤの背中から顕現したものは、刃のように鋭く、禍々しい色をした鉤爪だった。
「これは一体何だろう。まさか姉さんの贈り物? うーん。いくら姉さんからのプレゼントでも。こんな物騒なものはちょっと……」
ビャクヤはひとまず、鉤爪を退かそうとするが、鉤爪はびくともせず、逆に握った手が切れそうなほど痛かった。
「やれやれ……とか言いつつも。姉さんからのプレゼントだと考えると。嬉しいような気がしちゃうんだよな」
ビャクヤは同時に、この禍々しく鋭い鉤爪を姉さんだと思って、大切にしようとも考えた。
これ(鉤爪)をあげるから後を追っては来るな、とも言われているような気もした。
件の蜘蛛の影に、無理矢理何かを飲み込まされたもののおかげか、やはりビャクヤは満たされた気持ちでいられた。こんなに気分が楽なのは、姉さんがまだ生きていた時以来だった。
「あーあ。でもこんなところで寝てたせいかな。節々が痛いし。まだだるいな。帰って寝直そうか……」
その前に冷えた体を少しでも暖めるべく、ビャクヤは温かい飲み物でも飲もうかとズボンのポケットをまさぐる。
「財布がない。……ああそうだ最初から持ってなかったっけ」
第一あったとして、時期的に自販機に温かい飲み物は入っていないし、コンビニにでも寄ろうにも、こんな物騒なものをぶら下げて店内に入ろうものなら、即通報されるだろう。
今は早朝であり、人通りが少ないためになんとかなっているが、やはり誰かに鉤爪を見られれば通報であろう。
「はあ……仕方ないな……」
ビャクヤはため息をつき、足早に公園を立ち去ることにした。幸いにも、この公園からビャクヤの自宅は近い。
それにしても不思議な夜だったと、ビャクヤは思った。
どれほど願って眠っても会えなかった姉さんに、会う夢を見ることができた。
蜘蛛の影のおかげか、それとも生死の境をさまよったための走馬灯か。何れにしても、もう一度、夢でいいから姉さんに会いたいという願いが叶った。
――あの夜(ここ)に来れば。また姉さんに会えるんだろうか? もしそうなら……さよなら姉さん。しばらくのお別れだ――
ビャクヤは微笑を浮かべながら朝日の眩しい公園を歩いた。
「……ったく。いいムードなのにこいつ(鉤爪)のせいで台無しだな。おいお前。いい加減引っ込めよ。邪魔で歩きづら……」
ビャクヤは鉤爪に文句を言った。するとジャキッ、という音がまた鳴った。
「うわっ! 二つ目が出てきたぞ!? ほんとなんなんだよこれ……」
背中にある謎の鉤爪が人目に触れぬよう、注意しながらビャクヤは家路を急ぐのだった。
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac- 作家名:綾田宗