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MIDNIGHT ――闇黒にもがく1

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MIDNIGHT――闇黒にもがく 1


■□■Interlude 黄昏に送る■□■

「ほんとに、悪かったな」
「…………」
 沈黙していたアーチャーは、ツカツカと歩み寄り、衛宮士郎の腕を掴む。
「え? なん――」
「何を言っている! 貴様に、何がわかる! 私の何が――」
「もう、話してる時間、ないんだ、ご、ごめんな!」
 日没が近づく。街を赤く染めた夕陽が僅かな光源となって、輝きを失っていく。
「何を……、言っている、貴様は、私に……」
 なぜだか言葉に詰まる。
「っ……、戻る時間だ。手を放してくれ」
「待て! 私は何も、」
「悪い、ほんと、お前には、唯一のチャンスだったかもしれないのに、俺は……」
 なぜ、自身がこんなにも焦っているのかがわからない。だが、ここで手を離しては、今掴みかけた何かを失ってしまう気がする。
「なぜ、謝る? 貴様は、何を言っている? 私の目的を知っていると言ったな? 私は、お前と聖杯戦争で何をしたのだ!」
「悪い……。放せ」
 今まで、未来を変えるためだ、と強い意志のもと、迷いすら感じさせなかった琥珀と赤褐色の瞳が揺れながら逸れていく。アーチャーは腑に落ちないと思いながらも、その腕を掴んでいることができなかった。
「……もし…………」
 その声が震えている。
「もし……、どうにもならないんなら……」
 左目に手を添えた士郎は、何を思ったのか、眼球を抉り出す。
「な……」
 驚きを隠せず、アーチャーは言葉を失った。
 ずっと気に食わなかった、赤みを帯びた瞳が、血を流すこともなくあっさりと取り除かれた。
 瞼の下りた左の眼窩は、中が空洞であることを示すように落ち窪んでいる。
 何をしているのか、と胸ぐらでも掴みたい。自身を傷つけて、いったいお前はどれだけ己に頓着がないのだと罵りたい。
 だというのに、言葉など浮かばず、琥珀色ではない瞳が取り除かれたことに、どこかほっとしている。
「腐るもんじゃないし、ま、持っとけ」
 士郎は左手を突き出してきた。その手の中に、眼球がある。
 差し出されたものを、アーチャーは拒否するでもなく、ただ、見つめている。
「ほら」
 士郎に右手を取られ、渡されるまま受け取り、それが眼球ではなく、義眼だということに気づく。
 これは、なんだ、と疑問を眼差しに乗せれば、
「もし、どうしても消し去りたくなったら、追ってこい。その義眼には、俺の生体記録が軒並み網羅されている。そいつが俺と繋いでくれるだろう」
 アーチャーは、答えることも、頷くこともできず、士郎を見ていた。黒いミリタリーコートの胸元を片手で握る士郎の表情は、俯いているから見えない。
 赤い残照が士郎のシルエットだけを浮き上がらせている。
「……そしたら…………、そしたらさ、また、相手をしてやるよ。この、命を懸けてな」
「な、ん……」
 アーチャーは、やはり言葉を紡げなかった。
 言いたいことは山ほどあった。訊きたいことは、それ以上に。
 だが、それも叶わず何もかもが掬った先からこぼれ落ちる砂の如く失われていくように思う。
 陽が落ちきった。
 茜の空は藍へと落ちていく。
 咄嗟に伸ばした手は空を切り、何も掴むことができなかった。
 黄昏に、その姿は消えていった。
 黄昏時は、その姿を確認することが難しく、誰何の声を上げたことが語源だとも言われる。
 たそがれ――――誰そ、彼れ、と……。
 その瞬間に、士郎は消えた。
 お前は誰だ?
 わかりきった疑問が浮かぶ。衛宮士郎であることは知っている。だが、消えていった衛宮士郎は、どこか違う、何かが違う。
 衛宮士郎という男はどこか人間らしさが失われていた。
 自己犠牲の気持ちは人一倍強く、誰も泣かない世界という愚かな理想を求め、ただただ愚かな道を歩み続けるしか能のない……。
 だが、未来から来たという衛宮士郎は、確かな理想を持って現れた。未来を変えるのだという、頑なで誰の意見も聞かず……。
 そうして、自身の目的をやり遂げる、という姿を見せつけられた。
「…………」
 何度も謝られた。
 士郎はこの時空より十年先から来たと言った。この聖杯戦争で争われた、壊れた聖杯が様々な災厄の根元だから破壊すると……。
「だが、」
 アーチャーにとって、この召喚は千載一遇のチャンスだ。かつての己を消し去り、自身の運命をなかったことにするつもりだった。 
 そのすべてを、未来から現れた、成人した衛宮士郎が潰してしまった。
(いいや、まだ、機会はある)
 衛宮士郎は、ここにもいる。
 先ほど消えた士郎の手には令呪がなった。ということは、セイバーとの契約は終了し、彼女は座に還っている。ならば、衛宮士郎は丸腰も同然。
(だが……)
 アーチャーは迷った。
 赤い陽が落ちた刹那、ほんの一瞬、影だった士郎の表情が見えた。琥珀色の隻眼が縋るように見つめていた。
 だが、それでも笑っていた。不器用に、少し困ったような顔で。
「衛宮士郎……、お前はいったい…………」
 西の空が藍に落ちる。
 黄昏とともに消えていった士郎を探すように、じっとその場に立ち尽くす。
 ふと、手の中に残っているものを思い出す。
 微かに魔力を感じた。
 持ち上げて、矯めつ眇めつ眺めてみる。ガラスのように透き通っているが弾力がある、不思議な感触だ。
 こんな物で目の代わりが務まるのかと疑問を浮かべる。その中は空洞で、だが、細い魔術回路のようなものがびっしりと張り巡らされている。中に僅かに溜まっているのは赤い液体。
「血液……?」
 “ブラッドオーダー”
 そう、士郎は起動の呪文を唱えていた。
 この硝子玉に血を満たし、魔力を爆発的に増幅させて、文字通り、炸裂させるというような魔術だったとアーチャーは解析していた。
 魔力量の少ない衛宮士郎であれば、血を使って賄う魔術を選ぶのもやむなしと思えた。
 少しだけ、やるせなさが胸を掠める。
「衛宮士郎…………」
 硝子の義眼をそっと握り、目を伏せる。
 高層ビルの屋上に、冷たい風が、ただ吹いていた。
 “悪いな……”
 その声は、幻聴だったのかと思うほどに微かで、風に紛れ、消えていった。
「何を……謝るのか……」
 黄昏の瞬間、日没とともにその姿は消えた。
 アーチャーは街の明かりに照らされていく夜の中に、ぼんやりと立ち尽くしていた。



□■□One night□■□

 眩い緑光と稲妻が地下施設に満ち、魔術師たちは身構える。
「来るぞ」
 ワグナーは、静かな声でマイクに告げた。
 人類の敵が現れる――――。
 その瞬間を、固唾を飲みながら魔術師たちは迎えた。



「ふう……」
 一件落着だ、とワグナーは椅子の背もたれに身体を預ける。
 “戻った…………のか?”
 その者の第一声は、そんなような言葉だったと記憶している。
 卵形の入れ物のような前部の、蓋らしきものが、ばくん、と水平になるまで開き、そこに現れた人類の敵は、ずいぶんと無防備で、そして、思った以上に間抜け面だった。
 取り囲む魔術師たちに、その者は両手を上げ、降伏を示唆し、おとなしく縛についた。
「人類悪……、エミヤシロウ、か……」