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MIDNIGHT ――闇黒にもがく2

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MIDNIGHT――闇黒にもがく 2


□■□Three night□■□

 赤いペンダントを眺める。
 結局渡せなかった、ペンダント。
「俺たちの記憶(おもい)……」
 凛が言い出して、それに同意した士郎と桜と、ともにこのペンダントに触れ、間違ってなどいなかったと、想いを籠めた。
 そうして過ごした凛も桜も、この世界にはいない。
 士郎が戻った未来は、全く別の未来になっていた。その上、過去に向かった時点から一年先の未来だった。そして、この世界には、士郎ではない衛宮士郎が存在している。
「俺は、何者なんだろうな……」
 己の過去がすべて消え去ってしまったことを改めて認識して、士郎は少し身震いしてしまった。
「それでも、やらなきゃな……」
 真一文字に唇を引き結び、ペンダントをポケットにしまう。
 洞穴の底へと辿り着けば、いっそう不気味さが際立つ。
 その中心部に片膝立てで戒められているソレは、黒いと言えばいいのか、禍々しいとでも言えばいいのか……。
「衛宮……士郎……」
 低い呟きが聞こえる。士郎を呼ぶのではなく、ただ怨み言のようにその名を吐き出しているようだ。
 ギシギシと軋みを上げて戒めの魔術が壊されていく。残っていた魔術師たちは互いに肩を貸し合い、岩壁に沿った階段を上っていく。
 地の底に、二人だけになった。
 静かではあるが、直に心臓を鷲掴まれているような落ち着かなさがある。
 上体を起こした姿に、士郎は息を呑んだ。
 記憶にある姿とはまったく違っている。いや、どことなく名残を残してはいるが……。
 そこにいるのはアーチャーだ。間違えるはずかない。
 だが、これがあの? と疑問を浮かべてしまうような変化を遂げていた。
 首元までを包んだ黒い装甲。赤い弓籠手は見当たらず、肩から剥き出しになった逞しい褐色の肩と二の腕が覗く。異様なのは、その手甲と、鼻先まで覆う額当て。ライチの皮のようにデコボコとした表面で赤黒く、まるでかさぶたのようでもある。そして腰を覆う赤い外套の裾は、ほつれや破れがあり、襤褸のようにも見える。
「これが、黒い身体に赤を纏うって…………やつか……?」
「衛宮…………士郎……」
 その低い声は、紛れもなくアーチャーのものだが、禍々しさを伴うその声で己を呼ばれることの気味悪さといったらない。ごくり、と生唾を飲み、戦慄してしまう。ソレが声を吐くとともに醸し出す空気は、黒い闇のようだ。
 その黒い存在の中で唯一白い頭髪が揺れ、ゆっくりと上がったその顔の下半分に表情というものはない。額当てに開いた穴から覗く、ギラついた鈍色の瞳だけがその強い意志を伝えてくる。
 “殺してやる”と……。
 すでに腰を浮かせ、片膝立てで跪座のアーチャーは、もう幾ばくもなく動き出す。軽く握られていた拳は、徐々に指が広がりはじめている。
「どうなってるんだ……。お前は、なんだって…………、そんな姿になってんだよ!」
 憤りなのか、悔しさなのか、それとも哀しさだろうか。士郎は言い様のない苛立ちに身を焼く。
 だが、アーチャーがこうなることを、なんとなく士郎は予感していた。
 間違いではなかったと気づけなかったアーチャーは、何をどう考えて、こんな姿になったのか。考えたところで正答など、士郎にわかるはずもない。だが、無性に腹が立った。
「バカかよっ!」
 思わず喚いた。
「馬鹿に……、馬鹿と…………、言われる、筋は……ない」
 ぐ、とアーチャーが脚に力を入れたのがわかる。完全に戒めが解けた。立ち上がるとともに、その薄い唇が呟く。
「トレース――」
「オン!」
 同時、いや、僅かに士郎の方が遅かった。
 投影した双剣でアーチャーの双剣を受けるのが精一杯だ。息つく間もなく剣が振り下ろされ、士郎にはそれを躱すか、受け流すかしか術がない。
「なんだって、お前、そんなモノになってるんだ!」
「さあな?」
 にやり、と口の端が上がり、
「まあ、しいて言えば、貴様が生きているからだろう」
 何が可笑しいのか、ククク、と嗤うアーチャーに、情けないことに背筋が寒くなった。
(未来が、変わって、こいつも変なふうに……)
 聖杯を壊して、その原因となる災厄はなくなったものの、明らかにおかしな歴史の歪みが見られる。
 霊長の守護者であった英霊エミヤが人類悪と称され、霊長の破壊者とでも言った方がしっくりきそうな、とんでもないモノに成り下がっている。
 第五次聖杯戦争の後、何かがあったのか? と士郎は考えるが、答えなど、今、自分を殺そうとしているアーチャーに訊かなければわからない。
「なんでだ……、お前は、」
「さあな?」
 口角を吊り上げ、アーチャーは笑う。
「貴様は知っているのだろう? 救えない奴だと」
「ち、違う! そんなこと、」
「言わなかったか? ふむ……、ずいぶんと前のことだからな……、私の記録が薄れているか……」
「お、覚えてないなら、こんな、意味のないことなんか、やめ――」
「意味など求めていない」
「な……」
「貴様を殺せば胸が空く」
「完っ全な怨恨かよっ!」
「フン。なんとでも言え」
 士郎は視線を揺らしながら、なぜこんな現界が可能なのかと、アーチャーの姿を再度確認するように見つめる。
「どうやって、こんな……」
「なに簡単なことだ」
「簡単って……」
「エミヤシロウが人類に仇なすものとなれば、世界は貴様を抹消しようとする。……であれば、守護者である私が貴様を消すために召喚されるのは道理。なかなか理に適っているだろう?」
 異形のアーチャーは、口角を上げて冷たく笑っている。
「お前……、なに……言ってんだ……?」
 理解できない、と士郎は小さく首を振った。
 人類にとって災いなす者が現れれば、英霊エミヤは守護者として召喚され、それを排除する。
 エミヤシロウという名が人の口に人類悪として上るようになれば、それを殺すために、世界は霊長の守護者を送り出す。
 つまり、士郎がこの時空に戻ることを想定して、アーチャーは手を打っていたということになる。
「簡単だろう? 守護者というものは、存外に単純なものでな。エミヤシロウという名を、召喚された殺戮の度に残す。それだけで、こうして貴様を抹殺対象とした召喚がなされるのだからな」
 嗤うアーチャーに、士郎は呆然とする。
(ついていけない……。こいつは、何をもっともらしく言っているんだ……)
 要するに、己の復讐に、自らの運命の仕組みを使った、ということだ。
 多数の人類のために殺さなければならない小数を、納得できない殺戮を、そんな怨讐にすり替えて、アーチャーは自身の殺戮に溜飲を下ろし、守護者というものを続け……。
 自身の姿がおぞましい変化を遂げるほどに復讐と怨嗟に染まり、ただ衛宮士郎を殺すために、この瞬間のために、おそらく士郎が想像もできない永い時間を費やした。
「バカだ……」
 自分が愚かではない、とは士郎も思ってはいない。だが、ここまでバカな奴がいるのかと、しかも、自身の未来に繋がるエミヤシロウが、こんな愚か者だとは思いたくもない。
「……前から、ひねくれてるとは、思ってたけど…………」
 呆然としていた士郎は、柄を握る手が震えるほど力を込める。