梅嶺小噺 1の三
「うん、明るくなる迄、終わらないよ。もう、帰ろ、景琰。付き合ってらんないよ。」
林殊は、酔っ払った者に絡まれて、適当にかわして逃げてきた。
林殊が輪から外れるのを見て、良い機会だ、と、靖王も逃げてきたのだ。
「これ、、、返さなきゃなぁ、、、。蒙哥哥、、喜ぶか、、悲しむか、、、。」
林殊の手には、あの日蒙摯が、大猪に一撃を喰らわせた剣が、握られている。、、
名工作の良い剣「だった」。蒙摯も大切に使っていた、剣、「だった」のた。
そう、「だった」。
今は無残に刀身が、いきなりくの字に曲がっていた。
大猪から引き抜こうとしても中々抜けず、大の男が三人がかりで引き抜いた。
その時には既にこの状態だったのだ。
「、、、、、気の毒だな。」
「、、、、、うん。」
遠くに馬の蹄音が鳴り響く。
「あっ、、、蒙哥哥の馬だ。」
「えっ、、今?、、、もう、、。」
林殊は、馬の蹄の音で、誰の馬か区別が付いた。
今回の退治には、蒙摯が非番ではなかったので、戦英は声を掛けなかったのだ。
林殊は剣は取り返したものの、この有様で、せめて曲がりを直してから返そうと、持って帰るつもりだった。
「蒙摯は、怒ってるかな。」
「急に決まったから、誘えなかったし、、。
、、、ま、休みでも、誘うつもりは無かったけど、、。」
月明かりの中、遠目にも林殊と靖王の姿を見つけたのだろう。
蒙摯の馬は、まっしぐらに二人の元へ掛けてくる。
「小殊!!、なんで私を誘わなかった!。酷いぞ!。」
蒙摯は馬から降りるなり、大変な剣幕で林殊に詰め寄った。
「あ、、いや、、その、、蒙哥哥は夜まで軍務があったし、。」
そして蒙摯は、林殊が持っている剣に目が奪われる。
「ん??、、、、、あ━━━━━━っ!!!。」
林殊から剣を奪い取ると、蒙摯は呆然と剣に見入っていた。
「私の剣が━━━、、、大枚は焚いて手に入れたのに、、。」
「あの、、蒙哥哥、、、。猪から引き抜いたら、既にこうなっていて、、。」
「蒙摯、剣職人から叩き直してもらったら、直るんじゃないか?。きっとまた、使えるようになる。」
「そうだよ、大丈夫だよ、きっと。」
蒙摯が、がっくりと力を落としているのよく分かる。
林殊と靖王の慰めも、役には立たない様である。
その時、酒盛りの輪の中から、蒙摯に向かって声が上がる。
「お───い、蒙摯じゃないか──?。」
「なんだ、蒙摯が来ただと??、今頃来て。もう肉ないぞ。」
「なんだと━━!、お前ら!!!。全部、私の肉だ!!!。全部吐き出せ!!!、返せぇ!!!。」
そう言うと、蒙摯は宴の中に駆けて行き、迎えた仲間から手荒い歓迎を受けていた。
宴の中から、一際大きな笑いが起こった。
今宵の蒙摯はやけ酒だろう。
林殊と靖王は、酒盛りに興ずる有志達を残し、二人、金陵に戻ってきた。
とっくに金陵の門は閉まっていたが、靖王の顔のお陰で、門内に入ることが出来た。
林殊は靖王と別れ、林府に戻ってきた。
こっそり馬を厩舎に返し、こそこそと中庭を抜けて、こそこそ窓から自分の部屋を覗く。
ばれていたなら、寝台の上に、林燮が座っているという、身の毛もよだつ光景も有り得る。
そっと少しだけ窓の戸をずらし、目を凝らす。
幸いにも、部屋の中には誰も居ないようだ。
安心したが、それでも物音を立てないように、そっと戸を開け、素早く中に入る。
靴を脱いで、そろそろと背を低くして、寝台の方に静かに移動する。
父林燮の事だ、欺いて外出した事は、もうとっくにバレていると、林燮が、部屋のどこかに隠れているのではないかと、覚悟していたのだが、幸いにも、部屋の中には誰も居なかった。
「ふ───っ。」
緊張して帰ってきただけに、気が抜けた。
林殊は寝台の端に腰を下ろした。
「あっ。」
腰を下ろすと、寝台の側の小机の上に、盆に乗せられた蓋椀が置いてある。
蓋を開けると味の付いたかやく飯が盛られていた。
母親の晋陽公主が、帰ってきた林殊の為に、置いていてくれたのだろう。
───母上には、ばれているのだな、、。
、、ごめん、、、母上、、。───
冷めてはいたが、美味しそうだった。
今、腹の中には、たらふく肉が入っていて、食べられそうにない。
───明日の朝、起きたら食べます。───
椀に手を合わせると、胸当てや手甲などの簡易的な武装を、次々に解いて、床の上に無造作に置いた。
布団をめくれば、今朝、仕込んだ「偽の林殊」が、そのままの状態で寝ている。
丸めた服を退かして、サッと布団の中に潜り込む。
昨夜は罰を受けてろくに眠れずに、今日も、、もっとも日は変わってしまったが、あれこれ動き、大捕物もあって、ほとんど休んではいない。
きっと、布団の中に入ったら、たちまち眠ってしまうだろうと思っていた。
身体は疲れているのだが、眠るどころか目も頭も冴え渡り、とても眠れそうになかった。
血が滾る、とでも言うのだろうか。
これまでに経験したことも無いような、、、魂が震えているのが分かる。初めての感覚だった。
義兄達と作戦を立て、相手は獣だったものの、皆で立ち向かった。
今まで靖王と野駆けをした事はあっても、あれだけの数の馬と隊列を組んで駆け回った事は無かった。
大猪を逃さぬ様に、端々に神経を渡らせ、成功する様に駆け巡った。この緊張感。
───痺れた。───
義兄達の一糸乱れぬ動きにも、普段は見せない義兄達の真剣な眼差しにも、全てに「格好良い」、そう思ったのだ。
───今は私は赤焔軍の見習いだが、いずれ自分も義兄達の様に、戦場に立つのだろう。
、、景琰も感じたろうか、、、私の様な感覚を、、。──
靖王は郡王の地位があり、幾らか軍務もあるが、まだ戦場に立った事は無い。
───きっと、景琰も同じ事を感じていたはずだ。
いつか景琰と私は、あの広い大地を駆け巡るのだ。───
眠くは無いが、林殊は目を瞑る。
瞼には本営の軍幕から、指示を出す祁王の姿と、命を受ける林殊と靖王。
互いに騎馬軍を率い、大地を自由に駆け巡るのだ。
林殊が想い描いた様に、靖王は自分が率いるの騎馬隊を操っている。
恐らく林殊も靖王が考えているように、自分の騎馬隊と動いているのだろう。
確たる予感。
───それは、そう遠い日ではない。───
───────────糸冬──────────