星屑色の降る夜
それが、学園内の女もターゲットにしている自分であるならば、牧野に対する風当たりがどれほど厳しくなるか、総二郎は当たり前に知っているだろうから。
「まあ、そんなわけだからさ、俺は迷惑なんてかけられてないよ」
再び話を戻した俺を、牧野が探るように見る。
「本当に?」
「本当に。俺だけじゃなくて、みんなそうだよ。知ってると思うけど、おまえみたいなお人好し、俺らの中にはいないから」
自分勝手、個人主義を絵に描いたような連中ばかり。
気が向かなければ動かないし、嫌だと思えば無理に付き合うこともまずない。
嫌々関係を保つなんて、そんな感覚はない。
「一緒にいるってことは、問題ないってことだよ」
「……」
それでも牧野は下を向く。何かを考え込むように。
安堵したりしていないことは表情でわかる。
俺は言葉を被せた。
「心配しないで大丈夫だから。そのことは俺が保障してやる。だから牧野は気にしないで――」
「――……さんは?」
その言葉をさえぎるように、牧野が口を開いた。
「ん?」
「美作さんは、どうなの?」
「……俺? だから俺は――」
そこで牧野が顔を上げた。
「美作さんは、みんなとは少しだけ違う」
「違う?」
「個人主義ではあるのかもしれないけど、でも、自分勝手でも我儘でもないでしょう? いつだって大人で、みんなをよく見ていてまとめてくれて。いつもまわりに合わせてくれる。みんなといる時はみんなに、あたしといる時は、あたしに」
「ずいぶん好印象なんだな、俺は」
「だってホントだもん! ずっと良くしてもらってるし……だから余計に迷惑かけたくないって、そう思って……」
真顔でムキになって言い募る牧野。
心の奥深くがじんわりと温かくなるのを感じた。
「さっき言っただろ。俺は迷惑なんかかけられてないって」
「言ったけど」
「俺だって同じだよ。まあ、司や類ほど極端な反応はしないけど、でも一緒にいたくないやつと一緒にいるほど柔軟でもない。そういうところは目一杯我儘だし自分勝手だと思うぞ?」
「そう、かな?」
「そうだよ」
それでも探るようにじっと見つめてくる牧野に、俺は笑みを浮かべて静かに言った。
「俺は牧野と一緒にいるのが楽しいと思うから一緒にいる。助けたいと思うから助ける。これ以上ないくらい自分に正直に動いてるだけだよ。なんの無理もしてない。だから、周囲がそれをどう見ようが俺には関係ない。俺がしたくてしてることだから」
「……」
「大切なのは、牧野自身や俺自身の気持ちで、噂でもなければ他人の評価でもない。だから、俺は自分が望むままに牧野と関わるし、牧野が望むなら関わらないことも考えなきゃならないと思ってる」
牧野はハッとしたように目を見開いて、そしてフルフルと首を振った。
「あたしは――」
「厭じゃないよな? 俺と……俺らと一緒にいるの」
「……すごく楽しいって思ってるよ。いろいろ違い過ぎてついていけないって感じることもいっぱいあるけど、でも、すごく楽しいし、頼もしいって、思ってるよ」
尻すぼみな言葉。
ほんの少しだけ困ったように、でもどこか照れたように寄せられた眉。
「距離置かなきゃいけないのかなって真剣に考えたけど、そんな自分が上手く想像出来なくて。なんか、考えたらすごく寂しくなって、悲しくなってつらくなって。英徳入った頃はずっと一人だったのに、もう、そんなの絶対戻れない気がして。……ずっと考えながら歩いてて、気づいたら、ここに来てて」
俯き話す牧野の声は、本当に小さくて、耳を澄まさなければ聞こえなかった。
けれどそこには、牧野の痛みと想いがきちんとあった。
「この期に及んで美作さんを頼るなんて絶対おかしいってわかってるんだけど、どうしてか美作さんの顔ばっかり浮かんじゃって……それで顔見たらなんかホッとして、ちゃんと話す前に縋っちゃって……ホントどうかしてるよね。でも、どうにも止まらなかったっていうか……」
素直に認めるのはどこか照れくさい。
でも、きちんと認めてそれを言葉にしなければいけない瞬間があることを、おそらく今の牧野は知っている。
「らしくないのはわかってる。でも、自分でもコントロール出来なかった」
「……」
「ただ、助けてほしいって――思った」
涙に濡れたような牧野の声がやんだ時、俺は牧野をもう一度抱きしめたいと思った。
けれど今それをしてしまったら、何か――とてつもなく大きな何かが動き出してしまう気がして、俺は必死に思い留まった。
自分でもよくわからない。けれどそれだけの覚悟はまだないと、瞬時に悟った俺がいた。
腕が、身体が動く前に、俺は口を開く。
今にも溢れだそうとする胸の内のすべてを奥深くに押しとどめて。
「ここへ来たのは大正解だよ。無意識なら尚のこと」
「ほんと?」
「うん。だって俺言ったもんな。頼っていいって」
司と別れて心の折れかかっていた牧野に俺は言った。
――「大丈夫、一人じゃないだろ? 俺がいる」
いつでも頼れと言ったその言葉に嘘などない。期限もない。
今までだってこれからだって、いつだって有効だ。
「俺の言葉をちゃんと受け止めてくれてたってことだろ。嬉しいよ」
そんな気持ちを素直に口にするのは、俺だって照れくさい。相手が牧野だと思えば余計に。
でも俺も知ってる。きちんと伝えなければいけない瞬間があることを。
言って笑った俺を牧野はほんの少しの間見つめて、そして「ごめんね」と言った。
「なーんで謝る。俺は嬉しいって言ってんのに」
「だって、いつも迷惑ばかりかけてる」
「別に迷惑なんかじゃないって」
「あたし知ってるもん。頼られるのって――」
「大変だけど、でもすごいこと――だろ?」
「……美作さん」
俺は笑いかける。
「牧野だけじゃん。そういう俺のこと理解してくれるのって」
「……」
「違う?」
牧野は首を横に振って、そして「違わない」と今にも泣きそうな顔で笑った。
俺は頷いて、そして言う。
「迷惑かどうかは、牧野が決めることじゃない。俺が決めることだ。だから牧野は俺の言葉をそのまま信じればいい」
「……」
「噂は噂。真実を知っている俺達が噂に遠慮してどうするんだよ」
「大丈夫だよ」と笑うと、牧野はそれをじっと見て、じっとじっと見つめて、そしてようやく表情を緩めて頷いた。
「うん、そうだね」
「――ありがとう」と続いた牧野の声がたしかな温度を持って耳に届く。
くすぐったくて、照れくさくて、でも――心地良かった。
「ふうう……」
一人になった自分の部屋で、ベッドに寝転がり、俺は大きく息を吐く。
掛け時計の示す時間は、午前二時三十分。
もう完全なる真夜中なのに、まるで眠気がやってこない。
「はああ。どうするかあ。もうこのまま徹夜でもするかな」
独り言が宙に溶けて、部屋は再び静寂に包まれた。
あのあと、他愛もない話をするうちに少しずつ元の調子を取り戻した牧野は、結局うちに泊まることになった。
「もうこんな時間だし、泊っていけば?」と言うと、相変わらず遠慮気味に、でもどこか晴れやかな顔で「お言葉に甘えさせていただきます」と小さく頭を下げた。