キス10題(前半+後半)
「 4手の甲に忠誠のキス 」後
楽しみにしていた。楽しみで仕方がなかった。だから街で見かけたとき、一目だって嬉しかった。あぁ変わらず元気だ。それがわかっただけでも嬉しかったのだ。なのに、“エスコートは苦手だ”、“お前となら何度だって行きたいのにな”、はにかみながらもまっすぐに見つめながらのいつか貰った言葉にひびが入っていった。楽しそうなイギリスさん。それは良いことなのだと思う。何をするにも、楽しい方がいい。けれど、胸が痛んだ。その手つき。その目線。風に乗って、偶然耳に届いてしまった、いつかに聞いた甘い言葉。ひびが入った言葉たちが、とうとう砕けた。
「さ、最低です……」
「……どっちがだよ」
「結局は遊びだったんですね。気がつかなかった私が、本当に馬鹿でした」
出て行かないのなら、私が出ます。そういって歩みを進める日本。
馬鹿だよ。本当。お前は。
開放したはずの日本を、ふたたび捉えることになった。
「ベス、……じゃない、似てるだけで。エレノアだ。あの子に頼まれたんだ。恋人の振りをしてほしいって。仲のいいところを、見せ付けて気を引きたい人がいるからって」
そんなこと言われて、はいそうですかって信じられるだろうか。嘘は巧みにつかなければ意味がない。そう、この人のように。
「何をどう勘違いしてるのかしらないけど、俺にはまったく気がないし、向こうにもない。ばかだろお前。ちゃんと俺に確認しろよ」
そんなこと言われて、はいそうですかって――――。
「こっち向けよ。ちゃんと話そう。お前がなにをどう思ってるか、話してくれなきゃわからない」
「信じられない」
「っいいかげんに、」
「でも信じたい」
「……」
「放してください。一人にして、ください」
日本が少しだけ揺らいだのがわかった。けれどそれだけだった。信じたい、と言ってくれた。今すぐ信じてほしい。なぁ、本当に、俺にはお前だけなんだって。日本の目にどう映ったかしらないけど、日本だけ好きで、他なんて見えないんだ。
「いやだ」
「嫌はこっちです」
「俺には日本だけだ」
「……っ」
「誰にでも言うと思うのか? こんなこと、後にも先にも日本にしか言わない。言ったこともない」
そもそも、言いたいと思うような相手がいなかったし。
過去を見せれば納得するだろうか。水晶に過去を映して、それを見せれば届くだろうか。それ以外に、どうして伝えたらいいんだよ。言葉なんて高が知れてる。限界がある。
「誓う。ただ、信じる信じないは日本に任せる」
力ませに日本を正面向かせて、手を取った。ぐいっと引っ張りあげて、傷一つない甲にくちびるを寄せる。
「俺が言いたいのはこれだけだ。揺らぐことはない。それが忠誠だろ」
あとは任せる。
そう言って出て行った。
あんなに強情に留まったのに、簡単に引き返してしまうらしい。
迷った。悩んだ。信じるか。信じないか。それを一瞬で怒涛のように考えた。
信じられるのか。一度でも疑ったあの人を。これから先、これまでと同じように信じることができるだろうか。
私は、どうすればいいのだろう。一人には、なりたくない。それは、どうして。愛着だろうか。慈悲だろうか。執着だろうか。どれもしっくりこない。でも、一人になりたくない。それは本当。離したくない。それも本当。
駆け出す日本。部屋を出て、廊下を見やる。エレベーターホールにも、ロビーにも見当たらない。焦る。会いたい。とりあえずと前に走る。ホテルのエントランスにまでたどり着いた。ガラス張りの向こうに、タクシーの列。その先頭に探している金色を見つけた。
「イギリスさん」
走った。間に合いますように。
例えば、浮気ならどうだろう。裏切られたと、思えるだろうか。例えば、逢瀬を目撃したのならどうだろう。信じることを、止められるだろうか。
どの推測も、今の私には考えが及ばない。もしそんなことがあったら、私はどうするのだろう。執着をむき出しにして、真っ赤な感情を振りかざして、奪うことができるだろうか。
“できるだろうか”と、思った。頭の冷静な部分は、“奪うのだろうか”と考えたはずだ。けれど、心に浮かんだのは可能を考えるもの。奪いたいのだろうか。手放したくないのだろうか。
それから考えることは、全てがイギリスを求めるものだった。
一人でいる時間は、長かった。人を信用することを、どこかで諦めていることを、自分でも気がついている。それに絶望することなく付き合ってくれているのはイギリスだ。どこまで甘えるつもりなのだろう。疑って、試して、確かめもせずに決め付けて、何をしたいのだろう。ただ、信じたいだけなのに。それをできない自分の弱さが悲しかった。
「イギリスさん」
幻聴が聞こえる。願望が、ついに形になってしまったか。しばらく時間を空ければ話しができる。そう信じて日本を置いて出てきたけれど、目を合わせようとしなかった彼からは、暗い不安しか受け取れなかった。
「っイギリスさん!」
乗り込んだタクシーの運転手に行き先を告げようと顔をあげたとき、誰かが窓を叩いた。その誰かは、間違いようのない人だ。
行き先の代わりに告げた。すまない、降りる。
「日本」
喜んでいいのかわからず、とりあえず名前を呼び返す。
「……まだ、信じていたいです。――違う。信じて、います」
だからどうか、呆れないで。
だからどうか、つかまえていて。
素直じゃない。俺以上に素直じゃない。
だから俺は、素直に喜ぼう。
「日本。家に帰ろう」
......END.
作品名:キス10題(前半+後半) 作家名:ゆなこ