彼方から 第一部 第二話
第二話
―― 典子 ――
――え?
誰かに呼ばれ、振り向いた。
――あれ? みんな……
―― どうしたの? ボンヤリして ――
そこはいつもの教室で、いつもの面々がいつもの笑顔で話し掛けて来てくれている。
――あれ? だって、ここ……あたし確か、異世界にとばされて
典子はそう言いながら、辺りを焦ったように見回している。
―― 何言ってんのよ、教室でしょ、ここ ――
―― やだね、寝ぼけてるよ、この子 ――
いつもの友人たちの軽口。
――寝ぼけ……
遠慮のない、言いたいことを言い合える、気の置けない友人たちとの会話。
――なんだ、やっぱり夢かァ
途端に典子の表情は明るくなり、自分の机に突っ伏してゆく。
――うわー、良かったぁ、うわー
いつもの光景を噛み締め、確かめ、安心するように言葉に出している。
―― 何? 変な夢見たってか? ――
―― あぁ、あの例の夢ね ――
そんな典子を囲み、呆れたような小馬鹿にしたような、それでいて心配してくれている友達……そう、いつもの、これはいつもの日常なのだと典子は思っていた。
――ううん、あれとは違うの、あんなきれいな夢じゃなかったの
涙を少し浮かべながら、友達と交わす会話が嬉しくて、典子は今自分が見ていた夢がこれまでとは違う物だったことを分かって欲しくて、言葉を並べていた。
――気持ち悪い怪物がいっぱい出て来たの
――右も左もわけわかんなくて、不安で恐くて
その気持ち悪い怪物が、浮かんでくる。
――ああ、本当に夢で良かったァ
そう、思いたかった……
―― よかったァ ――
そう言ってくれたのは友達だったのか、それとも自分の心の声だったのか。
典子はフッ……と、目を覚ました。
ゆっくりと眼を開け、ゆっくりと頭を擡げ、ゆっくりと、辺りを見る……
最初に、眼に入ったのはクタリとして動かなくなった花虫――化け物。
夢でも作り物でもない、ついさっきまで動き回っていた生物、本物であり現実であり、典子にとっての恐怖であるモノ。
一拍の間を置き、
「きゃーーーー!!」
叫び、掛けられていた毛布を跳ね飛ばしながら起き上がり、
「やだーーー!!」
と、何も見ずにいきなり走り出しだ。
――ドォンッ……!
≪壁に激突する気か? ……ったく、寝ているのかと思えば≫
無意識に土の壁に両手を着き、聞き覚えのある声に典子は見上げた。
≪動けるようになったみたいだな≫
――この人は……
見覚えのある人。
自分が壁に激突するのを、身を挺して防いでくれたらしい青年から少し離れ、典子は、未だ夢の中にいるような気がするのか、辺りをまた、見回している。
見覚えのある土の壁、その壁に這う木の根、近くを流れている地下の川、動かない化け物……
――夢じゃない……これは現実だ……
――現実だったんだ!
ここでやっと、典子は今自分が置かれている現状を把握することが出来た。
やっと、受け留められるようになったのだ。
自分の世界とは懸け離れた世界。
言葉の通じない、意思の疎通自体が困難な、自分の常識の一切が通用しないと思われる世界。
そんな所に飛ばされたのが現実だと、認識できた自分自身を支えるように頬に当てていた両の手の平。
その片方を、ぐいと、不意に掴まれた。
≪どいてろ、まだ作業が残ってる≫
青年に何を言われたのか分からないまま、典子は退かされるがままにその場を離れた。
典子が退いた後、目の前の土壁に這っている、それなりに真っ直ぐな木の根とは思えないほどの太さがあるそれを、青年は左手でガッと掴むと、
≪……ったく、なんでおれが……≫
そう呟きながら、
≪こんなことをしなくてはならんのか……≫
と、掴んだ根を一気に、土壁から引き剥がしてゆく。
青年はトン……と、軽く跳ぶと、壁から引き剥がした根の上下を、剣で切り落とした。
――何……やってんのかな
典子は青年の作業を見ながら、もう少し離れた。
積まれてある、何本もの同じような太さと長さの木の棒に当たる。
壁を這う太い根から作られた丸太だった。
周りには、切り払われた細かな枝も落ちている。
――「いかだ」だ
青年の作業を見守っていて、典子はそう気づいた。
――それにしても……なんてスピードかしら
筏の基礎枠を作り、その上に丸太を並べ、紐で括ってゆく。
普通の人なら丸太を切り出すだけでも相当な時間を費やすはずだ。
青年は、典子が寝ている間にその切り出す作業をほぼ終えていた。
いくらなんでも、彼女が丸一日寝ていたとは思えない、恐らく数時間ほどのはずだ。
そんな短時間で、筏が作れるほどの量の丸太を、切り出す事が出来るその速さに驚いている。
それも、どう見ても一人用ではない大きさの筏――それを作り上げるスピードが、尋常ではない。
――そう言えば足も速かった。
――あたしを抱えて、すごい跳躍して
典子は、青年の作業の速さと正確さを見ながら、思い返していた。
――あんな高いとこから飛び降りて、平気だった
――群がる怪物をくぐり抜け、あたしを助けてくれた人
光の降りかかる、穴の入り口を見上げ、彼の横顔を見ながら、
――いったい、どういう人なの? この人は……
彼女がそんな事を考えている間に、青年は腰に差している小刀で紐を切ると、ドサッと筏に腰を下ろし、≪ハァ≫と、息を吐いた。
「……」
――できちゃった
本当に「あっ」と言う間だった。
特に苦労をしている風でもなく、淡々と、手慣れた作業であるかの如く、青年は筏を作り終えていた。
決して、手など抜いていない。
きっちりと作り上げられていることは、見ていたのだから良く分かる。
速さもさることながら、その作業工程の丁寧さからみても、彼の人と成りが窺える。
出来上がった筏に腰掛け、俯くようにして休んでいる青年を見て、
――疲れてるなぁ……
典子はそう思っていた。
自分が寝ていた場所を振り返り、掛けられていたであろう毛布を手に取る。
青年が掛けてくれた毛布を。
――あたし……いつの間に寝ちゃったんだろ
膝を着き、手に取った毛布を見詰めながら、そんな事を考えていた。
――ああ、そうだ……あたし、泣き出しちゃったんだんだっけ……
落ちてきた穴を見上げながら、思い返す。
――そしたら、どこかへ行きかけていたあの人は、困ったような顔をして、あたしのそばに座ってくれた
――そっぽむいてたけど
仕方なさ気に腕を組んで胡坐を掻いて、自分を見ようともしてくれていなかったが、それでも、そばにいてくれる青年の姿が脳裏に浮かぶ。
――でもあたし、それですごく安心して、安心したらねむくなっちゃって……
「……」
毛布を見詰めながら、いつの間にか地面に座り込んでいた。
――あの時、いかだ、作ろうとしていたのかな
筏に腰掛けている青年を見ながら、典子はそう思っていた。
――迷惑……かけちゃったなぁ……
―― 典子 ――
――え?
誰かに呼ばれ、振り向いた。
――あれ? みんな……
―― どうしたの? ボンヤリして ――
そこはいつもの教室で、いつもの面々がいつもの笑顔で話し掛けて来てくれている。
――あれ? だって、ここ……あたし確か、異世界にとばされて
典子はそう言いながら、辺りを焦ったように見回している。
―― 何言ってんのよ、教室でしょ、ここ ――
―― やだね、寝ぼけてるよ、この子 ――
いつもの友人たちの軽口。
――寝ぼけ……
遠慮のない、言いたいことを言い合える、気の置けない友人たちとの会話。
――なんだ、やっぱり夢かァ
途端に典子の表情は明るくなり、自分の机に突っ伏してゆく。
――うわー、良かったぁ、うわー
いつもの光景を噛み締め、確かめ、安心するように言葉に出している。
―― 何? 変な夢見たってか? ――
―― あぁ、あの例の夢ね ――
そんな典子を囲み、呆れたような小馬鹿にしたような、それでいて心配してくれている友達……そう、いつもの、これはいつもの日常なのだと典子は思っていた。
――ううん、あれとは違うの、あんなきれいな夢じゃなかったの
涙を少し浮かべながら、友達と交わす会話が嬉しくて、典子は今自分が見ていた夢がこれまでとは違う物だったことを分かって欲しくて、言葉を並べていた。
――気持ち悪い怪物がいっぱい出て来たの
――右も左もわけわかんなくて、不安で恐くて
その気持ち悪い怪物が、浮かんでくる。
――ああ、本当に夢で良かったァ
そう、思いたかった……
―― よかったァ ――
そう言ってくれたのは友達だったのか、それとも自分の心の声だったのか。
典子はフッ……と、目を覚ました。
ゆっくりと眼を開け、ゆっくりと頭を擡げ、ゆっくりと、辺りを見る……
最初に、眼に入ったのはクタリとして動かなくなった花虫――化け物。
夢でも作り物でもない、ついさっきまで動き回っていた生物、本物であり現実であり、典子にとっての恐怖であるモノ。
一拍の間を置き、
「きゃーーーー!!」
叫び、掛けられていた毛布を跳ね飛ばしながら起き上がり、
「やだーーー!!」
と、何も見ずにいきなり走り出しだ。
――ドォンッ……!
≪壁に激突する気か? ……ったく、寝ているのかと思えば≫
無意識に土の壁に両手を着き、聞き覚えのある声に典子は見上げた。
≪動けるようになったみたいだな≫
――この人は……
見覚えのある人。
自分が壁に激突するのを、身を挺して防いでくれたらしい青年から少し離れ、典子は、未だ夢の中にいるような気がするのか、辺りをまた、見回している。
見覚えのある土の壁、その壁に這う木の根、近くを流れている地下の川、動かない化け物……
――夢じゃない……これは現実だ……
――現実だったんだ!
ここでやっと、典子は今自分が置かれている現状を把握することが出来た。
やっと、受け留められるようになったのだ。
自分の世界とは懸け離れた世界。
言葉の通じない、意思の疎通自体が困難な、自分の常識の一切が通用しないと思われる世界。
そんな所に飛ばされたのが現実だと、認識できた自分自身を支えるように頬に当てていた両の手の平。
その片方を、ぐいと、不意に掴まれた。
≪どいてろ、まだ作業が残ってる≫
青年に何を言われたのか分からないまま、典子は退かされるがままにその場を離れた。
典子が退いた後、目の前の土壁に這っている、それなりに真っ直ぐな木の根とは思えないほどの太さがあるそれを、青年は左手でガッと掴むと、
≪……ったく、なんでおれが……≫
そう呟きながら、
≪こんなことをしなくてはならんのか……≫
と、掴んだ根を一気に、土壁から引き剥がしてゆく。
青年はトン……と、軽く跳ぶと、壁から引き剥がした根の上下を、剣で切り落とした。
――何……やってんのかな
典子は青年の作業を見ながら、もう少し離れた。
積まれてある、何本もの同じような太さと長さの木の棒に当たる。
壁を這う太い根から作られた丸太だった。
周りには、切り払われた細かな枝も落ちている。
――「いかだ」だ
青年の作業を見守っていて、典子はそう気づいた。
――それにしても……なんてスピードかしら
筏の基礎枠を作り、その上に丸太を並べ、紐で括ってゆく。
普通の人なら丸太を切り出すだけでも相当な時間を費やすはずだ。
青年は、典子が寝ている間にその切り出す作業をほぼ終えていた。
いくらなんでも、彼女が丸一日寝ていたとは思えない、恐らく数時間ほどのはずだ。
そんな短時間で、筏が作れるほどの量の丸太を、切り出す事が出来るその速さに驚いている。
それも、どう見ても一人用ではない大きさの筏――それを作り上げるスピードが、尋常ではない。
――そう言えば足も速かった。
――あたしを抱えて、すごい跳躍して
典子は、青年の作業の速さと正確さを見ながら、思い返していた。
――あんな高いとこから飛び降りて、平気だった
――群がる怪物をくぐり抜け、あたしを助けてくれた人
光の降りかかる、穴の入り口を見上げ、彼の横顔を見ながら、
――いったい、どういう人なの? この人は……
彼女がそんな事を考えている間に、青年は腰に差している小刀で紐を切ると、ドサッと筏に腰を下ろし、≪ハァ≫と、息を吐いた。
「……」
――できちゃった
本当に「あっ」と言う間だった。
特に苦労をしている風でもなく、淡々と、手慣れた作業であるかの如く、青年は筏を作り終えていた。
決して、手など抜いていない。
きっちりと作り上げられていることは、見ていたのだから良く分かる。
速さもさることながら、その作業工程の丁寧さからみても、彼の人と成りが窺える。
出来上がった筏に腰掛け、俯くようにして休んでいる青年を見て、
――疲れてるなぁ……
典子はそう思っていた。
自分が寝ていた場所を振り返り、掛けられていたであろう毛布を手に取る。
青年が掛けてくれた毛布を。
――あたし……いつの間に寝ちゃったんだろ
膝を着き、手に取った毛布を見詰めながら、そんな事を考えていた。
――ああ、そうだ……あたし、泣き出しちゃったんだんだっけ……
落ちてきた穴を見上げながら、思い返す。
――そしたら、どこかへ行きかけていたあの人は、困ったような顔をして、あたしのそばに座ってくれた
――そっぽむいてたけど
仕方なさ気に腕を組んで胡坐を掻いて、自分を見ようともしてくれていなかったが、それでも、そばにいてくれる青年の姿が脳裏に浮かぶ。
――でもあたし、それですごく安心して、安心したらねむくなっちゃって……
「……」
毛布を見詰めながら、いつの間にか地面に座り込んでいた。
――あの時、いかだ、作ろうとしていたのかな
筏に腰掛けている青年を見ながら、典子はそう思っていた。
――迷惑……かけちゃったなぁ……
作品名:彼方から 第一部 第二話 作家名:自分らしく