ささやかな期待
池袋西口にある、小さな公園。
高層ビルに囲まれながらも、ぽっかりと開いたその空間は、多少の緑を蓄えたなんとも穏やかな雰囲気を醸している。
公園の端に据え付けられたいくつかのベンチのうちの一つに座り、静雄は珍しく和やかなひと時を過ごしていた。足元で餌をさがす鳩にパンくずを投げてやる静雄の表情は、顔面に血管も浮いていなければ、眉間にしわも酔っていない。
類稀なその和やかさを作り出している要素は、静雄の隣にいる人物にあるだろう。
漆黒のライダースーツをまとった、奇妙なデザインのヘルメットをかぶった人物。数少ない静雄の友人である、首なしライダーことセルティ=ストゥルルソンである。
池袋の二大名物、喧嘩人形と首なしライダーが並んで座っているその光景は、なかなかにシュールで近寄りがたい光景だ。だからこそ近寄る者も絡む者もなく、静雄の望む平和で静かな時間を過ごすことができている。
頻繁にちらちらと向けられる視線は、平素の騒ぎから比べれば木々のざわめきにも及ばない煩さだ。
木々でさえずる小鳥の鳴き声に耳を澄ませ、足元の鳩のかわいらしさに表情を緩ませながら、静雄はふうとため息をついた。
「……いつもこうならいいのになあ」
言いながら、手の中の小さなパンをちぎり、足元に放る。手近にいた鳩がすぐさまちょんちょんと寄ってきて、ちまちまとパンをついばんだ。
「平和で静かで、俺が望んでるのはこれだけのことなんだよ。些細だよな。そんな欲張りなこと望んじゃいねえと思うんだけどな」
返答が返ってくることを期待しているわけではない。独白に近いそのぼやきに、セルティはただ静かに耳を傾けた。
「世界の平和なんて、大それたこと願っちゃいねえんだよ。俺は別に聖人君子じゃねえしな。いやそりゃ世界が平和になるにこしたことはねえけど、俺は俺の周りの人間が平和ならとりあえずそれでいいと思うんだ」
妙なところで現実的な静雄の言葉に同意を打つように、セルティはゆっくりとうなずいた。
脊髄反射で暴力を行使する静雄ではあるが、その人物は意外とやさしく思いやりがあると、セルティは思う。もともと人に悪感情を抱くことが少ないセルティではあるが、静雄に対しては、その人格に好意的な評価を持っている。
「俺に何ができるってわけじゃねえけど……俺が何かしようとしても、悪い方向にいっちまうことが多いしな。怖がらせちまうことのが多いし、そのせいで人もあんまし寄ってこなくなっちまうし」
少し陰った表情で口元をゆがめる静雄の言葉を、セルティは黙って聞いていた。セルティが同居している岸谷新羅は、静雄の高校時代からのつきあいだ。多少のことはセルティも、新羅から聞いている。
「最近は遊馬崎やら来良の後輩やら、平気で寄ってくる変な奴も増えたけどな。まあ、近寄ってきたらきたで、俺もどうしようかと思っちまうんだけど。また怪我させたり、怖がらせたりするんじゃねえかって思うのもあるし……特に女は、難しいよな。俺みたいなバ化け物の近くにいるのは、さ」
静雄の言がどういうことを指しているのか、セルティには容易に想像がついた。正当防衛と過剰防衛は程度の問題でもあるが、静雄が行うほとんどは過剰防衛に属するからだ。行動の原意は義憤にかられたものであっても、起こす行動が極度なまでに暴力的なのだ。
それでも、静雄という人間をある程度知っているセルティは、落ち込む静雄の肩をやさしくたたいた。
「……ありがとな。いつも愚痴きかせちまって、悪い」
気にするな。そういう想いをこめて、セルティはまたヘルメットを横に振った。
静雄の愚痴を聞くのは、そう嫌なものではない。自分に何ができるわけではないが、愚痴を聞くことで多少なりとも気が楽になるのなら、相手になってやるくらいは自分にもできる。
「っと、悪い。もうすぐ昼休み終わりだ」
腕の時計を確認し、静雄がベンチから腰を上げる。
セルティもそれに倣いながら、PDAに手早く言葉を打ち込んだ。
『こちらこそ、すまなかったな。歩いているのを見かけたからって、つい声をかけてしまって』
実際には、声を出す器官をもたないセルティは、静雄の近くに寄ってバイクの音を嘶かせたわけなのだが、この時間を共に過ごすことを誘いかけたのはセルティであった。
つい先日、セルティの携帯電話に、新宿在住の情報屋から一本の電話がかかってきた。
ごく一方的で簡潔な内容のものであったが、その内容はセルティの心をひどく揺さぶるものであった。
都市伝説と言っても差し支えないような情報だった。だが、その存在自体が都市伝説であるセルティにとっては、それは十分に信じられる情報であった。
だが、その都市伝説を達成させるためには、情報屋いわくある条件が必要なのだそうだ。静雄がその都市伝説の条件達成にあてはまるかどうかは、情報屋は確実には知らないという。
たぶんあてはまると思うけどね、と情報屋はのたまったが、セルティはできれば確かなことを知りたかった。
そのためにセルティは、街角を歩く静雄を呼び止めたのである。
内容が面と向かっては聞きにくいことでもあり、呼びとめたもののどうしようかと思っていたのだが、先ほどの会話の内容から、おそらく情報屋からの情報が真実であることを確証できた。
『……悪かったな』
「いいって。一人で昼飯食うのも味気なかったし、愚痴も聞いてもらっちまったしな」
そう言って笑う静雄の顔は、見る者に好感を与える笑顔をしている。
いつもこういう顔でいられたら女性も寄ってくるのだろうにとセルティは思ったが、その言葉は胸中に秘めておいた。
「じゃあ、またな」
公園の出口で手を振ろうとした静雄に、セルティは短い文章をPDAに打ち込んで見せた。
『おまえは、いつまでもそのままでいてくれな』
入力された文章を見て、静雄はどう解釈していいものか一瞬悩んだようだった。
が、すぐにまた笑顔に戻る。きっと良い意味に受け取ったのだろう。