二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

壱鬼夜行

INDEX|2ページ/2ページ|

前のページ
 

「しげるさん、しげるさん、迎えに来てあげるって言うたのにごめんなぁ」
 捕まる時は泣きも暴れもしなかった女は、しげるの顔を見るなりそう言って泣き出したものだから、しげるは女の足抜けを知っていて知らせなかったと、女の前で折檻を受けた。
 女は殴られ蹴られるしげるに目もくれず、ただ腹を庇って啜り泣いていた。
 しげるは別に女を恨んだりもしなかったし、折檻する男たちのことも憎まなかった。
 ここはそういう世界で、自分や女の腹の子は、存在するだけで罪なのだ。
 外の世界で女が異物であったように。
 無論、しげるの折檻で事が済むはずもなく、しげるが息も絶え絶えになると、今度は女の番だった。女は産ませて産ませてと魂も千切れんばかりに泣き叫び、そして足の間からも血を流した。
 殴られた折に鼓膜を傷つけたものか、女が泣く声は遠い太鼓の音のようにしか聞こえなかったし、殴られて腫れた瞼からは、赤い色だけしか見えなかった。ただ亡八らが女に水を掛けて立ち去ったことで、折檻が済んだことを知った。
 折檻されて床に打ち捨てられたしげるはひたすらにじっと転がっていた。
 下手に動けばそれだけあちこちが余計に痛むのを、しげるはよく知っていた。
 同じように打ち捨てられていた女は、ずるずると身体を引きずってしげるに近づいてきた。
「……ふふふ、よぅく寝てる」
 女は優しい手つきでしげるを撫で、子守唄を歌った。
「いい子、いい子、私の愛しい子」
 とうとう気が触れてしまった女は、しげるの知らぬ名でしげるを呼び、乳を含ませ、寝かしつけた。
 違う名で呼ばれると、しげるの胸に少しだけ冷たいものが通っていった。
 折檻の傷が癒え、また客を取らされるようになってからも、女はしげるを手放そうとはせず、まるでしげるが自らの赤子であるかのように振舞った。
 それ以外は大人しいものだったから、他の女たちも、亡八らも仕事の時以外は女としげるをそっとしておいた。
 女が傍にいない時には、しげるを労って声を掛けてくれることさえあった。
 亡八といえど、機嫌がいい時は気のいい連中なのだ。店の主や役人連中よりはよほどしげるに優しかった。
 容体が落ち着いてくると、女は時折しげるの名を呼ぶようになった。
 女の扱い方が元に戻り始めたある日、しげるは夜中にふと目を覚ました。
 行灯の小さな火よりももっと、強く焦げるような目で女はしげるを見ていた。
「……どうして」
 ぽつり、じゅわり、と夜の色に溶けだすように、女のか細い声が滲んでは消えていく。
「どうして、私の子は死んだのに、お前は生きているの」
 女がゆっくりゆっくりとしげるの首に手を掛けた。
 縊り殺されると悟ったしげるは、咄嗟に女の手を振り払って跳ね起きた。
「どうして、どうして、どうして……!」
 女の眦は吊り上がり、慟哭する口の端は裂けたようで、あんなにも優しかった女の変貌にしげるが慄いていると、喚き暴れる女が行灯を蹴倒した。
 赤木屋は戦火で何とか生き残った木造の古い家だ。
 あっという間に行灯の油が古い畳に広がって燃えた。
「ねえ、しげるさん。あの子が……あの子たちが寂しがっているの。一緒に行こう?」
 そうしたら、今度は私いいお母さんになるから。もう子供たちを殺したりはしないから。しげるさんのお母さんにもなってあげるから。きっと、きっとよ。
 迫る女の手を避けて、しげるは逃げ出した。
 幸いになのか、不幸にもなのか、追いすがる女としげるの間に焼けた襖が倒れてきて、ふたりを隔てた。
 しげるを呼ぶ女の声は耳に絡みつくようだった。
 火事に気が付いた大人たちは、しげるの存在など見えなくなったみたいに右往左往した。
 どこまでも追ってくる女の声に、しげるはめくらめっぽうに走った。とうに声など届くはずはなかったが、それでもしげるの耳には女の声がいつまでも聞こえた。
 ようやく女の声が聞こえなくなったのは、赤木屋から遠く離れ、自分がどこにいるのかもわからなくなった頃だ。
 赤木屋のあったあたりは、戦火に残った家屋が寄り掛かり合うようにしてどうにか建っている、という風情の建物が多かったから、そこら一帯があっという間に燃え上がった。
 入り組んだ道のせいで消防隊が到着するのも遅れ、火事が沈静化する頃には、火元の赤木屋はすっかり焼け落ちていた。
 明るくなるまで待ってから、しげるが店のあったあたりに戻ってみると、大勢の人が仕事をしていて、その中には知った顔は一つもなかった。
「おい、坊主。あぶねえからどっかに行きな」
 厳めしい顔つきの男が、しっし、と犬の子を追い払うように手を振った。
「みんな死んだ?」
 引かずに聞くと、男はおや、と、顔を上げてくれた。
「この店に誰か知り合いでもいたのか」
 しげるが黙ったまま頷くと、男は痛ましそうに「坊主くらいの子供は出てきちゃいないが、店のもんはあらかた焼けちまったみたいだな」と教えてくれた。
 あの狂った女も、優しかった女たちも、亡八も、いけすかなかった店主も、みんなみんな焼けてしまった。焼けて死んでしまった。
 火事があってしばらく、しげるは街を彷徨い歩いた。
 どうにか寝床になりそうな場所を得られても、眠ることなどとてもできなかったし、腹を減らしてもろくに喰い物も手に入らなかった。冷たくなった手と足の先を温めてくれるものなんて何もなかった。
 野良犬や、同じような境遇にあるのだろう孤児と残飯を奪い合い、喰い物屋の店先から何某かをかっぱらった。時として大人に棒で追われて殴られた。
 殴られるのなんて、赤木屋ですっかり慣れっこだったけれど、もうしげるには痛む傷に手を当ててくれる者のひとりも居やしなかった。
 街では幸せそうな家族が手を繋いで歩いているのを何度も見た。
 あの女は、お母さんになってくれると言っていた。
 一緒に死んでやれば、あの胸がきしむような光景は、あの世で自分のモノになったのだろうか。
 ぼんやりと考えて、それから首を振る。
 あの世にそれほどの幸いがあるのなら、足をもぎられ腹を失った虫けらが、それでも必死に生きようとするはずがない。
 残飯を漁るのに、食い物屋を探そうと顔を上げたしげると目が合った女が「きゃあ」と叫んだ。
 優しかった女たちとは似ても似つかない、モダンな洋装の女だった。
「あ、あんた……その髪どうしたの」
 指を指されて、しげるはその辺にあった車のサイドミラーに己の姿を映し見た。
 しげるの髪はいつの間にか真っ白になっていた。
作品名:壱鬼夜行 作家名:千夏