彼方から 第一部 第七話
第七話
「よお」
兵士の遺体を乗せた馬車を率いる軍を前に、その男、ケイモスはそう言って威圧的な眼と笑みを見せていた。
「隊長……あいつは……」
「わ……わかっている」
――樹海の入り口で戦った、リェンカの傭兵……!
――次々と我々の兵を死体にしていった……
――奴の技は、見たこともない恐ろしいものだった。
隊を進めることもせず、蒼褪めた顔を向けたまま、兵士たちの脳裏に蘇ってくるのはケイモスの――この男の所業。
この男に倒され、今は棺の中で眠る同胞が、地面に倒れ伏している様だった。
彼の、薄い茶色の長い髪が風に棚引いている。
整った顔立ちに浮かぶ笑みはとても冷たく、残忍であり、怯える兵士たちの様子を愉しんでいる。
動かない隊列――その隊に向かって、ケイモスは歩を進めていた。
「き……来ますよ」
「ど……どうします、つかまえますか?」
医師の家に一緒に来た二人の部下が、隊長にそう訊いている。
その声音は震え、顔面は蒼白であり、とても、言葉通りに捕まえようとは思っていないことが窺える。
ただ、軍の兵士と言う役柄上、恐怖に削られ残り少ない責任感のようなものから、口にしたに過ぎない。
「や……やめろ、バカ者、無益なことを。勝てるわけがないだ……ろう」
隊長の言葉がそれを裏付けている。
瞬く間に何人もの兵士を死に至らしめた、見たこともない技を使う男……
ただの人間に、ごく普通の兵士に、そんな技に対抗しうる力などある訳がない。
「め……目をあわせるな、やりすごすんだ」
勝ち目のない相手に勝ち目のない戦いを挑むなど、愚の骨頂である。
隊長の判断は兵士としては情けない限りだが、命を守るという点に措いては、賢明と言えるだろう。
ケイモスが近づいてくる。
隊長は体を強張らせ、馬に乗ったまま真っ直ぐに前を見据え、自分が言った言葉通り、決して目を合わせようとしなかった。
「あんたの顔は見覚えがあるなァ」
恐怖と、その恐怖による緊張から、冷や汗を掻いている隊長の脇を、ニヤニヤと見下しながらケイモスは通り過ぎてゆく。
「こいつァ、おれがぶっ殺した連中か?」
馬車の荷台に積まれた棺を拳で軽く叩きながら、誰に言うでもなく、そう、口にするケイモス。
誰もが、自分の命惜しさに、彼が何もせずにただ通り過ぎるのを、身を硬直させて待っている。
「どうした、皆さん方。おとといのこと、忘れたかい? おれは仲間の敵だぜ?」
振り返り、じっと身動き一つしない軍の兵士たちを見回し、口の端に蔑みの笑みを浮かべ、ケイモスは向かって来ないのを承知で挑発している。
「おれが怖いか?」
誰も眼を合わそうとしないのを確認するかのように、更にそう言葉を重ねた。
こちらに背を向けたまま、軍の兵士ともあろう者たちが、一様に一陣の風が通り過ぎるのを待っている……
「くっく……」
数の上では遥かに勝る兵士達の、たった一人の男に対する、これがその態度なのだろうか。
「あっはっは、はーはっは!」
ケイモスは、それは己の、己自身の持つ強さに対する最上の賛辞だと、そう思っていた。
故に、笑いが込み上げた、屈強と言われ、数の上でも勝る軍の兵士が、たった一人の男に恐れを生している。
その恐怖を与えたのが己であることに、己の強さであることに最高の愉悦を味わっていた。
「く……」
だが、皆が皆、腰の引けた兵士ではなかったようだ。
「きさま…………!」
一人、たった一人ではあるが、ケイモスの所業と、軍を嘲るその態度に怒りを露わにする者がいた。
「なめるなァっ!!」
彼の背後から、剣を振り翳し、躍りかかる。
彼との距離、そして背後からの不意打ち、それを考えれば、『常人』であるならば、避けることなど、ましてや防御することなど適うはずがない――そう、兵士は思っていたのかもしれない。
だが……
その気配に振り向いたケイモスの顔に浮かんでいたのは、ただの嘲りと残忍な笑み。
――キィンッ……
金属同士がぶつかり合う甲高い音共に、兵士が振り下ろした剣は、片手でいとも簡単に、ケイモスの剣によって受け止められていた。
流れるような、戦いの中で洗練された動きには余裕が感じられる。
ケイモスは、残った片方の手で、自分に切り掛かってきた兵士の顔を掴んでいた。
「バカがっ!!」
視界が彼の手に覆われた兵士は、その刹那、何を思ったであろうか……
――ボシュッ
ケイモスは躊躇う事なく、一瞬で、己の持つ能力で以って、兵士の命を終わらせていた。
ぐしゃ……と、血と肉片が、細かく砕かれた骨が、綯い交ぜとなって地面に飛び散る。
「ひ」
「うわ」
「首が……」
周りの兵士たちは仲間の最期に恐れ戦き、顔を背けた。
頭を失い、兵士の体は静かに倒れてゆく。
その手から、いったいどんな技を以って、どうやって兵士の頭を飛ばしたのだろうか……原型を留めぬほどにまで。
「クズは素直におびえてりゃいいんだよ」
動かぬ骸と化した兵士の体を見下ろすケイモス。
その顔に浮かぶのは、冷酷そのものの笑み。
己の力を誇示することに、何の躊躇いも見せない男。
死体を置き去りにし、ケイモスは軍の兵士に平気で背中を晒し立ち去ってゆく。
その様子を、彼らの頭上、岩壁に開いた穴のような所から、二人の男が覗き見ていた。
「軍の奴らが硬直しておる」
「何者ですかね、奴は」
一人は顎のたるんだ年配の、派手な服と装飾品を身に着けた男。
もう一人は若い男だったが、陰に身を潜め、顔までは分からなかった。
「どうやら、カルコの町へ行くつもりらしいな」
街道を進むケイモスの行く先を見据え、年配の男はそう呟いていた。
*************
洗面容器に溜めた水の中から手拭いを取り出し、ギューッと、水を絞り出す。
≪イザークこれ、頭冷やすの、お医者さんがそんなこと言ってたみたいだから≫
身振り手振りで――と、言葉を加えながら、ノリコは絞った手拭いを自分の額に当ててみせる。
そのまま、彼の額に乗せようとするが、
「いらん」
と断られ、手で避けられてしまう。
――イザーク……
何となく、断られることは予想していたが、それでも、何の役にも立てていないことが、申し訳なくて仕方がない。
本人が拒んだものを無理に押し付ける訳にも行かず、ノリコは手拭いを手に、所在無く立っていた。
――せっかく運んできた食事も、とらないし……
ベッドの頭上に置かれている、荷物を置くためのチェスト。
その上に、食事が手つかずで残っている。
ノリコの差し出した手拭いを、いらんと言って顔を背けたままのイザーク。
――大丈夫かなァ、お医者さん、心配ないって言ってたみたいだったけど……
やはり、身振り手振りで――そう思いながら。
――でも、あんまりそばでゴチャゴチャ言われるのもかえって辛いだろうから……
ノリコはそう思うと、そぉっと、手拭いを洗面容器に戻し、ぽてっと、もう一つのベッドに腰を下ろした。
イザークを見守りながら。
そんな彼女を、苦しそうな息遣いで一瞥するイザーク。
「よお」
兵士の遺体を乗せた馬車を率いる軍を前に、その男、ケイモスはそう言って威圧的な眼と笑みを見せていた。
「隊長……あいつは……」
「わ……わかっている」
――樹海の入り口で戦った、リェンカの傭兵……!
――次々と我々の兵を死体にしていった……
――奴の技は、見たこともない恐ろしいものだった。
隊を進めることもせず、蒼褪めた顔を向けたまま、兵士たちの脳裏に蘇ってくるのはケイモスの――この男の所業。
この男に倒され、今は棺の中で眠る同胞が、地面に倒れ伏している様だった。
彼の、薄い茶色の長い髪が風に棚引いている。
整った顔立ちに浮かぶ笑みはとても冷たく、残忍であり、怯える兵士たちの様子を愉しんでいる。
動かない隊列――その隊に向かって、ケイモスは歩を進めていた。
「き……来ますよ」
「ど……どうします、つかまえますか?」
医師の家に一緒に来た二人の部下が、隊長にそう訊いている。
その声音は震え、顔面は蒼白であり、とても、言葉通りに捕まえようとは思っていないことが窺える。
ただ、軍の兵士と言う役柄上、恐怖に削られ残り少ない責任感のようなものから、口にしたに過ぎない。
「や……やめろ、バカ者、無益なことを。勝てるわけがないだ……ろう」
隊長の言葉がそれを裏付けている。
瞬く間に何人もの兵士を死に至らしめた、見たこともない技を使う男……
ただの人間に、ごく普通の兵士に、そんな技に対抗しうる力などある訳がない。
「め……目をあわせるな、やりすごすんだ」
勝ち目のない相手に勝ち目のない戦いを挑むなど、愚の骨頂である。
隊長の判断は兵士としては情けない限りだが、命を守るという点に措いては、賢明と言えるだろう。
ケイモスが近づいてくる。
隊長は体を強張らせ、馬に乗ったまま真っ直ぐに前を見据え、自分が言った言葉通り、決して目を合わせようとしなかった。
「あんたの顔は見覚えがあるなァ」
恐怖と、その恐怖による緊張から、冷や汗を掻いている隊長の脇を、ニヤニヤと見下しながらケイモスは通り過ぎてゆく。
「こいつァ、おれがぶっ殺した連中か?」
馬車の荷台に積まれた棺を拳で軽く叩きながら、誰に言うでもなく、そう、口にするケイモス。
誰もが、自分の命惜しさに、彼が何もせずにただ通り過ぎるのを、身を硬直させて待っている。
「どうした、皆さん方。おとといのこと、忘れたかい? おれは仲間の敵だぜ?」
振り返り、じっと身動き一つしない軍の兵士たちを見回し、口の端に蔑みの笑みを浮かべ、ケイモスは向かって来ないのを承知で挑発している。
「おれが怖いか?」
誰も眼を合わそうとしないのを確認するかのように、更にそう言葉を重ねた。
こちらに背を向けたまま、軍の兵士ともあろう者たちが、一様に一陣の風が通り過ぎるのを待っている……
「くっく……」
数の上では遥かに勝る兵士達の、たった一人の男に対する、これがその態度なのだろうか。
「あっはっは、はーはっは!」
ケイモスは、それは己の、己自身の持つ強さに対する最上の賛辞だと、そう思っていた。
故に、笑いが込み上げた、屈強と言われ、数の上でも勝る軍の兵士が、たった一人の男に恐れを生している。
その恐怖を与えたのが己であることに、己の強さであることに最高の愉悦を味わっていた。
「く……」
だが、皆が皆、腰の引けた兵士ではなかったようだ。
「きさま…………!」
一人、たった一人ではあるが、ケイモスの所業と、軍を嘲るその態度に怒りを露わにする者がいた。
「なめるなァっ!!」
彼の背後から、剣を振り翳し、躍りかかる。
彼との距離、そして背後からの不意打ち、それを考えれば、『常人』であるならば、避けることなど、ましてや防御することなど適うはずがない――そう、兵士は思っていたのかもしれない。
だが……
その気配に振り向いたケイモスの顔に浮かんでいたのは、ただの嘲りと残忍な笑み。
――キィンッ……
金属同士がぶつかり合う甲高い音共に、兵士が振り下ろした剣は、片手でいとも簡単に、ケイモスの剣によって受け止められていた。
流れるような、戦いの中で洗練された動きには余裕が感じられる。
ケイモスは、残った片方の手で、自分に切り掛かってきた兵士の顔を掴んでいた。
「バカがっ!!」
視界が彼の手に覆われた兵士は、その刹那、何を思ったであろうか……
――ボシュッ
ケイモスは躊躇う事なく、一瞬で、己の持つ能力で以って、兵士の命を終わらせていた。
ぐしゃ……と、血と肉片が、細かく砕かれた骨が、綯い交ぜとなって地面に飛び散る。
「ひ」
「うわ」
「首が……」
周りの兵士たちは仲間の最期に恐れ戦き、顔を背けた。
頭を失い、兵士の体は静かに倒れてゆく。
その手から、いったいどんな技を以って、どうやって兵士の頭を飛ばしたのだろうか……原型を留めぬほどにまで。
「クズは素直におびえてりゃいいんだよ」
動かぬ骸と化した兵士の体を見下ろすケイモス。
その顔に浮かぶのは、冷酷そのものの笑み。
己の力を誇示することに、何の躊躇いも見せない男。
死体を置き去りにし、ケイモスは軍の兵士に平気で背中を晒し立ち去ってゆく。
その様子を、彼らの頭上、岩壁に開いた穴のような所から、二人の男が覗き見ていた。
「軍の奴らが硬直しておる」
「何者ですかね、奴は」
一人は顎のたるんだ年配の、派手な服と装飾品を身に着けた男。
もう一人は若い男だったが、陰に身を潜め、顔までは分からなかった。
「どうやら、カルコの町へ行くつもりらしいな」
街道を進むケイモスの行く先を見据え、年配の男はそう呟いていた。
*************
洗面容器に溜めた水の中から手拭いを取り出し、ギューッと、水を絞り出す。
≪イザークこれ、頭冷やすの、お医者さんがそんなこと言ってたみたいだから≫
身振り手振りで――と、言葉を加えながら、ノリコは絞った手拭いを自分の額に当ててみせる。
そのまま、彼の額に乗せようとするが、
「いらん」
と断られ、手で避けられてしまう。
――イザーク……
何となく、断られることは予想していたが、それでも、何の役にも立てていないことが、申し訳なくて仕方がない。
本人が拒んだものを無理に押し付ける訳にも行かず、ノリコは手拭いを手に、所在無く立っていた。
――せっかく運んできた食事も、とらないし……
ベッドの頭上に置かれている、荷物を置くためのチェスト。
その上に、食事が手つかずで残っている。
ノリコの差し出した手拭いを、いらんと言って顔を背けたままのイザーク。
――大丈夫かなァ、お医者さん、心配ないって言ってたみたいだったけど……
やはり、身振り手振りで――そう思いながら。
――でも、あんまりそばでゴチャゴチャ言われるのもかえって辛いだろうから……
ノリコはそう思うと、そぉっと、手拭いを洗面容器に戻し、ぽてっと、もう一つのベッドに腰を下ろした。
イザークを見守りながら。
そんな彼女を、苦しそうな息遣いで一瞥するイザーク。
作品名:彼方から 第一部 第七話 作家名:自分らしく