彼方から 第一部 最終話
軽やかに馬に跨り、新しい服と装飾品を身に着けたノリコに、声を掛ける。
カルコの町で、買い求めたものだろうか……日常会話など、まだまだ先のノリコでは、ないだろう。
恐らく、イザークが……
この服も、ノリコに良く似合っている。
――おれと言葉が交わせるようになって
――ノリコが自分の立場を認識できるようになるまで
――それが終われば……
地面に溜まった水を跳ね上げ、二人を乗せた馬が歩き始める。
その動きに体を合わせることが出来なくて、ノリコはバランスを崩し、後ろに乗ったイザークの胸に、不可抗力ながら背中を預けてしまっていた。
二人の髪が揺れる。
イザークの頬をくすぐるノリコの髪から、あの時の、盗賊から身を隠した時の、彼女の柔らかな香りが仄かに香ってくる。
≪ご……ご免なさい、やっぱり馬ってなれなくって≫
ノリコが慌てて、体を離す。
二人の関係を考えれば、それは――当たり前の行動かもしれない。
かも、しれないのだが……
イザークの心のその端の方で、本人も気付かないほどの僅かな揺らぎが芽生えていた。
≪ほら、やっぱし、通勤通学には電車とかバスとか使うでしょ。あんまり馬に乗ってくる人って見かけたことないし……≫
――それが終わるまでは……
≪あ、でも、あたし、自転車には乗れるのよ。中学校が家から遠かったもんだから、練習したんだけど、それがお兄ちゃんのおさがりだったもんだから、でかいし、車体も黒だし……≫
馬の背の上、イザークの方を向いて、矢継ぎ早に言葉を並べているノリコ。
相変わらずの向こうの世界の言葉。
「……いいから、前を向いていろ」
彼女の言葉に返すイザークの言葉はもう、『何を言っているのか分からん』ではなくなっていた。
緩やかな丘を下る二人を乗せた馬。
青い空が、二人の行く末を見守るように広がっている。
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二人から遠く離れた草原を、エイジュが歩いている。
――あれは……あの、手のようなものは……
離れてゆく二人の気配を感じとりながら、エイジュはケイモスとイザークの戦いに割って入った、あの大きく透明な手を思い返していた。
――恐らく、向こう側の……
その『向こう側』の手に落ちた、あの男が気になった。
だからと言って、今の自分に、何ができるというものではない。
たとえ、この先あの男が、イザークの前に再び立ちはだかることになっても、今、その芽を摘むことは、自分の役割の中には入っていなかった。
これ以上、役割以上の出過ぎた真似をすれば、『あちら側』の干渉があるだろうことは目に見えている。
今の二人に、自分は必要な存在ではない。
エイジュは、二人の気配を追うのを止めた。
またいずれ……関わる時が来る。
その時までは……
その時は、いつ来るだろうか……
どこまでも繋がる空を見上げ、エイジュは遠く、その先を見詰めていた。
第一部 完
作品名:彼方から 第一部 最終話 作家名:自分らしく