彼方から 第二部 第一話
――近い未来
――ここに女の子が来る
――これは、予感
――彼女なら
――僕の声を聞いてくれるかもしれない……
彼方から 第二部 第一話
大きな街。
何軒もの店が立ち並び、家々の軒先には、きれいな鉢植えが置かれ、通りには人々が途切れることなく行き交う……
本当に大きな街。
その街の中、女の子が一人、街外れへと向かって走っている。
駆け抜けてゆくその女の子を、気にして見送る者、気にも留めない者……
そんな人々の間を抜け、息を切らし、大きな瞳に涙を溜めて――女の子が、ノリコが、街外れの外壁に姿を現した。
「イザ―――クッ！！」
小高い外壁の上から、眼下に望む街道や山々を見下ろし、ノリコは声の限りに呼んでいた――イザークの名を。
≪だめだ……とても追いつけないよ≫
外壁の上に手を置き、遠くまで見通すかのように体を乗り出すノリコ。
肩に掛かるか掛からないか程の長さだった髪は、肩よりも下に、肩甲骨の辺りにまで伸びていた。
≪だめだよ、おばさん……どっちの方へ行っちゃったのかさえ、わかんないのに……≫
彼女がいる外壁からは、かなり遠くの方まで望むことが出来る。
そこから見える景色の中に、求める人の姿は、見えない。
ノリコの眼からポロポロと、大粒の涙が溢れ、零れてゆく。
彼女の名前は立木典子。
彼女はある日、いきなりこの世界に飛ばされてきた。
元の世界では、ただの平凡な女子高生だったのだが……この世界に来て、既に３ケタの日々が過ぎている。
３ケタの日々の間には、ずいぶんと色んなことがあった。
だがその間、彼女とずっと一緒に――傍に付いてあげていた人がいた。
その人が傍にいてくれていたことで、ノリコがどれだけ、精神的に救われていたことか……
その人の名はイザーク……
彼と一緒にいた頃は、こんな風に離れ離れになる日が来るなど、彼女は思ってもいなかった。
茶色っぽい髪のノリコに比べ、彼の髪は漆黒で、瞳の色も黒で……時に青に見えたり、緑にも見えたりする不思議な瞳だった。
そして、ノリコから見れば、西洋人とも東洋人とも言えない、きれいな顔立ちをしていた。
≪どうしよう……≫
涙を拭いながら、ノリコはこれまでの日々を思い返していた。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
≪星、星はなんていうの？ イザーク。ほら、キラキラ、チカチカしている、あれ……えーと、空の……≫
「タータ（空）……トエ（火）、ニーケ（小さい）」
夜空に光る星々を指差しながら、ノリコは憶えたばかりのこちらの世界の言葉を並べ、何とか自分の言いたいことを伝えようとしている。
「空の小さい火？」
ノリコの並べた言葉を繋ぎ合わせ、イザークは彼女の言わんとしていることを、訊こうとしていることを理解しようとしている。
「星のことか？」
「星？」
「そう、星だ」
旅の途中、野宿の間。
焚かれた火を前に、二人きりの言葉の練習の日々。
彼女は道中、暇さえあればこうしていろんなものを指差し、覚えた言葉を繋ぎ合わせ、新たな言葉を覚える練習をしていた。
イザークもそれに、根気よく付き合っていた。
「店、たくさんの店」
その頃のノリコには、それしかすることがなかったのは確かだが、
「あたしは買います。これをひとつ」
何よりも、イザークと早く、まともに話が出来るようになりたいという想いの方が強かった。
「ここ、同じ、“十進法”、助かる」
「？ ジュッシンホー？」
町中の店での買い物、日常生活での会話、挨拶……覚えなければならない言葉は、それこそ山ほどあったが、
「太陽・月・星・同じ」
その想いのお蔭か、彼女の言葉の上達は、驚くほど早かった。
「あたしの世界・動物・植物・種類たくさん・いる」
必要なものが、抵抗なく体中に染み入っていくかのように、次から次へと、この世界の言葉を理解し話せるようになっていった。
まるで……眼に見えない何かに、助けられているかのように……
イザークの、温かい瞳に見守られながら……
――そんなある日のことだった……ノリコは、ノリコたちは、化け物に襲われていた。
「きゃあっ！」
「うわーーーーっ！！」
堅い甲羅のような体と、先の尖った鋭利な牙のような六本の脚。
それに大きな口には大きな牙が上下に二本ずつ。
頭には、横一列に並んだ、六個の目があった。
牙を生やした、堅い体の蜘蛛のような――人間の大人ほどの大きさのある化け物……
旅の途中、偶然出会った地元の民らしき人々と一緒に、イザークとノリコは化け物たちに襲われていた。
――ザンッ！
イザークの剣が、ノリコたちに襲いかかろうとしていた化け物の首を、一瞬で切り落とす。
しかも、その肩にはケガ人を一人抱えた状態で。
「あんた達の言う、小屋はまだかっ！？」
偶然出会った地元の民は全部で五人。
一人はイザークに抱えられ、二人はケガをした仲間の腕を取り、左右から支えている。
「あ！ あそこだっ！ あそこに見えるっ！！」
「もう目の前だ！」
「走れっ！」
残る一人が先導していた。
――とある山の中、二人は彼らと共に、とんでもない化け物群に出くわしてしまっていた。
小屋に向かって走る七人を、六本足の化け物は数えきれないほどの数で以って追い詰めてくる。
イザークは逃げる皆の最後尾に位置取り、向かって来る化け物たちの足止めをしていた。
「急げ――――っ！」
化け物たちがすぐそこまで迫る中、ようやく小屋に辿り着き、ドアを開け、中へと走り込む。
小屋へと入り込む寸前、皆の背を守っていたイザークに、化け物が、その牙を剝き飛び掛かろうとしていた……
バターーンッ！！
だが、飛び掛かろうとしていた化け物は、小屋の外で腹を見せ、その背を地面に着け、コロコロと揺れている。
イザークにその牙や鋭い脚を突き立てることは出来なかったようだ。
山には、夜の暗闇が訪れており、彼らの逃げ込んだ小屋の周りは、無数の化け物たちに取り囲まれている。
ジャージャーと、耳障りな鳴き声と、カシャカシャと乾いた足音を立て、化け物たちは、中へと入る機会を窺っていた。
――カタンッ！
小屋の中、イザークは入り口のドアに閂を掛けていた。
逃げ込んだ面々は一様に息を切らし、床にへたり込んでいる。
イザークは少々乱暴に、肩に担いでいたケガ人を床に降ろしていた。
「た……助かった、ひとまず……」
歩けない仲間を二人で支えていた男の人の一人が、そう、一息吐いた時だった。
「うわーーっ！！」
「うわーーっ！？」
一緒に逃げ込んだ仲間の一人の大声に、他の連中は驚き、同じように大声を上げている。
「ばっ、ばか野郎っ！ いきなりでけえ声出すんじゃねー！！」
「ナイーブなおれ達の心臓を止める気かっ！？」
涙目で、波打つ心臓を抑えながら、怪我人を支え運んでいた二人が大声を出した仲間をそう言って責めている。
その仲間も、
「香の石が……」
と言いながら、涙目で振り向いた。
小屋の中に設えてある棚を、震える手で指差し、
――ここに女の子が来る
――これは、予感
――彼女なら
――僕の声を聞いてくれるかもしれない……
彼方から 第二部 第一話
大きな街。
何軒もの店が立ち並び、家々の軒先には、きれいな鉢植えが置かれ、通りには人々が途切れることなく行き交う……
本当に大きな街。
その街の中、女の子が一人、街外れへと向かって走っている。
駆け抜けてゆくその女の子を、気にして見送る者、気にも留めない者……
そんな人々の間を抜け、息を切らし、大きな瞳に涙を溜めて――女の子が、ノリコが、街外れの外壁に姿を現した。
「イザ―――クッ！！」
小高い外壁の上から、眼下に望む街道や山々を見下ろし、ノリコは声の限りに呼んでいた――イザークの名を。
≪だめだ……とても追いつけないよ≫
外壁の上に手を置き、遠くまで見通すかのように体を乗り出すノリコ。
肩に掛かるか掛からないか程の長さだった髪は、肩よりも下に、肩甲骨の辺りにまで伸びていた。
≪だめだよ、おばさん……どっちの方へ行っちゃったのかさえ、わかんないのに……≫
彼女がいる外壁からは、かなり遠くの方まで望むことが出来る。
そこから見える景色の中に、求める人の姿は、見えない。
ノリコの眼からポロポロと、大粒の涙が溢れ、零れてゆく。
彼女の名前は立木典子。
彼女はある日、いきなりこの世界に飛ばされてきた。
元の世界では、ただの平凡な女子高生だったのだが……この世界に来て、既に３ケタの日々が過ぎている。
３ケタの日々の間には、ずいぶんと色んなことがあった。
だがその間、彼女とずっと一緒に――傍に付いてあげていた人がいた。
その人が傍にいてくれていたことで、ノリコがどれだけ、精神的に救われていたことか……
その人の名はイザーク……
彼と一緒にいた頃は、こんな風に離れ離れになる日が来るなど、彼女は思ってもいなかった。
茶色っぽい髪のノリコに比べ、彼の髪は漆黒で、瞳の色も黒で……時に青に見えたり、緑にも見えたりする不思議な瞳だった。
そして、ノリコから見れば、西洋人とも東洋人とも言えない、きれいな顔立ちをしていた。
≪どうしよう……≫
涙を拭いながら、ノリコはこれまでの日々を思い返していた。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
≪星、星はなんていうの？ イザーク。ほら、キラキラ、チカチカしている、あれ……えーと、空の……≫
「タータ（空）……トエ（火）、ニーケ（小さい）」
夜空に光る星々を指差しながら、ノリコは憶えたばかりのこちらの世界の言葉を並べ、何とか自分の言いたいことを伝えようとしている。
「空の小さい火？」
ノリコの並べた言葉を繋ぎ合わせ、イザークは彼女の言わんとしていることを、訊こうとしていることを理解しようとしている。
「星のことか？」
「星？」
「そう、星だ」
旅の途中、野宿の間。
焚かれた火を前に、二人きりの言葉の練習の日々。
彼女は道中、暇さえあればこうしていろんなものを指差し、覚えた言葉を繋ぎ合わせ、新たな言葉を覚える練習をしていた。
イザークもそれに、根気よく付き合っていた。
「店、たくさんの店」
その頃のノリコには、それしかすることがなかったのは確かだが、
「あたしは買います。これをひとつ」
何よりも、イザークと早く、まともに話が出来るようになりたいという想いの方が強かった。
「ここ、同じ、“十進法”、助かる」
「？ ジュッシンホー？」
町中の店での買い物、日常生活での会話、挨拶……覚えなければならない言葉は、それこそ山ほどあったが、
「太陽・月・星・同じ」
その想いのお蔭か、彼女の言葉の上達は、驚くほど早かった。
「あたしの世界・動物・植物・種類たくさん・いる」
必要なものが、抵抗なく体中に染み入っていくかのように、次から次へと、この世界の言葉を理解し話せるようになっていった。
まるで……眼に見えない何かに、助けられているかのように……
イザークの、温かい瞳に見守られながら……
――そんなある日のことだった……ノリコは、ノリコたちは、化け物に襲われていた。
「きゃあっ！」
「うわーーーーっ！！」
堅い甲羅のような体と、先の尖った鋭利な牙のような六本の脚。
それに大きな口には大きな牙が上下に二本ずつ。
頭には、横一列に並んだ、六個の目があった。
牙を生やした、堅い体の蜘蛛のような――人間の大人ほどの大きさのある化け物……
旅の途中、偶然出会った地元の民らしき人々と一緒に、イザークとノリコは化け物たちに襲われていた。
――ザンッ！
イザークの剣が、ノリコたちに襲いかかろうとしていた化け物の首を、一瞬で切り落とす。
しかも、その肩にはケガ人を一人抱えた状態で。
「あんた達の言う、小屋はまだかっ！？」
偶然出会った地元の民は全部で五人。
一人はイザークに抱えられ、二人はケガをした仲間の腕を取り、左右から支えている。
「あ！ あそこだっ！ あそこに見えるっ！！」
「もう目の前だ！」
「走れっ！」
残る一人が先導していた。
――とある山の中、二人は彼らと共に、とんでもない化け物群に出くわしてしまっていた。
小屋に向かって走る七人を、六本足の化け物は数えきれないほどの数で以って追い詰めてくる。
イザークは逃げる皆の最後尾に位置取り、向かって来る化け物たちの足止めをしていた。
「急げ――――っ！」
化け物たちがすぐそこまで迫る中、ようやく小屋に辿り着き、ドアを開け、中へと走り込む。
小屋へと入り込む寸前、皆の背を守っていたイザークに、化け物が、その牙を剝き飛び掛かろうとしていた……
バターーンッ！！
だが、飛び掛かろうとしていた化け物は、小屋の外で腹を見せ、その背を地面に着け、コロコロと揺れている。
イザークにその牙や鋭い脚を突き立てることは出来なかったようだ。
山には、夜の暗闇が訪れており、彼らの逃げ込んだ小屋の周りは、無数の化け物たちに取り囲まれている。
ジャージャーと、耳障りな鳴き声と、カシャカシャと乾いた足音を立て、化け物たちは、中へと入る機会を窺っていた。
――カタンッ！
小屋の中、イザークは入り口のドアに閂を掛けていた。
逃げ込んだ面々は一様に息を切らし、床にへたり込んでいる。
イザークは少々乱暴に、肩に担いでいたケガ人を床に降ろしていた。
「た……助かった、ひとまず……」
歩けない仲間を二人で支えていた男の人の一人が、そう、一息吐いた時だった。
「うわーーっ！！」
「うわーーっ！？」
一緒に逃げ込んだ仲間の一人の大声に、他の連中は驚き、同じように大声を上げている。
「ばっ、ばか野郎っ！ いきなりでけえ声出すんじゃねー！！」
「ナイーブなおれ達の心臓を止める気かっ！？」
涙目で、波打つ心臓を抑えながら、怪我人を支え運んでいた二人が大声を出した仲間をそう言って責めている。
その仲間も、
「香の石が……」
と言いながら、涙目で振り向いた。
小屋の中に設えてある棚を、震える手で指差し、
作品名：彼方から 第二部 第一話 作家名：自分らしく