彼方から 第二部 第一話
「やだなー、こわいなー……」
「樹海(ゴルダゼル)、場所、初めて会った?」
ノリコの言葉と彼らの会話その二つが、イザークの意識を一つの方向に向かわせる。
その眼に映るのは、樹海の中、向こうの世界の服を着ているノリコの手を取り、花虫から逃げている場面……
「たくさん、でてきた、怪物。イザークと、二人で走った、木がいっぱい」
彼女の片言の言葉に、男たちの注意も二人に向き始める。
「花(ニーナ)……」
「ノリコッ!!」
――ダンッ!!
イザークは激しくテーブルを叩き、彼女の名をきつい口調で呼んでいた。
それは、何かを言い掛けたノリコを黙らせた。
「喋るな……また変な事を言い出したら、おれが恥をかく!」
「あ……」
どこかを見据えたまま、険しい表情を見せて、きつくそう言い捨てるイザークの言葉は、ノリコの身を引かせていた。
「お……おいおい」
「兄ちゃん……」
ノリコの言葉に、注意を向け始めた男たちをも引かせていた。
「ごめん、なさい……」
――イザーク、怒ってる……
身を縮め、怖々と謝るノリコ。
「怒ることじゃないだろう、そんなこと」
「こりゃ、おれ達がからかいすぎたな」
イザークの気迫に、男たちの方が蒼褪め、執り成している。
彼らを見るイザークの眼に、怒りの色は見られない。
いや、それよりも、やりすぎたか――そんな感じさえ見受けられる。
――今まであたしがどんな失敗しても
――迷惑かけても怒らなかったのに……
――きっとさっき、あたし、すごい間違いをしたんだ
体を竦ませ、イザークを怒らせたと、その緊張でノリコの心臓は大きく脈を打っていた。
夜が明けた――
「メシ、食ってけよ」
「なんなら、ふもとのおれ達の村で、二・三泊してってくれ、助けてもらったし、それに、その為にあんたらの馬、逃がしちまったんだろ?」
良く晴れ渡った空。
雲が棚引き、陽の煌めきが眩しい朝。
小屋を出て、男たちがそう言って、二人を誘ってくれている。
「いや、急ぐのでここで失礼する」
「…………」
イザークは彼らの誘いを丁重に断っていた。
彼の後ろではノリコが、未だ昨夜のイザークの様子を想い、引き摺っている。
「おーい」
歩き去ってゆき、遠くなる二人に掛けてくれる、
「仲良くなーー」
彼らの声が小さくなってゆく。
なだらかな坂道を黙って、ノリコはイザークの少し後ろに付いて、二人は歩いていた。
――まだ、怒ってんのかなァ……
何も言われないことが、却って気になる。
自分が悪いことをしたと思いながら過ごす沈黙の刻は、とても気まずいし、重苦しい。
だからと言って、もう一度謝れば済むのか……という感じでもないように思え、ノリコは困り顔でイザークの背中を見ていた。
不意に――
イザークは立ち止まり、振り向いた。
ノリコも、同じように立ち止まる。
すると、イザークはノリコの前まで戻ってきた。
――え?
何かと思い、思わず少し体を逸らしてしまうノリコ。
そんな彼女の想いを余所に、イザークは静かに話し始めた。
「ノリコ、昨夜、言い掛けていたな。樹海とは、おれ達が初めて会った場所かと、襲ってきた化け物が、花虫と言うのかと」
樹海・花虫という言葉に、ノリコはやはり、イザークはまだ怒っているのかと思い、ドキッとなる。
「間違い、ご免なさ……」
「間違いではない」
謝りかけたノリコを、イザークは途中で遮った。
「そのとおりだ」
昨夜、ノリコが言い掛けたことが、間違いではないと、その通りだと、イザークは言う。
その言葉に、ノリコは目を見開く。
「だが、そのことは決して、人には言うな」
ノリコを見据え、怒るのではなく、淡々と、イザークは『言うな』と言ってくる。
ああ――と、ノリコは気づいた。
「ノリコ」
彼女の両肩を掴み、
「樹海であったことは全て忘れろ、前の世界のことも忘れろ」
真剣な眼差しで、言い含めてくるイザーク。
「あんたは島の娘だ、小さな、誰も知らない島からの移民だ」
そんなイザークの眼を、ノリコも見返し、黙ってその言葉を聞いている。
「おれの言うことがわかるか?」
彼の問い掛けに、ノリコは大きく頷いた。
――じゃ、あの時は……
――あたしの言葉を遮るために……?
「だから怒った? イザーク、机……ドン」
そう言って拳を作り、昨夜のイザークのように、机を叩く真似をするノリコ。
その仕草に、昨夜の自分の言葉と態度に体を竦め、少し震えていたノリコの様子が思い返される。
少し辛そうに眉を潜め、イザークはノリコの肩から手を離すとそのままそっと、ふんわりと優しく包み込むように、抱きしめてゆく……
「怒ったわけではない……昨夜は……辛い思いをさせた……」
耳元で、優しく聴こえるイザークの声。
伝わる、彼の想い。
――人の心の痛みがわかる人だ
――昨夜はこの人も、辛い思いをしたのかな
優しく、温かい彼の腕の中、ノリコはそう感じ、瞳が潤む。
――彼が、言うなというなら言うまい
――忘れろ言うなら忘れよう
――あたしは、そう約束した
――今から思えば
――あれは彼の別れの挨拶だったのだろうか……
――それから、まもなくしてのことだった
――辿り着いた賑やかな町
――たくさんあるお店の中の一つに雑貨屋さんがあって
――そこに、一人のおばさんがいた……
第二部 第二話へ続く
作品名:彼方から 第二部 第一話 作家名:自分らしく