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自分らしく
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彼方から 第二部 第二話

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彼方から 第二部 第二話

 ふくよかな女性だった。
 年の頃は50代ぐらいだろうか。
 ノリコとイザークは夕方、彼女が店を閉めている時に訪れていた。
 どうやら、イザークとは知り合いのようで、彼女はイザークの顔を見ると喜んで、家の中に招き入れてくれていた。

「久しぶりだねぇ、まぁ、今晩は泊まっておゆきよ」
 彼女はそう言いながら薄暗い部屋の中にランプを灯し、蝋燭などの灯も点けてゆく。
 二人は昔馴染みなのか、しばらく懐かしげに話をしていた。
 やがて……イザークが何を話したのか、彼女は一人ポツンと、蚊帳の外に置かれていたノリコの方を見た。

 ――いつかは……
 ――こんな日が来ると思ってた

 一人、心細げにイザークを見るノリコに、彼女は歩み寄ってゆく。
 イザークは横顔を見せたまま……ノリコに眼も向けない。

 ――思ってたけど……

 自分よりも少し背の高い、イザークの知り合いの、年配の女性……
 彼女にジッと見られてもどうしたら良いのか分からず、ノリコもただ戸惑いながら見返すだけ。
 迫力のある顔をした彼女は、ノリコに、にまっ――と、笑顔を見せてくれた。
 その笑顔がとても愛嬌のある、親しみ深い印象で、ノリコも少し安心して笑顔を返すことが出来た。
 途端にばんばんと、体が揺れるほどの勢いで肩を叩き、彼女は更に笑顔を見せてくれながら、
「おお、笑った笑った、女の子は笑顔が一番可愛いよ」
 と言ってくれる。
「安心しなイザーク、この子は、あたしが立派に、ここでやってけるようにしてやるから」
 ノリコの肩を抱き、彼女はイザークに向かって微笑み、そう請け負っていた。


 ――夜。
 半月が高く昇っている。
「彼の部屋は隣だよ、さびしいかい?」
「…………」
 一人、部屋を宛がわれ、ベッドの上、ポツンと座り込んでいるノリコに、彼女がそう声を掛けてくれる。
 蝋燭の灯しかない部屋はぼんやりとしていて、ノリコは心許無かった。
「だけど、初めて聞くねぇ、あの子が他人とそんなに長い間、行動を共にしたってのは」
 彼女は部屋の戸に手を掛けながら、ノリコを見てそう言ってくる。
「イザークは、あんまり人と深くかかわるのを好まないんだよ」
 さびし気で、心細げで……何とも頼りない眼をするノリコに、彼女は昔馴染みらしく、イザークの性格の一端を口にしながら部屋の戸を閉める。
 ノリコは、独り……になった。

 ――今まで面倒みてもらったんだし
 ――明日はちゃんと、挨拶してお礼言って
 ――笑顔でお別れしなくちゃ……

 服を着たまま、着替えもせず、ノリコは布団に突っ伏して、そう、自分に言い聞かせている。
 
 ――そのうち、またここへ寄ってくれるもの

 そう、期待して……

   *************

 ――朝。
 今日も、空は良く晴れ渡っていた。
「イザーク」
 居間で、旅支度を整えている彼に、ノリコはなるべく普通に――普通に、声を掛けた。
「今まで、ありがと、たくさん」
「ああ」
「この後、どこ行く?」
「…………ここを出たら決める」
「また……会える?」
「…………」
 ――なんで、黙るの?

 昨夜、自分に言い聞かせたことを健気に守って……そして、イザークの言葉を待っている、イザークが、見てくれるのを待っている。

「じゃあな」

 だが彼は、素っ気なくそう言うとそのまま、玄関の戸を潜って行ってしまう。

 ――さっきからあたしの顔、一度も見ない

「世話になった、よろしく頼む」
「いいとも、まかせときな」
 それなのに、外でイザークを待っていた昔馴染みの彼女の顔はちゃんと見て、そしてちゃんと、言葉を交わしている。

 ――こっち見てイザーク
 ――あたし笑顔でお別れしようと思ってたのに
 ――これじゃ、できないよ

 そんなのは――それだけは、嫌だった。

 ノリコはどうしてもイザークに自分を見てもらいたくて……
 笑顔を見せたくて、笑顔でお別れしたくて――彼の袖を掴んで、引いていた。
 けれど……
 イザークは何も言わず、ノリコを見もせずに――振り解いていた。
 二人の様子を、ノリコの世話を頼まれた女性は、黙って見ている。

 ――……なにも、振り解かなくたって……
 
 イザークの所作に、目頭が――熱くなってくる。

 ――元気に明るくお別れ言って
 ――ふっきるつもりだったのに……

 苦しくて、堪えられなくなってくる。

 ――イザークはもう、あたしのことに関心がないんだ

 泣きたくなかったのに、見せたかったのは笑顔だったのに――イザークに……
 見てもくれない、言葉も碌に掛けてくれない彼に、彼の後姿に、どうしても堪えきれず、涙が溢れてくる。
 
 イザークが、行ってしまう……
 その背が少しずつ、遠去かって行く。
 ノリコは、ただ見て欲しくて、ちゃんとお別れがしたくて、涙に潤むイザークの姿を見詰め続けた。

 不意に――
 彼女の想いが通じたのだろうか……イザークが……

 ――ふり向いて、くれた
 
 見てくれていたのは、僅かな時間。
 彼は、ノリコから視線を外し、また、歩き始めた。

   *************

 ――もう……
 ――何年も前のような気がする

 ――樹海でノリコと出会った日
 ――おれがずっと恐れを抱き
 ――消し去るつもりだった【目覚め】は
 ――何も知らぬ女の子だった

 ノリコに背を向け、歩きながら想うイザークの頭の中に、止め処なく蘇ってくる。
 異世界の服を着たノリコの姿――泣き崩れる、華奢な彼女の姿が。

 ――どうしたものか困り果て
 ――途方に暮れて……
 ――先の見えぬ不安を抱えながら
 ――とうとう今日まで連れ歩いてしまった

 樹海の地下、流れる川。
 暗い洞窟の中、外への出口を求めて歩いた。
 崖の足場のような道、落ちた先での盗賊の頭との戦い。
 そして、カルコの町での出来事……
 二人の旅、道中での言葉の勉強。
 街での買い物、怪物に襲われた山、地元の民と一緒に一夜を過ごした小屋の中……
 これまでの、ノリコと過ごした日々が、蘇っては消えてゆく。

 ――だが、それももう終わりだノリコ
 ――やっと離れられる

 ――おまえはおれに
 ――おれの望まぬ運命を齎すかもしれない……
 ――だからもう会わない
 ――会わない方がいい……

 イザークの瞳に映るのは、彼女の笑顔……
 これまで何度も見せてくれた、ノリコの屈託のない、一片の曇りもない、安心しきった笑顔……

 ――だが

 ――何だろう、この胸の痛みは

 ――おれの、この感情は……

 ――ひどく……

 ――つらい……

   *************
 
 遠くなってゆくイザークの背中……
 ノリコは見えなくなるまでずっと、見送っていた。

 ――イザーク、振り向いてくれた

 まだ、少しでも、自分に関心を持ってくれていた――振り向いてくれたのはその証拠……ノリコはそう思う。
 服の袖で涙を拭うノリコの肩を、彼女を預かってくれた女性がポンと、叩いてくれる。
「元気だしなよ」
 優しく、微笑みながら言ってくれる言葉に、ノリコも笑顔を返した。