彼方から 第二部 第三話
彼方から 第二部 第三話
「濁り黄酒を」
「あいよ」
人々が、一時の憩いを求めて集まる酒場。
イザークはカウンターに一枚の硬貨を置き、酒を注文していた。
――まいったな……
眼の前に置かれる酒。
イザークはその酒を、頬杖を突き、合わぬ視点で見詰めている。
――ノリコのあの顔が
――頭から離れん
去り際、振り向いた時。
眼にしたノリコの泣き顔。
ただ、涙を零し、大きな瞳で自分を見ている彼女の顔が、焼き付いて離れない……
「よっ、男前、昼間っからえらく強い酒、頼むじゃん。飲めんのォ、若いのに」
「あ、飲んでる、無理してんじゃないかァ」
天井から、篝火が吊るされている店内。
すでにほろ酔い状態の二人連れの客が、年に似合わぬ強い酒を注文したイザークに興味を持ったのか、そう声を掛けてくる。
――早く、忘れなくては
だが、イザークの意識は、見も知らぬ酔っぱらいになど、向いてはいなかった。
酒を口にし、浮かない表情のまま、頬杖を付いた手を額へと、当てている。
――ようやく、厄介者から解放されて
――もとの生活に戻ったというのに……
イザークは瞼を閉じてゆく。
――無事でやっているだろうか……あいつ
――別れる時、もっと声を掛けてやるべきだったろうか……
厄介者から解放されて――そう思いながら、イザークはノリコを案じている。
自身の彼女に対する所作を思い返している。
――あいつの顔を見るのが辛くて
――逃げるように出てきた気がする……
何故そう思えるのか、何故、そう感じるのか……
どうして、別れ際に見た彼女の顔が、未だに頭から離れないのか――
その答えを、今のイザークはまだ、持ち合わせていなかった。
*************
「なあ」
「一緒に遊んでやろうかってんだよ」
にやけた笑みを貼りつかせ、ここが街の外れであることを示す外壁にいるノリコを囲む四人の男たち。
口調は荒っぽいが、物言いは柔らかい。
だが……
――やだ、この人達……
――なんだか、すごくやな感じがする
当然だが、この街に来たばかりのノリコにとって、全員、初めて見る者たちばかりだ。
初対面の人に対して、多少は誰しもが警戒心を持つのは当然のことだ。
それが、複数人もいれば尚のことだろう。
だが――彼女がそう感じたのは、知らない人に対する警戒心とはまた別の……直感的な何か……そんな感じがする。
あるいは単に、彼らが漂わせている雰囲気、その物腰や表情からだろうか……
いずれにしても、彼女はその自分の感覚に従い、男たちを避けるように反対の方へと足を向けた。
「おいおい、何も逃げなくたっていいだろ」
「泣いてっから、ほっとけなくてさー」
大股で、速足で歩き、なるべく男たちから距離を置こうとするノリコ。
だが、それしきのことで見逃してくれるような輩たちではなかった。
「ほら、訳を聞かしてみ?」
親切ごかしでそう言いながら追い駆け、ノリコの腕を取ってくる。
「も……もう、泣くしない、ほっとく」
すぐに、取られた腕を取り返すノリコ。
しかし――
「おっ、可愛いじゃん、片言じゃん」
「こりゃ、大陸の女じゃねーなァ」
彼女の覚えたての片言言葉は、男たちの興味を一層、惹いてしまったようだ。
「珍しいぜこりゃ」
「そういや顔立ちがちょっと違うもんな」
「へへへ、こいつ、怖がってるぜ」
ドキドキしながら、囲んでくる男たちを見回し、身を守るように、ノリコは荷物を抱え込んでいる。
――やだ、しつこいよォ
「別に、なにもしねえよ、な?」
肩に置かれた手にドキッとする。
困り、眉を潜め、ノリコはその手を見やる。
「そうとも、本気で心配してやってんだぞ、そう恐がられちゃ、おれ達傷つくなァ」
押しつけがましい親切心を口にしてくる男たち。
――本当かな……
――もし本当に心配して声掛けてくれてるんだったら
――こんな態度取ってて悪いけど……
控えめな考え、態度は、ノリコの美徳かもしれないが、それは時と場合と相手による。
態度も雰囲気も言っていることも、男たちは押し付けがましく、やましい考えが見え見えである。
元来、あまり人を疑うような性分ではないノリコだが、流石に『女性』として、男たちのやましい考えを少しは感じているのだろう。
だが、それでも、男たちの上辺だけの言葉を『本当かな』と思い始めてしまう。
身の危険が伴うというのに……
男たちの言葉に立ち止まり、振り向いてしまう――
瞬間、ノリコはギョッとして、体を硬直させた。
その瞳に映ったのは、霞のような影――
薄らと、男たちの頭上に浮き、漂い、眼のようなものまで見える。
慌てて、反対側にいる男たちの方も確かめてみる。
「どした?」
彼女の不審な動きに、キョトンとして訊ねている男。
彼らには見えていないのだろうか……やはり、同じような影が懸かっているというのに。
虚ろな、どこを見ているのか分からないような目を持つ影……
――何……?
――あの影……
――こわい…………
恐らくそれが、ノリコが感じた『すごくやな感じ』の正体――
何故だか、彼らには見えていない。
――やっぱり、この人達は危険だっ!!
「あっ!!」
賢明な判断だった。
ノリコは男たちから――男たちに纏わりつく影から逃れるべく、一気に走り出していた。
「逃げやがったぜ!」
「つかまえろ!」
ノリコが逃げたことで、彼らの本性にスイッチが入ったのだろう。
それは、『狩り』を愉しむかのような言動。
彼らにとって、ノリコは珍しい小動物。
か弱く、逃げる事しか出来ない、追われる立場の獲物……
へらへらとした笑みを貼りつかせたまま、彼らはノリコを――獲物を追い駆けはじめた。
――来ないで
そう、ノリコは逃げるしかない。
――恐いよイザーク
彼と離れ離れになっている今、ノリコは身を守るために、走って逃げるしかないのだ。
―― イザークッ!! ――
恐さから眼に涙を溜め、心の中で必死に彼の名を呼び、救けを求める……
彼に――今は、どこにいるのかも分からないイザークに……
*************
頭の奥、何の前触れもなく、イザークはそれを感じた。
思わず眼を見開くほどの、感覚。
「ん? どした?」
未だ、見知らぬ酔っぱらい二人に、隣に着かれているイザーク。
不意に後ろを見やる彼に、酔っぱらいはそう声を掛けていた。
「声が……」
後ろを見たまま、イザークは訊かれたままに、返していた。
「あ、そりゃ幻聴だ。はえーな、酒の回りが、今飲んだとこなのに」
もう一人の酔っぱらいが、そう決めつけてくる。
「…………」
勿論、イザークの顔に、酔いの兆候など微塵も現れてはいない。
――ノリコの声がした
先ほど感じたのはそれだった。
――気のせいか?
――あいつのことなど、考えていたから……
一瞬のことだった故か、『ノリコの声』がしたと、ハッキリそう思いながら、気のせいかという思いも拭えない。
「濁り黄酒を」
「あいよ」
人々が、一時の憩いを求めて集まる酒場。
イザークはカウンターに一枚の硬貨を置き、酒を注文していた。
――まいったな……
眼の前に置かれる酒。
イザークはその酒を、頬杖を突き、合わぬ視点で見詰めている。
――ノリコのあの顔が
――頭から離れん
去り際、振り向いた時。
眼にしたノリコの泣き顔。
ただ、涙を零し、大きな瞳で自分を見ている彼女の顔が、焼き付いて離れない……
「よっ、男前、昼間っからえらく強い酒、頼むじゃん。飲めんのォ、若いのに」
「あ、飲んでる、無理してんじゃないかァ」
天井から、篝火が吊るされている店内。
すでにほろ酔い状態の二人連れの客が、年に似合わぬ強い酒を注文したイザークに興味を持ったのか、そう声を掛けてくる。
――早く、忘れなくては
だが、イザークの意識は、見も知らぬ酔っぱらいになど、向いてはいなかった。
酒を口にし、浮かない表情のまま、頬杖を付いた手を額へと、当てている。
――ようやく、厄介者から解放されて
――もとの生活に戻ったというのに……
イザークは瞼を閉じてゆく。
――無事でやっているだろうか……あいつ
――別れる時、もっと声を掛けてやるべきだったろうか……
厄介者から解放されて――そう思いながら、イザークはノリコを案じている。
自身の彼女に対する所作を思い返している。
――あいつの顔を見るのが辛くて
――逃げるように出てきた気がする……
何故そう思えるのか、何故、そう感じるのか……
どうして、別れ際に見た彼女の顔が、未だに頭から離れないのか――
その答えを、今のイザークはまだ、持ち合わせていなかった。
*************
「なあ」
「一緒に遊んでやろうかってんだよ」
にやけた笑みを貼りつかせ、ここが街の外れであることを示す外壁にいるノリコを囲む四人の男たち。
口調は荒っぽいが、物言いは柔らかい。
だが……
――やだ、この人達……
――なんだか、すごくやな感じがする
当然だが、この街に来たばかりのノリコにとって、全員、初めて見る者たちばかりだ。
初対面の人に対して、多少は誰しもが警戒心を持つのは当然のことだ。
それが、複数人もいれば尚のことだろう。
だが――彼女がそう感じたのは、知らない人に対する警戒心とはまた別の……直感的な何か……そんな感じがする。
あるいは単に、彼らが漂わせている雰囲気、その物腰や表情からだろうか……
いずれにしても、彼女はその自分の感覚に従い、男たちを避けるように反対の方へと足を向けた。
「おいおい、何も逃げなくたっていいだろ」
「泣いてっから、ほっとけなくてさー」
大股で、速足で歩き、なるべく男たちから距離を置こうとするノリコ。
だが、それしきのことで見逃してくれるような輩たちではなかった。
「ほら、訳を聞かしてみ?」
親切ごかしでそう言いながら追い駆け、ノリコの腕を取ってくる。
「も……もう、泣くしない、ほっとく」
すぐに、取られた腕を取り返すノリコ。
しかし――
「おっ、可愛いじゃん、片言じゃん」
「こりゃ、大陸の女じゃねーなァ」
彼女の覚えたての片言言葉は、男たちの興味を一層、惹いてしまったようだ。
「珍しいぜこりゃ」
「そういや顔立ちがちょっと違うもんな」
「へへへ、こいつ、怖がってるぜ」
ドキドキしながら、囲んでくる男たちを見回し、身を守るように、ノリコは荷物を抱え込んでいる。
――やだ、しつこいよォ
「別に、なにもしねえよ、な?」
肩に置かれた手にドキッとする。
困り、眉を潜め、ノリコはその手を見やる。
「そうとも、本気で心配してやってんだぞ、そう恐がられちゃ、おれ達傷つくなァ」
押しつけがましい親切心を口にしてくる男たち。
――本当かな……
――もし本当に心配して声掛けてくれてるんだったら
――こんな態度取ってて悪いけど……
控えめな考え、態度は、ノリコの美徳かもしれないが、それは時と場合と相手による。
態度も雰囲気も言っていることも、男たちは押し付けがましく、やましい考えが見え見えである。
元来、あまり人を疑うような性分ではないノリコだが、流石に『女性』として、男たちのやましい考えを少しは感じているのだろう。
だが、それでも、男たちの上辺だけの言葉を『本当かな』と思い始めてしまう。
身の危険が伴うというのに……
男たちの言葉に立ち止まり、振り向いてしまう――
瞬間、ノリコはギョッとして、体を硬直させた。
その瞳に映ったのは、霞のような影――
薄らと、男たちの頭上に浮き、漂い、眼のようなものまで見える。
慌てて、反対側にいる男たちの方も確かめてみる。
「どした?」
彼女の不審な動きに、キョトンとして訊ねている男。
彼らには見えていないのだろうか……やはり、同じような影が懸かっているというのに。
虚ろな、どこを見ているのか分からないような目を持つ影……
――何……?
――あの影……
――こわい…………
恐らくそれが、ノリコが感じた『すごくやな感じ』の正体――
何故だか、彼らには見えていない。
――やっぱり、この人達は危険だっ!!
「あっ!!」
賢明な判断だった。
ノリコは男たちから――男たちに纏わりつく影から逃れるべく、一気に走り出していた。
「逃げやがったぜ!」
「つかまえろ!」
ノリコが逃げたことで、彼らの本性にスイッチが入ったのだろう。
それは、『狩り』を愉しむかのような言動。
彼らにとって、ノリコは珍しい小動物。
か弱く、逃げる事しか出来ない、追われる立場の獲物……
へらへらとした笑みを貼りつかせたまま、彼らはノリコを――獲物を追い駆けはじめた。
――来ないで
そう、ノリコは逃げるしかない。
――恐いよイザーク
彼と離れ離れになっている今、ノリコは身を守るために、走って逃げるしかないのだ。
―― イザークッ!! ――
恐さから眼に涙を溜め、心の中で必死に彼の名を呼び、救けを求める……
彼に――今は、どこにいるのかも分からないイザークに……
*************
頭の奥、何の前触れもなく、イザークはそれを感じた。
思わず眼を見開くほどの、感覚。
「ん? どした?」
未だ、見知らぬ酔っぱらい二人に、隣に着かれているイザーク。
不意に後ろを見やる彼に、酔っぱらいはそう声を掛けていた。
「声が……」
後ろを見たまま、イザークは訊かれたままに、返していた。
「あ、そりゃ幻聴だ。はえーな、酒の回りが、今飲んだとこなのに」
もう一人の酔っぱらいが、そう決めつけてくる。
「…………」
勿論、イザークの顔に、酔いの兆候など微塵も現れてはいない。
――ノリコの声がした
先ほど感じたのはそれだった。
――気のせいか?
――あいつのことなど、考えていたから……
一瞬のことだった故か、『ノリコの声』がしたと、ハッキリそう思いながら、気のせいかという思いも拭えない。
作品名:彼方から 第二部 第三話 作家名:自分らしく