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自分らしく
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彼方から 第二部 第四話

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「ウソじゃない……少々無理をしただけだ」
 バラゴの悪態にそう返すイザークの息は、確かに上がっている。
「どうした! 殺るがいい! わたしが許すっ!!」
 どれだけ血が見たいのか……ナーダはお気に入りの近衛だと言うバラゴの命でさえ、見せ物として愉しもうとしている。

 ――なるほど、あれだけで息が上がっている
 ――だが……
 イザークの言葉に、風使いの男が納得しつつ、だが、またしてもバラゴを軽く往なしたように見えるその動きに、懸念を抱いてゆく。

「かの御方がああ言ってるが、あんた死にたいか?」
 剣先を微動だにさせずに、バラゴに向けたまま、イザークはそう訊ねた。
 無言で、首を振るバラゴ。
 イザークは静かに、剣先を降ろした。
「じゃあ、やめておこう」
 その所作に、バラゴは信じられないとでも言うような眼を向ける。
「あんたを人質に抜け出そうかとも考えたが、どうやらそれは、無理のようだ」
「…………」
 薬で、鎖で、体と手足の自由を奪われながらも、少々無理をした程度で自分を往なしてしまった男の、イザークの言葉に、バラゴは言葉を失っていた。
 それが、ハッタリでも虚栄でもなく、出来る実力が伴っているからこその、言葉だと分かったからだ。
 もしもこの男が、自分を人質に取るつもりがなければ……
 自分や、他の近衛と同じように残酷な一面を持ち合わせていたなら……
 そして、ナーダの言葉に迎合していたなら……今ごろ、命は無かったかもしれない。

「ふんっ」
 バラゴを殺すことなく、剣を降ろしてしまったイザークに、詰まらなさそうに鼻を鳴らし、
「まあいい、おまえは今、バラゴに完全に勝ったのだ。いい試合だったぞ、褒美に金一袋をやろう」
 身分だけが高い言葉を発してくる。
「改めて言う、二日後――この城で、我がコレクション達を集めて御前試合を行おうと思う。どうだ、きさま……その頃なら毒も抜けていよう?」
 無言で静かに自分を見やるイザークに、ナーダはそう、話を持ちかけた。
「勝ち抜けば、金20袋と近衛最高士官の地位を与える。欲しいとは思わんか? その腕、生かしてみぬ手はあるまい?」
「その地位とやらはいらん」
 考える間もなく、イザークは即答していた。
 次期国王と言われている王族が与える地位……
 それに興味を示さない者などいない、欲しがらぬ訳がない――それが当たり前だと思い込んでいる様が、ナーダの言葉から滲み出ている。
 故に、『いらん』と即答したイザークに、ナーダは不思議なモノでも見るかのような視線を送る。
「だが、代わりに自由にしてくれると言うなら、大人しくあんたの言うことを聞こう。悪くない話だ」
 視線を外し、イザークはナーダにそう返す。
「いいだろう、名を聞いていなかったな」
 彼の言葉にほくそ笑み、提案を受け入れるナーダ。
「イザーク」
 その笑みを見やり、彼は端的に名を返していた。
「侍従頭! この者を本館の牢に移せ! 鎖はまだ外すなっ!」
「はっ!」
 後ろを見やり、そう命じるナーダの眼に映る。
 イザークの向かいの牢に捕らわれている人物の姿。
 ナーダは静かに歩み寄り、その人物の眼の前に立ち止まった。
「これはジェイダ――『もと』左大公」
 冷ややかに、『もと』という単語にイントネーションをつけ、ナーダは見据える。
 牢の中のジェイダも、ナーダを見ている。
 哀しげに……
「ああしてはいけない、こうしてはいけない……お前はいつも口うるさかった」
 まるで、足下を這いずる虫でも見るかのような眼つきで、ナーダはジェイダを見ている。
「そうだ、例の催しにはおまえ達も招待してやるぞ、臆病なおまえは、血を見るのが何より嫌いであったな」
 嫌がらせなのだろう、今まで、王族であり、次期国王たる身分を持つ自分に口煩く言ってきた彼に対する……
 何より嫌いなものを見せることで、腹癒せをしようという、性根の曲がった器の小さい男。
 ジェイダが血を見るのが嫌いなのは、『臆病』だからではないということに、ナーダは気づきも、考えもしない。
「ナーダ様……」
 自分の悦楽を満足させることにしか興味を示さないナーダを、今のジェイダは、哀しげに見ることしか出来なかった。

「さて! わたしはこれからまた、町に出る。後の準備は任せるぞ! オルネ! カイダール! ついて来い!」
 用は済んだとみたのか、ナーダは上着の裾を翻し、共をさせていた三人の近衛の内の二人の名だけを呼んだ。
 イザークに毒を見舞った栗毛の男――カイダールと、金髪の男、オルネ。
「ふふん、もはや、ナーダ様のお声が掛からなくなりましたな、バラゴ殿」
 侍従頭が、まだイザークの牢の中にいるバラゴを鼻先で笑い、そう言い捨てる。
 チヤホヤされたのは、ナーダのお気に入りでいる間だけ。
 かの御方に見放されれば、それで終わりである。
「…………」
 その、あからさまな手の平返しに、バラゴは言葉も出ない。
 イザークはそんな彼を一瞥し、歩き去るナーダの後ろ姿に視線を向けた。

   *************
 
「ナーダ様、本気であの男に褒美をやる気ですか」
 オルネと呼ばれた男が、城の庭園の中をナーダの後ろに付いて歩きながら問い掛けている。
「ああ、勝てればの話だがな」
「しかし……」
 ナーダの返しに、オルネはどうやら納得がいかないようだ。
 カイダールは、先ほどのバラゴに対抗したイザークの動きを見て感じた不審な思いを抱え、考え、黙りこんでいる。

 ――あの毒にやられて、次の日に
 ――あそこまで動けるなんて奴は初めてなのだ

 自らの毒の効力を、その威力を熟知しているからこその懸念だろう。

 ――しかも、あの高さから落ちて
 ――どこも痛めた様子がないなんて……

 実際に眼にした者だからこその疑念――
 カイダールは、イザークの未知の強さに懸念を拭うことが出来ずにいる。
「あ……あんな無礼な奴に、なんで……」
「勝てればの話だと言っておろう」
 納得の出来ないオルネが、尚もナーダに言葉を重ねる。
 そのオルネに、ナーダは事も無げにそう返していた。
「明日の第一試合はな、正式な試合の前の、ちょっとしたお遊びよ」
 そして、二人に背を向けたまま、そう続ける。
 ナーダの言葉に、二人は、何かあると……気づく。
「たった一人が、17人の男と戦うのだ」
 そう言って振り向くナーダの眼は、これならどうだ?と、二人にそう問いかけているようだ。
「あ……」
「あ」
 ただ普通の試合を、させる訳ではなかった。
「ふふ、奴の驚く顔が目に見えるようだ」
 自らの案に、満足げな笑みを見せるナーダ。
「すぐに倒してしまっては詰まらんぞ? あの生意気な顔が、恐怖と絶望に歪み、這いつくばってわたしに命ごいをするまで、じっくり遊んでやれ」
 命令を無視し、与えると言った地位すらも拒んだ男。
「さぞかし、見ものであろうて……」
 愉悦に歪んだ顔で、高笑いを響かせるナーダ。
 王族たる者の命に背き、敬意も表さぬ無礼な男イザークに、ナーダはこれ以上は無いと思える残酷な舞台を用意し、その不様な様を思い描いていた。
 血塗れで地に倒れ伏す、無残なイザークの姿を……