彼方から 第二部 第四話
大きな樹の幹に背を預け、暫しの眠りについていたエイジュがフッ――と、顔を上げた。
――『二人……』
――『繋がる……』
微かな痛みと共に、あちら側がそう伝えてくる。
心なしか、嬉しそうに感じる伝わり方に、エイジュは眉を潜めた。
今まで、あちら側が伝えてくる情報に、感情が混じったことなどなかったのだ。
いや、そもそも、あちら側が『感情』を持ち合わせているのかも怪しいものなのだが……
――繋がる……?
意味が分からなかった。
だが、その問いに対する応えは、あちら側からは齎されない。
朝陽を浴び、エイジュは立ち上がると濡れて重い上着を脱いだ。
軽く絞り、ある程度の水分を落とす。
一振り、パンッ! と、はためかせると、まだ濡れているのも構わずに袖を通した。
「さて……」
昇る朝陽とは反対の方を見やり、髪の毛を纏めている糸を解いた。
背中の真ん中ほどにまで伸びている髪は解かれ、腰の下辺りにまでその毛先を落とす。
含んだ雨水を手で絞り落とし、エイジュは再び髪の毛を結び直した。
今の、あちら側の言葉で、二人はとりあえず無事なのだということは分かった。
あとはその姿を視認し、集まっている光たちを、そして二人を、護らなければならない。
何からどう護れば良いのか……それは恐らく、白霧の森まで行かなければ、あちら側は何も伝えて来はしないだろう。
エイジュは荷物を肩に背負い、軽く息を吐くと地面を蹴り、再び走り出した。
*************
ノリコとの通信の余韻が、まだ残っている。
イザークは眉を潜め、目線だけを牢の外へと、鉄柵の向こうへと向けた。
「ふふふ、どうした、元気がないな下郎。わたしの命令に逆らったら、どんな目に遭うか、思い知ったか?」
まだ、座り込んだままのイザークを見て、これ見よがしにそう言ってくるナーダ。
「わたしはナーダ。次期国王なのだぞ、知らなかったようだな、うつけ者が」
扇を口元に当て、まだ決まってもいない地位を、自慢げにひけらかしてくる。
「どうだ、これでわたしの偉大さと、己の愚かさが分かったであろう!」
何を以って愚かと評するのか。
身分が高ければ、『偉大』なのだろうか……
何も、自らの力で成し得たものは無い。
ただ、王族に生まれたというだけだと言うのに。
――この
――大あほうが
イザークは満足気に高笑いをするナーダを見据え、そう断じた。
世の全てが、我が、侭になると信じて疑わぬ『次期国王』に対してなのか、それとも――ノリコとの通信を、打ち切られたことに対するものなのか……
あるいはその両方か。
「さあ、わが命に従え! その力と技を、試合によってわたしに見せるのだっ!」
警備兵の他、数人の男たちを従え、ナーダはイザークにそう命じている。
だが、イザークの反応は……
――しかし……
――ノリコの姿まで捉えることが出来るとは思わなかった
「昨日、バラゴを突き飛ばした力は、人並み外れておったな。おまえの戦いぶり、気に入ればわたしの近衛隊に入れてやるぞ」
――彼女の後ろに人影が見えたが
――見知らぬ男と子供の姿
――そしてもう一人
――あれはガーヤだった
「見よ、今、この3人他、総勢17名。そうして集めたわたしのコレクションだ、いずれ劣らぬ強者ぞろいよ」
自分の後ろに控えている男三人、バラゴ、毒を見舞った男、そしてもう一人を、自慢げに見せびらかすようにしている。
――状況は分からないが
――少なくとも、無事でいてくれたのか……
「きーとるのかっ!! きさまっ!!!」
全く自分を見ようとも、話に耳を傾けようとも、興味の欠片すら見せようともしないイザークに、とうとうナーダはキレて、怒鳴りつけていた。
あからさまにムッとした表情を見せ、仕方なさそうにナーダの方を向くイザーク。
「後ろの栗毛にもらった毒が、体に残っていて力が出ない。試合など、出来る状態ではない」
ナーダに対し、敬意もへったくれもない態度で返している。
イザークの言葉に、ナーダは自分の後ろにいる、彼に毒を見舞った男を思わず見やった。
「一日もすれば、元に戻りますよ」
ナーダの視線に、栗毛の男はそう応えている。
彼の言葉に、酒場でイザークにしてやられたバラゴが、にやりと、厭らしい笑みを浮かべた。
「ナーダ様」
「バラゴ」
「こやつどうも、自分の立場と言うものが分かっていないようです。あの生意気な、無礼を無礼とも思わぬ様子」
「うむっ、いかにも」
「少々、教えてやらねばならないのでは?」
その眼に宿るのは、イザークに対する報復。
大衆の面前、ナーダの面前で恥を掻かされた事に対する、腹癒せ。
昨日とは違い、今の彼なら、思いのままに叩き伏せることが出来る……そう踏んでのことだろう。
イザークの牢の扉が、静かに開かれる。
そして、甲高い金属音と共に、再び扉は閉じられた。
バラゴを牢の中へと、送り込んで……
「ナーダ様に頭下げな」
腰を下ろしたままのイザークに、バラゴは居丈高にそう命令する。
だが、イザークは彼の言葉も彼自身も、意に介さない。
横目で見やるだけだ。
「床に額、擦り付けてなっ!!」
バラゴはいきなり、イザークの髪の毛をバンダナごと掴むと、そのまま床に、力任せに叩き伏せた。
「さっきから見ていれば、たかが一介の渡り戦士が! 貴き身分の御方を前に何たる態度! きさまなど、このきたねー床と同じ! 踏みつけられても文句は言えねぇクズなんだぞっ!!」
彼が身動きとれぬよう背中の上に片膝を乗せ、頭と肩を手で押さえつけ、全体重で圧し掛かり、床にイザークの顔を押し当ててゆく。
ギシッ……と、彼の体が軋む音が聴こえそうなほどだ。
「重いだろうが……」
静かに、イザークの四肢に力が籠められていく。
「気安く人の上に乗っかるなっ!!」
「うおっ!?」
イザークは一気に、全体重を乗せて押さえつけているバラゴごと、自らの体を起こしていた。
バラゴに掴まれたバンダナが落ちてゆく。
成す術もなく、バラゴはイザークの体から振り落とされていた。
「こ、この野郎……」
すぐさま起き上がり、
「昨日まぐれでおれ様に勝ったからって、いい気になりやがってっ!!」
バラゴはもう一度、イザークに掴み掛ってゆく。
自由にならない手足――イザークはバラゴとの間合いを見計らい……
――ガキッ!
「がっ!!」
向かってくるバラゴに頭突きを食らわしていた。
「おっ!」
薬で儘ならない体で、手足の自由までも奪われている中での反撃に、ナーダは思わず身を乗り出して、行く末を見守っている。
イザークは頭突きでバラゴが怯んだ隙に、彼の腰に収まっている剣を、左手で抜き取っていた。
そのまま逆手で構え、バラゴに剣先を突き付ける。
「わあっ!」
「いいぞ! 殺れいっ!!」
血の惨劇と化すのを心待ちにしているのか、ナーダの顔は興奮で色付いてゆく。
「この……ガキ……力が出ないなんてウソつきやがって」
突き付けられた剣先に体を震わせ、バラゴはそう悪態を吐く。
作品名:彼方から 第二部 第四話 作家名:自分らしく