BLUE MOMENT5
「私の工房は知っての通り、みんなの部屋よりも大きいだろう? 二部屋以上を取っているからね。それでね、みんなが使う普通の部屋の半分くらいの大きさなんだけど、隣に空き部屋があるんだよ。そこを君に提供しよう」
「でも……」
「さいわい座に戻ったサーヴァントもいて、部屋は空いている。誰かに我慢をさせているわけではないから、君の好きに使っていいよ。それから、エミヤとは出くわさないように配慮する。部屋のロックは君の生体認証にしておくから、誰も入ることができない。食事も私が調達してあげるさ。それで、少し君は自分と向き合うんだ」
「向き……合う?」
「そう。君はどうにもエミヤを全面的に享受してしまっている。エミヤの言うがままにしていなくてはならないと、なんの疑いもなく思っているだろう? そうではなく、君がどうしたいか、君はエミヤとどう関わっていきたいか、それを冷静になって考えてみなさい」
「そんなの――」
「空いている部屋は、私の工房と扉一枚で繋がっている。外に出ることなくここに来ることができるんだ。君にはしばらく私の助手をしてもらおう。食事もここに運んで、朝から晩までコキ使ってあげるから、覚悟していたまえ。もちろんここには、私の許可がなくては、誰も入ることはできない。マスターである立香くんもだ。だから、安心してくれていいよ」
士郎くんが否定的な言葉を吐く前に、のべつ幕無しで説明を続けた。私の言葉の勢いに圧されたのか、士郎くんは口を閉ざし、驚いたように目を瞠っていた琥珀色の瞳は、やがて滲んでいった。
「……ごめん…………ダ・ヴィンチ、ごめん……」
「謝ることなどないさ。それに、何を泣くことがあるんだい? そんなに辛かったのかい?」
「ちが……ちがう、俺は、全然……ダメで…………」
「そんなことはない。君は少し不器用なだけだ。それからエミヤもね。だからね、二人とも少し冷静になろう。今はどうしたって気持ちが先走ってしまうんだろう? それで君はどこにも行けなくなってしまったんだね……。大丈夫。今は立ち止まっていても、いずれ歩き出せるようになるよ、必ず。だから、士郎くん、ここに居たくないなんて、言わないでほしいな……」
「……っ……ごめ…………」
士郎くんは寝台に座ったままで蹲るように背中を丸めて泣いていた。おそらく、ずっと堪えていたものが溢れてしまったのだろう。
「俺……どうして…………好きになんて……なったんだろう…………」
その上、後悔するように、自分の想いを否定しようとしているようだ。
そんな悲しいこと、言わないでほしい……。誰かを想う気持ちは、どんなに時を経ても褪せることのない、人間の善性だというのに……。私まで苦しくなってしまうよ、本当に。
手を伸ばして、背中をさすってあげようと思ったけれど、士郎くんは他人に触れられることをひどく警戒している。
伸ばしかけた手を引っ込めた。しゃくりあげる度に背中が震え、なんとも痛々しい。
(エミヤなら、どうするだろう……)
こんな士郎くんを目の当たりにした彼は、きっと息が詰まるほど抱きしめるに違いない……。
(私はエミヤではないからね……。君を抱きしめて甘やかすことができないよ……)
ロマンを失った寂しさが去来する。彼を留められなかった自分の不甲斐なさが、後悔が、今も私の胸を締めつける。
(とてもせつないよ、士郎くん……)
思い出させないでくれたまえ。私だって、いまだ人の感情というものを持ち合わせているのだよ。天才だといっても、英霊だといっても、私は人であったものだ。だから、哀しみもするし、悦びもする。
(泣かないでほしいな、君には……。このカルデアで笑っていてほしいと、今、真にそう思うよ……)
子供のように泣き続けるものの、士郎くんは大声を上げるわけではない。これは、噎び泣く、というのが正解か。大声を上げたって外に漏れるわけではないのだし、私はいっこうにかまわない。
(けれど、いい大人がわんわん泣けない、とでも思っているんだろうねえ……)
士郎くんはいつも気を遣っている。周りが不快にならないようにと、気を張っていると思う。
(自分自身を抑えることばかりで、彼は、いつどこで発散するんだろう……?)
少し士郎くんのことが見えてきた気はするけれど、その攻略方法を思いつけないでいる。
(どうやって彼を……)
私が思案を続けている間に、いつのまにか寝入ってしまった士郎くんを横にしてあげた。いまだ涙を残す目尻を拭ってやれば、その顔色は悪く、明らかに疲れきっているのがわかる。
「さて……、どうしたものかなぁ……」
士郎くんを保護したからといって、エミヤを一概に責めるわけにもいかない。士郎くんにも非があるし、これは二人の問題だ。けれども、私は先に士郎くんに手を差し伸べてしまった。
こうなっては仕方がない、私も腹を括ろう。
けれど、ここに匿っていても、バレるのは時間の問題だ。
(その前に士郎くんを……)
ちょうどいい案件があることを思い出した。
(士郎くんには、少し酷かもしれないけれど、適任といえば適任だ……)
私は所長代理としての冷静な判断で、士郎くんに任務を課そうとしている。
きっと彼は断らない。それがわかっていて……。
(けれど、エミヤが私に辿り着くのは時間の問題だ。あまり悠長なことは言っていられない)
まあ、士郎くんも、子供じゃないんだ、仕事となればきちんとこなすはず。
(真面目だからね、エミヤともども……)
すぅ、と士郎くんが穏やかな寝息を立てていることに思わず頬が緩んだ。その寝顔はとても大人の男とは思えない。
小さな子供にするように、士郎くんの柔らかい髪を撫で、成人しているとは思えない“未熟な少年”の傍らで、私はその夜を明かすことにした。
BLUE MOMENT 5 了(2019/4/5)
作品名:BLUE MOMENT5 作家名:さやけ