彼方から 第二部 第五話
彼方から 第二部 第五話
眩い朝日の中。
髪を下ろした軽装のアゴルが一人、建物の塀を飛び越えてゆく。
『闘技屋の奥へ入ってごらん』
事も無げに地に降り立ち、アゴルはガーヤの言葉を思い返していた。
『そこに、青乱隊の連中が溜まっているはずだから』
闘技屋の入り口は酒場になっており、酒を飲むだけの客も勿論いる。
そのまま奥に進むと闘技場への入り口があり、更に奥には例の、青乱隊が屯している部屋があった。
酒場は、試合を見物する者、賭けをする者、闘士として参加する者たちの玄関口となっている。
闘技屋は、闘技場と酒場ある建物を本館とし、青乱隊が出入りを許されている建物は別館として、中庭を挟むようにして建てられている。
その別館と本館は、中庭をぐるっと囲んでいる渡り廊下で繋がっていた。
アゴルは本館と中庭を隔てる塀を飛び越え、その中庭に降り立っていた。
ガーヤの言う別館からは確かに、複数の人の話し声や笑い声が聴こえてくる。
『週に二度、あそこで試合があるけど
彼らは無料で見物できるようになってるんだ
試合前には全員、その部屋に集まっているはずだよ』
闘技屋という場のせいか、一獲千金を求めて集まる闘士や、青乱隊と言うチンピラ紛いの連中が、常に屯している。
そのような店に、侵入しようなどと考える輩など普通ならいるはずがないし、王位継承者の一人、ナーダご贔屓の店だということも、一役かっているだろう。
警備や見張りといった者の姿などはまるで無く、隊とは名ばかりの青乱隊の連中も、外を気にしている様子は全くない。
所詮は、寄せ集めの連中なのだと言うことがよく分かる。
アゴルは易々と、その建物への侵入を果たしていた。
「へへへ、今日はどんな奴が勝つかな」
ざわつく部屋、その外にまで声が漏れている。
最下級軍服を着ているだけの、素行不良の者たちの声が。
アゴルはその部屋のドアを、思い切り蹴り飛ばしていた。
――バターーンッ!!
不意の物音に、青乱隊の面々がギョッとして、顔を向ける。
「あ、きさまは……」
うちの一人が、開け放たれたドアの前に腰に手を当て立っているアゴルに気付き、椅子を鳴らして立ち上がった。
彼はそいつを見逃さなかった。
「ぎゃっ!」
その男が身構える間を与えず一気に詰め寄ると、テーブルに手を付き台にして跳び越し、蹴りを放っていた。
場にいた者たちが、一気にどよめき立つ。
アゴルは男が抜きかけていた剣をすかさず取り上げ、
「動くなっ!」
そう一喝すると、青乱隊の面々の動きを牽制し、
「ひ――」
蹴りをくれた男の腕を取り背中に回し動きを押さえ、その喉元に背後から、剣の刃を静かに当てていた。
「おれはこいつらに盗られたものを、返してもらいに来ただけだ」
手を出しあぐねいている面々に、アゴルはそう言い、見据え、見回している。
部屋の中は、椅子が散乱している。
テーブルは乱暴に動かされ、立ち回れるだけの広さが、いつの間にか確保されている。
だが、寄せ集めとはいえ、流石に仲間が人質に捕られては動きようがないのだろう。
腕に些か覚えはあるだろうが、連中は仕方なく、二人を遠巻きにして様子を窺っている。
「なあ、この剣も確か、おれンだったよな?」
人質に不敵な笑みを見せ、アゴルはそう呟いた。
喉元に当てられた剣を見やる男の額から、冷や汗が流れ落ちる。
アゴルに対して行った自分たちの所業を当然、覚えているのだろう。
盗られたものを返してもらいに来ただけだとは言っているが、内心、報復を考えているかもしれない。
同じ目に遭わせてやろうと、思っているかもしれない。
そんな風に考えているのだろうか、人質の男は、身動き一つ、言葉一つ発せずにいる。
アゴルはゆっくりと、視線を飛び掛かるチャンスを窺っている青乱隊の面々に向け、
「他にもあったよな、荷物はまぁいい……金に替えて返してもらおう」
そう言い放つ。
落ち着いた口調ながらも、声音には充分な圧が籠められている。
「それに、巾着に入った青い石――」
「へっ……あんなもの、もうとっくに…………」
細やかな抵抗を試みているつもりなのだろうか。
青乱隊の一人がアゴルの言葉を遮り、虚勢を張る。
途端にスッ――と、アゴルに捕えられている男の首に、血の筋が付けられてゆく……
「わあーーーっ!」
剣を当てられた者だけが分かる、背筋に悪寒の奔る刃の感触。
瞬間、『報復』という言葉が男の脳裏を過った――かも知れない。
「ばかやろーっ!! てめーさっき持ってただろうがっ、返してやれよっ! おらーっ、みんなもっ!!」
一気に顔面から血の気を引かせ、男は慌てふためいて仲間にそう怒鳴り散らしていた。
『さて、とはいえ、青乱隊がそこで幅を利かせているわけではない』
ガーヤの話にはまだ続きがあった。
『このザーゴの国、王位継承者の一人
ナーダ王子ご贔屓の闘技屋だから
店の者は青乱隊より、ランクが数段上になっている』
アゴルは、青乱隊が溜まっていた部屋を飛び出し、彼らを引き連れながら闘技屋の中を移動してゆく。
騒がしい足音を響かせ、渡り廊下を走り抜け、店の者がいる方へと、アゴルは逃げてゆく。
「ん? 何だ騒がし……わっ!!」
「おっ」
不意に廊下の角から姿を現したアゴルに、闘技屋の店の主人が驚き、声を上げ、思わず身構えている。
「丁度良かった御主人、お宅の若い者に絡まれて、まいっているんだ」
「え」
出くわしたのを良い事に、アゴルは店の主人の背後へと回る。
「散歩をしていたら、言い掛かりをつけられて……」
そう言って、主人をグッと、前に押し出す。
自分を追い駆けて、廊下を走ってくる青乱隊の方へと。
闘技屋の主人の眼に入ってきたのは、駆けてくる青乱隊の面々。
そこは、既に本館の中。
「な、なんだきさまら! こんなところまで入っていいと、誰が許したっ!」
彼ら、青乱隊が許されているのは、あくまで、闘技屋の奥の別館まで……
本館は、立ち入り禁止となっていた。
軍服を着用してはいるが、彼らが正式な軍の兵士でないことは誰もが知っている。
とはいえ、青乱隊は一応、国の役人からの命で動いている。
逆らえば面倒なことが待っているのが分かっているから、誰もが逆らわないだけだ。
その素行の悪さを知っているが故に、いくら出入りを許しているとはいえ、店としても表に出すことは憚られるのだろう。
店の主人と青乱隊が対峙している間に、アゴルはそっと窓に近寄ると、その外へ、下へと、取り返した金と巾着を落としていた。
「なんだよっ!」
「後ろの男が見えねぇのかっ! おれ達はくせ者を追っかけて……」
「これは! 今日の試合の出場者だっ!!」
主人の背後に堂々と立つアゴルを指差し、怒鳴りつける青乱隊に、店の主人もそう、怒鳴り返していた。
「え……」
その言葉に、彼ら青乱隊はただ目を見張り、言葉を失う。
『そして出場者に至っては
いつナーダの目に留まり、店の利益に繋がるか分からないので
とにかく試合が終わるまでは、一目置かれる立場にあるわけだね』
作品名:彼方から 第二部 第五話 作家名:自分らしく