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ハミングバード

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たった一言、それだけですべての均衡が崩れ去ってしまった。
予想もしていなかった展開に、一番動揺しているのは他ならぬ謙也自身で、あれ以来寄ってこなくなった後輩を遠目にちらちらと確認しては、何から言い訳すべきか考えている。

「また財前、怒らせたん?」

そんな状態が一週間も続けば、さすがに他の部員達も様子がおかしいことに気がつく。
もとより、学年の違う財前が謙也の隣に当たり前のように落ち着いていたことのほうがおかしいことなのだが、なんのかんのと言いながらも、財前は謙也に懐いていたようだったし、謙也も財前の世話を焼くのが好きだった。
わかりきっている、それくらい。わかっていた。あの距離が正しくて、居心地がよくて、ずっとそうあるべきだったのだ。
なのに、謙也は間違えてしまったのだ。

「ん、まあ……ちゅーか、なんも言わんから怒ってるのかはわからんのやけど、怒らせるようなことは、言った」
「ほんまにおまえらは懲りひんなあ。いっそ微笑ましいわ」
「なんでやねん」

大したことでもない、と判じたらしい白石は、いつものように笑う。ちゃうねん、あれは、いつもの喧嘩とちゃう。
というよりも、喧嘩ですらなかったのである。

「ほんで、何言うたん」
「や、普通に、」
「なんや、はっきりせんやっちゃなあ、なんやねん」
「普通に、やから喧嘩とかちゃうねん、つい、自分かわええなあ、て」
「は?」
「かわええ、言うた」

どうして一度で聞き取ってくれないのか。何度も繰り返すうちに、顔が赤くなるのがわかる。自分でわかるくらいだから、汗の流れるさままではっきり見える距離の白石が、気がつかないわけないのに。

かわいくない、とは何度も言った。本当に口が悪くて、態度も悪くて、先輩を先輩とも思っていない財前を、かわいくない、と事あるごとに叱りつけてきた。
もちろん気に入っているからにはそれだけじゃないことも知っていたし、感じ悪、と言いながらも財前が本当に嫌なやつではないと思っていたのは事実なのだが。

特別なことがあったわけじゃない。

英語の訳がうまいこといかん、前後の流れが繋がらない、とぶつぶつ言うので、どれ、とノートを覗きこんだら、財前は気に入らないと顔に出しながら、「謙也さんに勉強教わるとか末代までの恥や」と呟いた。
相変わらず口の減らないやつだ、と思うと短気な謙也は少しむっとしたが、セリフのわりに財前はノートを見やすいようにこちらに押しやり、謙也のアドバイスを素直に待つので。

ふ、と。

「自分、ほんまにかわええなあ」

なんて、考えてみたこともない言葉が口をついて出たのだ。

からかいたかったわけじゃない、と弁解しようとして、ちゃう、と言えば、財前は知ってます、と答えた。
その表情は謙也の見たことのないもので、財前は何に対して「知っている」と言っているのだろう、と謙也はそれはもう焦った。今思うと、何をそんなに焦る必要があったのかは謎だ。
そうじゃない、ばかにしたいんじゃない、でもだったらなんでそんなことを言ったのか、自分にもわからないのに、財前は何を知っているのだ。何か知っているなら教えてほしい。
何か言ってくれたら、冗談にして、いつものように下らない言いあいになって、そうしたらきっとすぐにもとの距離に戻れたのに。
財前はそれっきり、ふつりと黙りこみ、謙也も謙也で何を言うべきか混乱していて、そのまま気まずい時間を過ごす羽目になった。

おおまかに流れだけを説明すると、白石はなんだそんなことか、と目を細めた。

「そんなんいっつも言うてるやん」
「言うてへんよ、かわいないなあ、って言うことはあるけど」
「そうやったかな。けど、おまえめっちゃ態度に出とるもん、財前のことかわいくてしゃあない、って」

だから財前はあんなに謙也に甘えるのだ、甘やかすな、と意味のわからない説教を受け、謙也はぽかんと白石の整った顔を見つめた。
かわいくてしかたがない? 甘える? そんな関係ではない、気の合う先輩後輩で、あいつは生意気で、俺はそれが面白くてかまっていただけで。
面白くて、口を開けば憎まれ口で、言わなくてもいいようなことばかり、そのくせ自分の後をあれこれ言い訳をしながらついてくる、先輩だなんて思っていないくせに、時折ふてくされたように自分の言葉を待っている。
そんな財前が、面白くて、それはとても。

待って、待ってほしい、今までこの距離でやってきたのに、いきなりそんなことに気がつかされても困るのだ。
言いたい放題の財前、負けじと言い返す自分、それでいい、それが心地よかったのに、今までそうだった、これからもそうだと安心していた。いや、安心って。

間違えた、距離を、一番居心地のよい距離を。
そうじゃないのか、距離を測り間違えていたのか、ずっと、ずっとか。
「知っている」と答えた財前は、何を知っていたのだろう。もしかして、謙也よりも先に何かに気がついていて、それで近寄ってこなくなったのか。
だとしたら、謙也は、この気持ちは、

「白石、俺、ちょお行ってくるわ」
「おお、まああんまし騒がしくしたらあかんで」

わかってる、と返事をする暇も惜しくて、首にかけたままだったタオルをしゅるりと右の手で引っ張り、バトンのように左に持ち変えると、勢いに任せて駈け出した。
外周も終わって、いつもなら謙也の横でスポーツドリンクを飲んでいるこの時間、ここにいないということは木陰で一人涼んでいるに違いない。二年生の中で浮いているわけではないけれど、無理に中に入ろうともしない、そんな彼が謙也はたまに心配だった。同時に、自分のそばには誰に言われなくても寄ってくるのが、嬉しかった。
気がつくきっかけは、きっと何度もあったのだ。

「……財前、」

部室棟の脇に座り込んで、黒いストローを銜えたまま振り返る財前の、目が驚きを露わにしている。目をまっすぐ見つめられるのは、久しぶりな気がした。

「俺、あんな、」
「やから、知ってます、て言いませんでしたか」

見開かれた目が、逸らされる。どうして。目を見て話がしたいのに、いつもおまえは目だけは素直だから。

「深い意味なんかないて、わかってます、そんくらい。別にそんなんで臍曲げたりせえへんし、謙也さんが後輩とか仲間とか、全部懐に入れてまうあほやって、わかっとるし」

やけど、と彼らしくなく口ごもる。

「なんや、言うてみ、全部聞くし、なんでも言うて」
「あんなん、反則や、ずっこいっすわ、急にあんなん言われて、どう反応せえっちゅうねん、あんな顔で、あんな声で」

あのとき、自分はどんな顔をしていたのだろう。何かおかしかったのだろうか、声も。思わず、本当に思わず口に出た言葉に自分でびっくりしていたし、そこまで考えが及ばなかった。

「ずっこい、あんなん。いっつもかわいないなあ、て言うてたくせに、そう思てるくせに。それでええのに、俺は」
「思てたわ、ずっと、かわええて」
「嘘や、嘘つき」
「俺も自覚なかってんけど、嘘ちゃうわ、ほんまに、かわええと思てる、そやなかったらおまえみたいなん好んでそばに置いておくかい」
「あんたが俺をそばに置いといたんちゃう、俺があんたのそばにおりたかっただけや」
作品名:ハミングバード 作家名:小豆沢みい