彼方から 第二部 第六話
彼方から 第二部 第六話
陽が高く昇り、町の外れにいるノリコたちを暖かく照らしている。
風も柔らかく流れ、彼女たちの髪を軽く持ち上げては通り抜けてゆく。
「あ……」
丘の上に建つ、遠くに臨むナーダの城。
その城の方に視線を向けていたノリコが、小さく呟いた。
「イザーク達が近づいてくる」
「え? どこに? 見えないよ」
「分かる……」
そう、彼らの姿は未だ、見えない。
なのに、ノリコはハッキリとそう言えた。
近づいてくる――と。
昨日から続く、大きな何かに包まれているような感覚のお蔭だろうか……
迷うことなく信じられる、感覚。
イザークの存在を、どこから来るのかその方向さえも、ハッキリと感じ取れた。
やがて、幾つもの小さな影が見え始める。
徐々にその影は大きさを増し、彼らの姿をハッキリと認められるほどになってゆく。
馬を駆る、イザークの姿を……
――もう……
――二度と会えないと思ってた
泣くつもりなどなかったのに、どうしても涙は滲み、見たいと思っていたその姿を潤ませてしまう。
今にも零れてしまいそうな涙を、ノリコはどうにか、堪えていた。
「ああ、本当だ……みんないる、イザークを先頭に……」
半信半疑だったノリコの言葉通りに、待っていた場所へ姿を現したイザークたちを見て、ガーヤは感極まっている。
「アゴル、ジェイダ左大公、その息子達、バーナダム……」
彼らの存在を確かめるように、その名を次々と口にしている。
「みんな無事……あの城から脱出できたんだ!!」
普通ならば、警戒も警備も厳重な城から脱出するなど、たとえ助け手がいたとしても不可能に近い。
なのに、しかも、皆無傷で……
その強さを知っているイザークが捕えられたことを鑑みても、奇跡に近いことだと、ガーヤは思っていた。
それ故に、皆の無事な姿を見られたことに、感動を禁じ得ない。
「ああ、みんな……また会えて嬉しいよ」
それは心からの言葉――クーデターの嫌疑を掛けられ、捕まれば処刑されることが分かっていた左大公たち。
また再び、こうして顔を見ることが出来るとは……正に夢のようだった。
服の裾を掴むジーナが転ばぬよう静かに歩み寄りながら、ガーヤはその両腕を大きく広げ、皆を迎え入れていた。
「ガーヤ」
ひらりと、馬から飛び降り、イザークは迎え入れてくれる彼女に声を掛ける。
その姿を、ノリコは涙が少し滲んだ瞳を大きく見開き、見詰めていた。
――うわあ……本物の、イザークだ……
「馬をもう一頭連れて来た、それに乗ってくれ」
離れていたことなど微塵も感じさせない、いつもと同じように冷静に淡々と、指示を出してゆくイザーク。
後悔したことも、懐かしく想ったことも会いたいと……そう想ったことすらも、表情には出さない。
だが、ノリコは違う。
――映像だけじゃない、声だけじゃないんだ
想いが募り過ぎて言葉が出てこない。
ただただに、無言で彼を見詰めている。
無意識に、体が動いてしまっている。
昨日から、彼と通信が出来てから、イザークの存在はいつも感じられていた、ハッキリと……
だけど、違う。
存在を感じられる、それだけでは……
だって、そう、眼の前にいるのだから、彼が――手を伸ばせば触れることの出来る、『本物の』イザークが。
「その子はアゴルの馬に乗せて、ノリコはおれの馬に乗……」
軽い衝撃に、イザークの言葉が止まる。
「会いたかった……」
素直なノリコの言葉に、イザークは思わず抱きついてきた彼女を見やっていた。
柔らかい髪の香りが、鼻腔をくすぐってゆく。
少しの間しか離れていないというのに、胸に抱きつく彼女の感触に、懐かしさを覚える。
ガーヤのところに預けるまでの二人だけの旅の間、怪物や化け物、盗賊どもに追われ、何度かこうして抱きつかれたことがあった。
慣れているはずなのに……
いつものことだと、そう思っているのに――いつもとは違う感情、感覚が込み上げてくるのが分かる。
昨夜の想いが、蘇ってくる。
このまま少しの間、こうしていたいと――そう……
ふと、視線を感じ、イザークは振り向き、ハッとなった。
全員の視線が、馬までもが、こちらを見ていた――じーっと……
瞬間、二人きりではないことに気付く。
今のこの状態が、人に見られてどれだけ恥ずかしいことなのかに。
――あ……赤くなった
そう、アゴルに思われてしまうほどハッキリと、彼の顔は朱に染まっていた。
つい、少し乱暴に、ノリコの体を自分から離し、
「しがみつくな、ノリコ。早く、馬に乗れ」
照れ隠しのように冷たく言ってしまう。
困ったようなイザークの声音と表情に、ノリコもハッとする。
――やだ、あたしったら!!
――また、気安く抱きついてしまったんだ!!
「ごっ、ごめんなさいっ!!」
彼女は叫ぶように謝ると、慌てて体を引いていた。
――そうだ、イザークにしてみれば
――やっとあたしから解放されたと思った途端、また一緒になっちゃったわけだから
――この現状はあんまり嬉しいことじゃないんだ
実際のところ、決してそんなことはないのだが、彼女はガーヤの元へ預けられた――悪く言えば『置いて行かれた』のだ。
どうしてイザークがそんなことをしたのか、その理由を自分なりに考えるならば、自然と、そう思えてもおかしくはない。
だがそれよりも、そんなことよりも。
改めて思い返す自分の所業……無意識だったとはいえ、抱きついてしまっていた――しかも、皆の前で……
イザークに、恥ずかしい思いをさせてしまったと思う――きっと、多分……火を噴きそうなほど顔が熱く、赤くなってくるのが、流石に自分でも分かる。
「あの……だから、つまり……」
言い訳を……その場凌ぎであろうとなんだろうと、とにかく、何か――そう、何か言い訳を……
焦り、心に余裕がなくなってくる。
≪つい、感激しちゃってっ≫
向こうの言葉が、出てしまう……
≪で……出会いの時から抱きついちゃってるから、もうマヒしちゃってるのよね、きっと。あっ、でもね、前の世界では男の子に抱きつくなんて、そんなこともう、全然できなくて、やっぱり旅の恥はかき捨てというか――じゃなくて、ああ、何を言ってんだろ、あたし≫
馬に乗ろうとしながら、矢継ぎ早に言葉を並べ立てているノリコ。
だが、焦り、心に余裕のない状態で話す彼女の言葉は、いつも決まって、前の世界の言葉……
口にしている本人以外、誰にも分からない。
その場にいる誰もが、彼女が話し終わるまでただじっと、聞いているしかないのだ。
フッ……と、イザークから笑みが零れた。
「…………相変わらずだな、おまえ」
何を言っているのか分からないその言葉さえ、懐かしく思える。
少しも変わらない彼女に、イザークは優しく、安堵に満ちた笑みを向けていた。
「ほらよ、アゴルさん」
ガーヤがジーナを抱き上げ、馬上にいるアゴルに渡している。
「よしよし、いい子にしてたか?」
作品名:彼方から 第二部 第六話 作家名:自分らしく